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【連載小説】 彌終(いやはて)の胎児 8章〖56〗

       

        8章〖56〗


 ガランとした北校舎の廊下を進みながら、教頭はノックの礼もなく無遠慮に個室の扉を次々に開き、啓吉に覗くことを促した。どの部屋も浅ましい情景の連続であった。薄くなった白髪頭を振り乱し、皺だらけの太鼓腹を波立たせた老いぼれどもが、駄々をこねるこどものように泣き叫びながら、淫具もておんなを犯し、カマを抜き、鞭打ち、切り刻み、その肉を頬張っているのだ。
「若い頃に失った、愛し夢との再会。狂気の再会さ。はっは、私はあんな馬鹿げた再会はしない」
 教頭は嘲ら笑いながら廊下を渡り、まさしく右から二番目の個室の前で立ち止まると鍵を差し込み、一気に扉を開いた。
 確かに、加代子はベッドの縁に、萎れた草さながらに項垂れて座っている。
「加代子……」
 啓吉の呼び掛けに、加代子が顔を持ち上げる。泣き疲れて、すでにして涙も涸れ果てたふぜいであった。それでも、震える口元が幽かに歪む。啓吉の名のようであったが、声にはならなかった。代わって、教頭が口を開いて、
「さあ、向井君。早くこのおんなを穢したまえ。これが、君にとっての踏絵だ。五S‐三号もすべて承知している。四十九日間の洗脳授業が功を奏したともいえるだろうが、さすが愛こそいのちという夢だけあって従順だ。君が生き延びられるためなら、自分はどんな辱めも受けようという。健気じゃないか……」
 教頭は加代子の方に顔を向けると、ステッキで床を軽く打ち、
「そうだね、五S‐三号」
「はい」
 加代子はかすれた声で答えると、小さく頷いた。
 教頭はステッキの握りで空をしゃくりあげ、
「じゃあ、始めてもらおう。私達は高みの見物としゃれ込もう」
 御息所嬢がくすくすと笑いだすのに、ヤスの、唾をしきりに飲み込む音が重なる。衝立を隔て、隣の個室からは拷問でも受けているらしいおんなの悲鳴が聞こえてくる。加代子はどこか放心のていながら、上着を脱ぎ、ブラウスのボタンを外して……
「やめろ!」
 啓吉は短く叫んで、肌を見せ始めた加代子の方に走り寄った。とたんに、ヤスの木刀が踏み切りのように割って入る。これをねじり取ろうと力むも、ヤスの力は起重機にも似て、逆にねじ伏せられ這いつくばった。
 ついで、ヤスは啓吉の顔に頬を擦りつけるまでに近づけるや、
「おのれぇえ……うおぅおうおう……」
 さながら獣のうなり声。意味を滅却した恫喝。てっきりプロの凄み方であった。すかさず教頭が割って入ると、
「向井君、今の君はヤス君には逆らえない。正式の部長じゃないからね。早く踏絵を踏むことだ」
 教頭の目が、眼鏡の奥で冷酷に光る。
 加代子はすでにスリップ姿あられもなく、観念したけしきでベッドに横たわった。アパートの一室での、忌まわしい映像が脳裡に割り込んでくる。ヤスの木刀に小突かれ、啓吉はふらふらとベッドに進んだ。加代子は、大きな目を死んだ貝殻のように見開いて啓吉を見上げると、
「啓吉さん、もし本当にわたしのことを愛してくれるなら、この人達の言うとおりにして。そして、生き残って……そうよ、『妹』を誘惑するのよ。『妹』が啓吉さんにどんなにつれなくしたか知らないけど、『妹』の中にだって、わたしの要素が少しは残ってるはず。それを目覚めさせるのよ。それに、確証はないけど、わたしが死んでも、いつの日かもう一度、『妹』のこころの中に生まれ変われそうな気がするの……」
 安手なドラマさながらの、見事にクサいシーンながら、いざ登場人物の一人となってみれば、これを茶化すゆとりとてなく、啓吉はほとんど衝動的に加代子を抱き締めた。頭の空白がいきもののようにいっそう広がった。覚め始めた夢の尻尾に懸命にしがみついている、頑是ないこどもになったようであった。夢は熱かった。
「犬になれ。犬のかっこでやれ!」
 背後でヤスが粗野にけしかける。
「ヤス君、なんだね犬とは……」
 教頭が小首を傾げるのに、御息所嬢が答えて、
「あら、社長さんご存じないの。わたくし、豚の糞さんを実験材料にして試してみましたけど、なかなか乙なものでございましたわ」
 不意にヤスの手が啓吉の腰に伸びるや、荒っぽくジーンズがずり下ろされた。加代子が目を閉じる。慌てて引き上げたとたん、木刀が腕に降り下ろされた。物打の金属あらたかに、痛みを通り越した燃えるような痺れが広がる。思わず屈み込むのに、教頭のステッキが軽く肩を打ち、
「ヤス君がせっかく手伝ってくれているのに、逆らうのはよしたまえ。ヤス君の怪力なら、君の頭蓋骨を叩き割るくらい造作もないことだ」
「そや、手伝っとるだけや」
 ヤスはカサにかかると、鈍く光る金属の物打を啓吉の眉間にピタリとつけ、一気に下着を下ろした。引きつるような羞恥。同時に、ケケケケケ……という昆虫のような鳴き声の後、
「部長はインポや、インポや」
 ヤスはそう囃し立てながらしばし笑っていたが、いきなり啓吉を足蹴にすると、ベッドの加代子にのしかかった。啓吉はジーンズも下着もずり落とされたままに、ヤスのブ厚なからだを引き剥がしにかかる。とたんに、木刀の柄(つか)が啓吉の鳩尾を打ち上げた。啓吉は跳ね飛ばされるように横転し、そのまま気が遠くなって動くことが出来ない。代わりに教頭がステッキでヤスを打ちつつ、
「ヤス君、昂奮するな。ヤス君!」
 暴走する飼い犬に対するよう諌めるも、ヤスはまさしく発情した犬さながらの唸り声をあげつつ加代子のからだを軽々と裏返しにすると、その腰をグイと持ち上げ、自分のズボンのベルトに手を掛けた。しかし、加代子の抵抗も凄まじく、ヤスがズボンを脱ごうとした隙をついてからだを大きく振れば、虚をつかれたヤスも思わず横に振り落とされた。ヤスは体勢を立て直すと、歯を剥き出し、ベッドから下りようとする加代子の腕を掴んで荒っぽく引き寄せると、その頬を二度、三度と張った。加代子の鼻孔からはたちまち血が吹き出し、そのまま失神してのけざまにベッドにくずおれる。ヤスは無抵抗になった加代子に馬乗りになると、スリップの裾を大きくまくり上げた。ようやく立ち上がった啓吉が、捨て鉢の反撃に出ようとした瞬間
「火事だ!」
「逃げろ!」
「大変だ。火事だ!」
 何人ものこども達の、狼狽けたたましい声々が廊下に響いた。緊張感が針になって走り抜け、一瞬時が止まったようであった。御息所嬢が戸惑い気味に扉を開けるむこう、黒煙が渦を巻いてなだれ込んでくる。
「火や、火や」
 ヤスは怯えたように声を引きつらせると、野獣の本能そのままに加代子から飛び下り、それでも牙と恃んだ木刀だけは手に、教頭と御息所嬢を押し退けるように部屋を出た。教頭と御息所嬢も、すぐに飛び出した。
 啓吉は急いでベッドに近づき、気絶している加代子を揺すり、これがうっすら目をあけるのに、
「早く。逃げるんだ!」
  混乱――逃亡という単純な図式が、啓吉の空白の頭に瞬時にして刻まれたようであった。二人は手早く身繕いをすると、廊下に出た。

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