2022年の日記集:いつか行く道が、わからない。

【7月5日】

自分が経験をしてきたことは理解しやすい。

子供の頃の嬉しかったこと、些細な悩み。
大学生の頃の恥ずかしい思い出。
社会人1年目の時の辛さ、至らなさ。

生意気だったな、お調子者だったな。
あれがわからなかったな、これが困ったな。

...

いつか行く道のほうはどうだろうか。

お年を召した方に対して「しまった…」と反省することがしばしばある。
なんで、もっと優しくできなかったんだろう。
時間を取ってあげられなかったんだろう、と。

お客さんに対して思うこともあるし、 通りを歩いている人に話しかけられて思うこともある。

もちろん、やるべきことがあって、時間を割けなくて。
あるいは、あまりに私や周囲に対して失礼だったり。
そういう仕方ない時もある。

けれども、全部が全部 そうではない。
延々と続きそうな話に「ああ、面倒なことになりそうだ…」と逃げたことだってある。

寂しさを埋めることを、話し相手になることを価値としてお金をいただいているお店ではない。それはそうなのだけれど。

...

もう一つ思うこと。
kenohiは「目が見える」「文字が読める」ことを前提したお店なんだと。

「眼鏡忘れっちゃってね…」と言われて、仕込みや接客でバタついていたこともあり お惣菜の説明を雑にしてしまった。

「ご飯とお味噌汁に煮物や漬物が4つついたお食事です」
ちょっと素っ気なかったと思う。反省。
せっかく興味を持ってくださったのだ、時間をかけるところだろう、そこは。

申し訳なかった。こんなところに書いたって仕方ないのだけれど。

...

日本語を読めないと想定している外国人に対しては、できるだけ丁寧に、たとえ拙くても英語で説明しようと心がけるのに、どうして同じようにできないのか。

「歳をとったということを、甘える理由にするな」
「どうせ言っても伝わらないだろう」
「あなたもきっと"変な店、ふつうの食事はないの?"って言うんだろう」

そんな冷たい自分が、心の中にいた。

話し相手がいなくて、一方的に愚痴や世間話をされるのは、 本人の甘えなのか、一人にさせてしまう社会が悪いのか、年齢のせいなのか。

少し考えさせられてしまう。
もちろん、全部を聞こう、くみ取ってあげよう…というのは実際無理ではある。

聞けるときに聞けばいいんだけれど、自分の中にある冷たさに落ちこんでしまった。

※この記事は、過去にメンバーシップ内の掲示板に投稿していたものを再編集したものです。

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