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(短編小説)後ろ姿のアルバム

  (短編小説)後ろ姿のアルバム
                         銀騎士カート

 二十年近く前に亡くなった母の遺品の中から、一冊のアルバムが見つかった。ちょっと無理を承知でローンを組み、新築のマンションに引っ越す、その数日前のことだ。桐の箪笥の底で眠っていたそのアルバムは、私の写真で埋っていた。しかも……その全てが後ろ姿という異様なものだった。

 実は私は私生児で、母は女手一つで私を育て、大学にまで入れてくれたものだ。顔も知らない父親のことなど、いっさい慕ったおぼえはない。母はそれだけ、私に愛情を注いでくれたのだ。
 時に親子げんかもしたが、母は決ってその途中で「ぷーっ」と吹き出してしまうのだ。喧嘩はそれでおしまい。私は苦笑まじりに頭を掻く。親子げんかは猫も食わない……決って飛び出す母のあまり垢抜けないジョークであった。

 その日の夜、私は改めてアルバムをめくってみた。
 幼稚園でお遊戯をしている私。小学校の運動会で走っている私。誕生会で友達とはしゃいでいる私。ちょっとサイズの大きい中学の制服に戸惑っている私。初めてのデートに浮かれている高校生の私。大学に受かった直後、自転車でどこかに出かける私。……もちろん、その全てが後姿なのだ。
 そんなアルバムを妻が覗き込んで、
「へー……なんか知られざるパパの一面を見たよう」
「確かに、人の背中って本人の本質が見えるんだろうな……」
「でも、知ってたの? 背中の写真撮られてるってこと?」
「いや、完全な隠し撮りだよ……」
「ねえ、凛と茜の後ろ姿……明日から撮ろうかしら」
「内緒で撮りためて……結婚する時に、ダンナに見せてやるか」
 途中からハイボールを妻が作り、久しぶり夫婦水入らずの時が過ぎた。
 凛と茜は、とっくに眠っている。

「あら、やだ。これ、なーに?」
 突然、妻が笑い出す。
 そう。アルバムの最後を飾っていたのは、私自身ちょっと赤面しそうな後ろ姿だった。金色に染めた長髪に、エレキギターのケースを得意げにぶら下げた私。そう。私は当時、親不孝承知の上で、就職に背を向け、ロックミュージシャンを夢見ていたものだ。
「Oasisが好きだったんでしょ。でも、ホントにバンドやってたんだぁ」
「バイトでレスポールを買って……確か二度目のコンサートに行く所だと思う」

 母が自動車事故で急逝したのは、その直後だった。
 ふと母の死に顔が浮かんでくる。憂いのない優しい顔。
「恵ちゃん! 頑張って……」
 なんだかロックミュージシャンを目指していた私を、応援していたみたいな……
 もちろん私にはロックの才能などなく、二十九歳で就職、ついては職場結婚で二人の娘を抱える平凡なサラリーマンに落ち着いた。

 思い出が眠っていた桐の箪笥は記念に残しておきたいと妻は言ったが、引っ越しを機に処分を決めた。 
 妻は、有言実行とばかり、凛と茜の後ろ姿のショットを狙い出したものの、さっぱり上手くいかない。どんなにコッソリを装っても気づかれてしまうらしい。
「もー、ママやめてよ! ストーカーみたいじゃない」

 それにしても、どうして私は写真を撮られていることに気がつかなかったのだろうか? たぶん……母が手にしていたのはカメラではなかったのかも知れない……
 
 長女の凛は高校に上がった。愛用していたレスポールを下げ渡したせいか、ロックに夢中になり、軽音部に属している。中学生の茜は、妻からカメラを取り上げ、フォトグラファーになるんだと息巻いている。その分、私は白髪が増えた。 
 
 私は今でも、母の遺品のアルバムを宝物として大切にしている。アルバムの写真はもう増えることはないけれど、空白のページを繰る度に、私は感じるのだ。       
 確かに。私の行く末を見守り続ける母の眼差しを……

                            了

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