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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】【SF連載小説】 GHOST DANCE 30章(最終章)

   

    30 旅立ち(最終章)


「ドウシタノ。ネエ、何ガ起コッタノ」
 床に放り出された携帯電話からの美也子の声で、冬吉は我に返った。さっそく拾い上げて、
「なんでもない。これから旅に行くんだ」
「旅?」
 足下に目を落とせば、シャーレは砕け散っていたものの、『ブルー・カード』が二枚、主を待つけしきで神妙に重なっている。冬吉はつい拾うと、
「ちょうど、切符も二枚あるようだ」
「ネエ、何ヨ、旅ッテ」
「新婚旅行に決まってるじゃねえか」
「エッ、ワタシ達、結婚シテイタノ。イツノ間ニ」
 すっとんきょうな声に口元がゆるみかけたとたん、手術台のあられもない美也子の裸体が冬吉の目に飛び込んだ。不思議と、涙一つでない。
「その前に、服くらいは着なくちゃな。すっぽんぽんじゃ外を歩けない」
「ワタシ達、裸。ア、モシカシテ、冬吉サン、ワタシガ眠ッテルウチニ……マア、イヤラシイ。知ラナイ」
 美也子の声が拗ねた。手術台の脇に、肌着の類は切り裂かれて散乱していたものの、見回せば壁の隅に、逃亡したとき身につけていた萌黄色の服が丸められてあった。
 とりあえず、美也子のからだを清めた。足の汚れと、いくつもの擦過傷が敗北の刻印のように目に染みる。最後に穢れを払う儀式のつもりで、まだ幽かにほてった陰唇に接吻してから硬直の始まりかけた上体を起こし、傷口をコットンでおおい、それから服を着せた。『煙の山』を踏み渡った名残だろう、わずかに饐えたにおいが染み込んでいる。それでも、仕上げに太いベルトでギュッと腰を締めつけてやると、しどけなく開いていた膝頭も幾分たしなみを持ち、気取った娘ぶりが香った。
 冬吉は美也子の手を敢て組ませず、代わりに右腕を自分の首にまきつけ、左手に『ブルー・カード』を握らせてから抱き上げた。

 研究室の扉を抜ける間際、冬吉はしばし壁の一点に注意を引かれた。額の中の一枚の写真であった。プロジェクト結成当時のものだろう、稲垣博士をはじめ貴宏、涼一郎、そして美也子の笑顔が揺れ、割り込んだけはいでVサインを作るささやきも写っている。美也子の笑顔を改めてこころに刻んでから、扉を抜けた。
 廊下はひっそりとして人影なく、幽霊のしらべも漂わない。殺菌済みの空間。磨き上げた大理石の壁に雑念吸い取られるところ、ただ美也子の肉体の重さ、腕に覚えるその感覚のみが冬吉が今生きている証のすべてであった。足の運びはおのずと方角をとらえ、じきに飾りきらびやかな《ブルー・サングラス》専用のエレベーターが目にしるく間近に迫った。
 『ブルー・カード』を差し込むと、ほどなく扉しずかに開いて、真紅の地に黄金の唐草模様が枝をのばして飛び散った。さだめて、曼陀羅か。つい乗って見回せば、仏、菩薩、神、何教ともつかず洋の東西より大慈大悲全員集合の、掻き集めて居並ぶふぜいはひとまず昇天、天帝よりの戴冠式に赴く趣向と知れた。最上階の、ここは煩悩を積み重ねた果ての一〇九階、そのボタンを押せば扉はおもむろに閉まる。
 冬吉は美也子を膝に抱えるようにしてしゃがみ込み、まだ切っていない携帯電話に呼び掛けるに代わって目をつむり、思い切り派手な空想にこころを遊ばせてみた。サイエンスの勝利。選ばれた新たなる《ブルー・サングラス》。アダムとイブ。命数つきぬ身の、肉も臓腑もいまだ腐ってはいまい。ライブラリーの記憶と俺の愛があれば……なんだか、美也子が蘇るは当然のように思われた。

 リンの音でエレベーターが止まった。美也子を腕に冬吉が降りると、出し抜け真っ赤な絨毯の広い回廊で、五色の瑞雲たなびいて天女が踊る壁画あでやかに、ゆるやかなカーブを描いている。やがて白木に精緻な透かし彫りをほどこした、どこか霊柩車を思わせる観音開きの扉にぶちあたり、仰げば「冬眠室」と墨蹟あざやかな扁額がかかげてあった。
 鍵のスリットに『ブルー・カード』を押し込めば、扉は軋みおごそかに開き、踏み込むと同時さり気なく閉まるさき、そこはけっこうな高級ホテルの一室。形は扇形おめでたく、開いた向こうはすべて窓、外は日没直前に赤黒く滲んでいる。数々の調度品は洋風とも唐風とも、はたまた何朝ともつかぬ折衷の、ひたすら綺羅をきわめた権力の奢りに彩られている。そして、部屋の中央にでんと控えている黄金のかまくらを思わせる装置こそ《自動冬眠装置》らしい。近づけば金ぴかの表面は手の込んだ浮き彫りで、霊亀が泳ぎ麒麟いななき、鳳凰舞って飛龍がのたうった。かまくらの入口からはレールが突き出ていて、終点には車輪つきのゆったりとした黒革のリクライニングシートが据えられ、足をのばせばベッドにもなるあんばいであった。持ち重りのする美也子をそこに行儀よくもたれさせてから、冬吉はつい近くに立て札のように突っ立った、《自動冬眠装置》の扱い方に目を通してみた。一読、ガキでも判る単純な操作である。肘掛の電卓のような仕掛けで冬眠年月をセットする。目覚めの時間もお好みしだい。冬眠の間じゅうさまざまな夢を見て過ごす機能も備わっているらしく、立て札の脇の棚には虹色のディスクがぎっしり、ロマン、ミステリー、アドベンチャーとぬかりない。かまくらの中を覗くと、レールはゆるやかに下方に下るトンネルの闇に没し、奥は窺えない。
 冬吉は携帯電話を美也子の膝に置き、とりあえず広い室内を一巡りしてみた。キャビネットにはコニャックから葉巻までおこたりない。赤い絨毯の魔力に唆されコニャックをグラスにつぎ鷹揚に窓辺に寄り掛かると、こころはすでに《ブルー・サングラス》であった。視界を巡らすところ、『第二螺旋病院』のてっぺんは、まさに天下を睥睨する展望室といえた。夕暮間近の空はどんよりと濁り、ぐるりの黒々とした山並はかの『煙の山』だろう。かすかな残照に鴉の群が照った。そういえば、あの桃源郷は幻なのだろうか。存外鴉は、愚かな人間どもの有様を伝える小杉博士の斥候ではないのか。
 窓から下を窺っても、街の灯が揺らめく以外下界の様子はなんとも知れない。それでも、窓の一隅には大きなモニターが埋め込んであり、ボタン一つで天下の出来事お見通しのからくりと知れた。でたらめに押してゆくと、出し抜け、『ゴースト・ダンス』に乗って踊る『蟻の巣』の乱舞が俯瞰に映し出された。物悲しいしらべと先祖を呼ぶ切ない祈りの声を縫って、銃声が轟く。殺戮は果てしもなく続いているようであった。

 冬吉はコニャックのグラスを二つ持ち、美也子の方に戻った。美也子は、顔をそむけて拗ねているように見える。今にもベロを出して振り向きそうなけはいに目を奪われ、思わずレールに足をとられた。グラスは二つとも手を離れ、一つは美也子のスカートを濡らし、もう一つは《自動冬眠装置》のドームに当たって派手な音をたて、つんのめった冬吉も美也子の肩を掴むようにしてリクライニングシートに崩れ落ちた。
「ワア、ナンノ音ヨ。ネエ、聞イテルノ、冬吉サン。サッキカラ、呼ンデルノニ」
 携帯電話からの美也子の声であった。冬吉はすぐに手に取ると、
「ああ、聞いている」
「ドウシテ、急ニ黙ッチャウノヨ」
「悪かった。今、窓から外を見ていた。とにかく、君のからだを抱いてここまで来たもんで、手も足も痺れたよ。それとも、運動不足かね。今、躓いて、せっかくのブランデーで君の服を濡らしてしまった」
「ぶらんでーナンカ欲シクナイ。ソレヨリ、ワタシノ身体ッテ、言ッタ? 身体ッテ、肉体ノコト?」
「そうさ。今、君の肩を抱いている」
「今? ドウイウコト。何時ノコト。デモ、嬉シイ。ネエ、ソノ時、ワタシ、綺麗ダッタ?」
 改めて美也子の顔を覗き込み、冬吉は絶句した。甘えかかる声とは裏腹に、目の前の美也子の白く透き通った顔の底からは、非情のサレコウベが浮き出るふぜいであった。少し歯をむくように口腔は開いて、少女のように歯並びが細かく見える。上唇はややむくんだようで、稜線がきつくなっている。のけぞった顔を仰角に見るせいか、丸顔の顎の張りが強調され、目元は食い込んだように閉じられて、そこに表情豊かな大きな目が隠されているとは信じかねた。やはり、美也子は死んでいるのか。冬吉は記憶の中に美也子の笑顔を探した。浮かんできたのは、つい先ほどこころに留めた写真の笑顔であった。
「ネエ、ワタシ、綺麗?」
 少し不安そうな美也子の声に、
「ああ、とってもね」
 冬吉は発作的に美也子の口を吸った。乾いた唇を湿らせてから少し深く訪えども、あたかも異物のように喉を塞いだ冷たい舌に女の反応はない。冬吉は思わず顔をそむけ、悪夢から覚めるいきごみで己れの指を噛み切った。痺れた指に痛みはなく、生血だけが大袈裟に吹きこぼれ、美也子の唇に落ちた。指で拭うと、それがルージュになってかすかになまめいた。
「さあ、行くぞ。夢への旅立ちだ」
「夢? 夢ッテ、ナンナノ。何処ノコト。イヤ。ソレヨリ……」
「それより……」
「ワタシ達、結婚シタッテ、言ッタワヨネ。ナノニ、ワタシノ記憶ニハ、冬吉サントノ、せっくす……」
「えっ……!」
「……シテ」
 耳に息を吹き掛けるような声。しかし、確かにそう聞いた。冬吉は分別をかなぐり捨て、死に物狂いに美也子を抱きすくめた。冷たく硬直してゆく肉の、頬を、乳房を、背中を、腰を、さながら凍えた人間に対するようにさすり、背もたれを倒すとレイプの気迫でスカートをまくり上げて一気にのしかかった。指を這わせれば、こころなしか幽かな温もりに女の露がわく。耳には悩ましげな息遣いも聞こえる。にも拘らず美也子は何を恥じらうのか、一向にこちらを受け入れようとはしない。涼一郎には許したくせに、なぜ俺を拒む。冬吉は半ば狂気の中、美也子の片足を肩まで持ち上げ……

 むなしい、恥知らずの結婚を終えたのち、冬吉はがっくりと美也子の胸に頬を埋めた。そのとたん、確かな鼓動が冬吉の頬に染みた。慌てて美也子の顔を見れど、冷たく強張った死顔に変わりはない。冬吉は試しに美也子の上着のボタンを外し、胸を開いてコットンを剥ぎ取ってみた。ああ、パックリと割れた胸の中から、なんとも得体の知れぬゼラチン状の透明な膜が盛り上がっているのだ。そいつはいきもののごとく蠢くと見る間に、真っ赤な罅が寄るよう周囲からたちまちにして血液を集め、いのちを持ち、山際から昇る太陽にも似てからだをくねらせ、あたかもこちらの胸をめがけ手をのばし、しゃにむにしがみつこうともがいているようであった。呼応するよう冬吉の胸に痛みが突き上げる。熱い、いとおしい衝動のまにま、冬吉は己れの痛みをピッタリと美也子の胸に重ね合わせた。その刹那、冬吉は己れの胸が食い破られ、二つの臓器がひしと抱き合い癒着し、融合する手応えをはっきりと覚えた。耳元の携帯電話からは美也子の娘らしいあえぎ声がしばし続き、それからゆるい吐息が弧を描いたのち、
「ウレシイ。嬉シイ。ウレシイ……」
 冬吉の頭にひんやりとした冷静さが吹き込み、己れの痴態を恥じた。胸を合わせたままながら、腰の上まで乱れたスカートを下ろし、姿勢を整えた。

 寛ぎのひと時がおとずれかけた時、唐突に消し忘れたモニターから断末魔の『ゴースト・ダンス』と、それにおおいかぶさる銃声が割り込んでくる。不粋なやつめ。冬吉は片手を伸ばしとりあえず百年の冬眠にセットすると、スタートのボタンを押した。リンの音が一つ、二つ、それからトンネルの左右等間隔に赤いランプが点灯し、又リンの音が一つ。二人を乗せたしとねはゆっくりと滑り出し、かまくら形のドームに入るとゆるやかな螺旋を描いて縦坑を思わせる深いトンネルに下降してゆく。赤いランプ以外、明かりはない。それでも、目の前の美也子の顔はしっかり見えるし、コントロール装置にも小さな光がともっている。《自動冬眠装置》の説明によれば、スタートしても十五分ほどの猶予があっていつでもストップは可能、ならびに予約の変更も自由とのことである。冬吉は少し体勢を変え、背もたれを起こすと深く椅子にかけ、美也子を膝の上に横座わりさせるようかき抱いた。
 携帯電話からはしばし吐息しか聞こえなかったが、やがておずおずと、
「ネエ、冬吉サン。ワタシ、サッキカラ考エテイテ、ドウシテモ意味ハ思イ出セナイクセニ、言イタクテ、シカタナイ言葉ガ、アルノ」
「なんだ。言ってみろ」
「モシ、変ナ意味デモ、笑ワナイ?」
「約束する」
「ナラ、言ウワネ。ア・イ・シ・テ・マス」
「なんでえ、今更。俺だって同じだ」
 ベッドで一服の気楽さで、冬吉は呑気に肘掛のコントロール装置をイタズラしていた。ゼロを一つ増せば千年、もう一つで一万年の冬眠。解除して、又やり直す。
 美也子の声は続く。
「あいしています。愛しています……」
 いつの間にか、機械的な感じがすっかり抜けている。耳元の美也子の唇が動いているようであった。そう。この気分、あのぼんこつカーでの道行に似ている気がする。美也子が穢されたのは、すべて春吉のせい。冬吉なら、そんなことをさせるはずはなかった。ただし、違うのは、あの道行が限りなく社会から逃亡する旅であったのに対し、今回はその逆。冬吉は美也子の手の『ブルー・カード』を確かめ、ついで自分のやつも確認してみた。赤いランプのせいで黒くしか見えないが、たぶんラピスラズリを削いで磨き上げたような、なんとも言えない品格があるに違いない。権力へのライセンス。現世と来世の逆転現象であった。そういえばあの日、カーラジオでは米同時多発テロに対する報復としてのアフガニスタン空爆のニュースを繰り返していたはず。くそったれ。何度、そう吐き捨てたことだろう。権力から遠ざかる身に、いくさは常に差し迫った苦痛として突き刺さるもの。しかし今は『ブルー・カード』を持つ身、『蟻の巣』の虐殺にして何ほどの痛みか。
 美也子の声はなおも、
「愛しています。愛してるわ。とってもよ。本当に……」
 よほど気に入ったのか、声は高く低く、時になまめき時に無邪気に繰り返される。その声が、冬吉には子守歌のように響いた。レールを滑る椅子の動きも安定していて、幽かな揺れもハンモックに似た。もう、いまわしい『ゴースト・ダンス』も聞こえない。代わりに、オリジナルの愛の曲をハミングに乗せてみた。
「愛してる。こころから、冬吉さんのことを愛しているの……」
 はしゃぐような美也子の声も、相変わらず耳に心地よい。
「……そうよ。実はわたし、長いこと冬吉さんに秘密にしていたことがあるの。本当は、あのクリスマスイヴの日に話す予定だったんだけど……ほら、冬吉さんが話してくれた肖像画のこと。実は実は、わたしの初恋の相手誰だと思う?」 
 引きずり込まれるよう、睡魔が襲ってくる。まだ、コントロール装置を決定するのに七分ほどの猶予がある。
「そうなの……何を隠そう、冬吉さんのお祖父さん。不思議な因縁よねえ。お母さんの初恋だって見せてくれた中学卒業の時のアルバムに映ってた美術の先生こそ、わたしにとっても夢の中の初恋ってわけなの。吃驚した? だから、初めて冬吉さんに会った時、わたしの方も夢のアルバムから抜け出した人だって……。運命。絶対にそうよ……」

 突然、トンネルの奥からゴーゴーという地鳴りにも似た音が響いてきた。聞き覚えがあった。切なく、懐かしい記憶。冬吉は目を閉じる。そう。あれは、祖父が死んで……確か火葬場の、荼毘に付す音。俺はあの時、祖父が灼熱した骨と化して出てくるまで火葬炉の前でじっとたたずんでいたはず。
 待て。冬吉はどきんと息も止まる思いに目をあけた。
「ねえ、冬吉さん……」
 椅子は螺旋階段を滑降するいきおいの、すでにして風を切るほどの加速がついている。ゴーゴーと腹に響く音はぐんぐん迫る。
「……冬吉さん、冬吉さん……!」
 渦巻くレールの下方に目を落とせば……ああ、冬吉は愕然として息を飲んだ。闇の底ははや焦熱の、炎くねって手招きをするに似た。急いでストップのボタンを押す。疾駆する椅子は止まらない。何度試みても無駄であった。熱気が頬を打つ。不意に目が覚めた。《ブルー・サングラス》とは、屍体の謂ではなかったのか。この、大うつけめ。冬吉はポケットの『ブルー・カード』を投げ捨てて叫んだ。
「くそったれ!」
 そのとたん、愛の呪文に酔い痴れていた美也子の声がひきつって、
「いやァ――!」
 ショートしたような甲高い金属音を残して、ぷつんと消えた。すっかり冷たくなった肉の、マヌカンさながらの花嫁を腕に凍えるような孤独感が襲ってくる。
 DNAはおろかたましいすらも灰燼と焼き尽くす意気込みの、地獄の業火はもう足下に迫っていた。

                了 

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