見出し画像

【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】【恋愛小説】紫水晶(アメシスト) 11章・12章

      

                         11


 奴自身、てっきりりん子にリードされて鼻の下を伸ばしているように思えるが、奴もさすがそれだけで満足はしていなかった。仕事に於て、反デジタルの旗手よろしく、鋭い奇抜な企画をびしびしと出し始めたのだ。

 その一つの主張として、奴は手作りの野球盤というのを持ち込んできた。内向的なこども時代におびただしいプラモデルを作ったという経験が生きていたものか、古典的なからくりを駆使した精密機械として組み立てられ、おまけに内角球がすべてファールになってしまう既存の欠点をアーチ型のアームを取り付けることで克服し、内角の速球に空振りするという仕掛けを組み込んでいた。
 加えて、奴はみんなの見ている前で、小さな木片をちゃちな切り出し一本で見事なミニバットに削り上げたのだ。そして当のバットを操るはバネによる画一とは裏腹の、なんと指先の運動という凝りようで、支点の決まった回転運動により柵越えのホームランも可能になるというすぐれものだ。もちろん、バットの長さや太さを変えることにより、個性あるバッターが生まれることは言うまでもない。

 もとより、奴自身そんなマニアックな代物を商品化する目論みなどなかったのだろうが、デジタルに押されていた守旧派にとっては思いがけぬ援軍ともなると同時、奴本人の売り込みに一役買ったことに間違いはない。なにせ、たかが野球盤と侮るなかれの、奥深き複雑さなのである。現にパソコンのキーは打ち慣れているデジタル連にして、つい指先に絆創膏なんぞ貼りはり、昼休み当の野球盤で熱心に遊び始めたのだ。奴の、指先機能復権の主張も一つの実質的な力を持ってくる。アナログを半ば捨てかけた上司の目も、急激に奴の方に向き始める。

 寒い冬も、奴にとってはさぞやぽかぽかであったに違いない。かくして、奴とりん子との交際も三箇月が過ぎた。

        12
 ぼく自身、気がつかないうちに劇的に人間が変わってゆくように感じられた。自分でも、手応え十分に仕事ができているせいだろうか。いつも俯きかげんでしか人と話すことのできなかったぼくが、知らないうちに堂々としているようなのだ。姿勢がよくなったせいだろうか。ワイシャツに以前はよく寄っていた、襷状の皺が寄らなくなったのだ。

 と同時に、顔自体にも変化が表われた。

 それを指摘してくれたのは、大学時代唯一の親友だった「西」という男である。小説家志望の、一癖も二癖もある変人ながら、不思議とぼくとは馬が合った。西は浪人中、文字通りに死ぬほどの恋をした男である。なにせ、駆け落ちの約束までした彼女を失った日に、ウイスキーのボトルを一本空け、剃刀で手首を切ったという情熱漢である。
 その西がつい先だって久しぶりにぼくを訪ねてきた時のことだ。西は不精ヒゲをモソモソと捻りながら、ぼくの顔をしげしげと見詰め、
「おまえの目玉、急にでかくなったんじゃないのか」
 と、出し抜けに切り出して、眉を顰めた。首を傾げているのに、
「そう。待てよ……、ちょっと目を細めてみろ。眩しそうに」
 何が言いたいのかまるで見当もつかないけれど、言い出したらきかない男である。とにかく目を細めてみると、西はパチンと指を鳴らすや、
「やはり、そうだ。そうすれば、昔のおまえの顔だ。今、仕事か何が知らないけど、かなり燃えてるな。今のおまえのコトだぜ、目をカッと見開いてるっていうのは」

 学生時代に戻ったように、ぼくと西は小さな酒宴を張った。
 アルコールが回ったせいか、ぼくはついりん子のことを口にしてしまった。さぞやからかわれると思ったのに、西はいっそ真摯に、まるで己れに言い聞かせるような口調で、
「絶対に、その子を離すなよ」
 と、腕時計のベルトの下、未だ手首に残る傷跡を示しつつ言ってくれたのだ。
 西はぼくから二万ほどカネを借り、肩をぽんぽんと叩くと、黒い上着をマントのように翻して帰っていった。

 西の言ったコトが気になったのだろうか、自宅に戻ってから、ぼくは何気なく自分の顔を鏡に映してみた。
 確かに、西の言葉が正しいと思った。念のため、少し前の写真と見比べてみれば、一目瞭然だ。どの写真のどの顔も、不自然に目が細められていて、いかにも自信のなさそうな、狭い範囲のものだけをぼんやりと見ていればいいといった、苦しげな表情に見えるのだ。改めて、鏡を覗き込んでみる。もはや、疑うべくもない。まったく意識なんかしていないのに、確実にかっての顔とは違う。これこそが、生きている人間の顔なのかも知れない。 
 そうなんだ! りん子は「のっぺらぼう」のぼくに、ぼくだけの、特別誂えの顔を与えてくれたんだ。

 ←前へ 続く→


この記事が参加している募集

忘れられない恋物語

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。