見出し画像

猫に踏みしだかれた福笑い

 note仲間には、センスの塊とか、いっそ天才……と呼びたいような、素敵な絵をものしている人がいる。


 絵画挫折組としては、羨望を禁じ得ない。

 実は、中学、高校あたりから大学時代にかけて……たぶん幼稚な夢想家だったのだろう……将来は絵描きになりたいと、本気で思っていたのだ。

 もとより、造形的にも色彩的にも、毫末の才能だになく、つい諦めたしだいながら……こりゃダメだ、と確信したのは、畢竟「恒常性」を克服できなかったからであった。

 「恒常性」とは、視覚の場合、頭のなかで実際に見えている世界を、そうあるべき世界に修正してしまう能力である。

 例えば、テレビなり映画なりを正面ではなく、横から見ると、かなり不愉快かつ不自然なはずだが……しばらくすると、恒常性の作用によって頭のなかで修正が行われ、それほど不自然には見えなくなるものだ。

 一見便利な能力のようだが……これが絵画に於けるデッサンとなると事情が違ってくる。人物なりを描写する時、人間というやつは実際にスケッチブックに描かれた造形が多少歪んでいようが、頭の中でちゃっかりと修正してしまうのだ。
 かなり歪んだデッサンであっても、ご本人は気付かない場合もある。

 要は、デッサンの修業とは、おせっかいな恒常性を押さえ込み、歪んだ造形を歪んだまま、いっそ残酷に認識することに尽きるのだ。
 歪みがそのまま認識出来るのなら、今度はアナログの技術をもってこれを修正することも可能になる理屈である。

 「恒常性」をちょっと意訳して、「思い込み」と考えると分かりやすい。
 そう。僕がスケッチブックに、飛びっきり可愛い女の子の顔を描くとする。当然、上手く書きたいと激しく望む。その結果、描かれたデッサンに「思い込み」というフィルターが掛かってしまい……かく有るべき造形しか認識出来なくなるのだ。実際には、途轍もなく滑稽に歪んでいたとしても……

 僕は、この事実をある日、ほとんど偶然に発見したのだ。

 何か意図があったわけではないが……僕は自分でも傑作と信じた空想の美少女の肖像を、何気なく鏡に映してみたのだ。

 まさに、愕然の一言であった!

 左右が反対に映っているという、たったそれだけのことで、「思い込み」のフィルターがはがれ落ち、「恒常性」が機能不全に陥ったのだ。

 そう。僕は鏡の中に……「そうあるべき」ではない「ありのまま」を見て、愕然としたのだ。理想の美少女は、鏡の中……猫に踏みしだかれた「福笑い」と化していたのだから……

 僕は結局、この「思い込み」という「恒常性」克服することが出来ずに、絵筆を折った。

 ……と、まあ、ここまでは笑い話ではあるが……あんがい、この意地悪な「恒常性」は、視覚の分野だけで作用しているとは限らない。

 思えば、今の政治や経済……実際は相当に歪んでいないだろうか?
 猫に踏みしだかれた福笑い以上かも知れないのだ。へたをすれば、暴動になりかねない。
 しかし、我々は日々の生活の中……そうな暴挙に出る人はいない。
 いつかいいときゃ来るだろさ。辛抱強く待っていれば……なんとかなるさ。

 もしかしたら、「恒常性」が働いて……歪みに歪んだ福笑いを、なんとか見れる美少女と認識しているのではないのだろうか……

この記事が参加している募集

#私の作品紹介

95,563件

#眠れない夜に

68,896件

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。