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【連載小説】壷中磔刑 1章 2章

    

 壷中磔刑(こちゅうたっけい)

                               
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 薄ぼんやりと晴れ渡った四月下旬のこと、相馬勇吉の塒である皴入りモルタル二階建てアパートの郵便受けに、やくたいもないダイレクトメールに混じって一枚の不穏の葉書が舞い込んだ。

     督促状

 ふてぶてしいまでの赤い大きな文字でそう刷り込まれた葉書には、『夢見税』なる耳慣れぬ複合語と共に、次のような文言が記されてあった。

   八年間未納分、計千二百万円を五月末日までに納入すべし

 はて、面妖な。とりあえず税務署に電話を入れて問い合わせたみたが、男女四人の声の、やけに慇懃無礼なのが入れ替わり立ち替わり、係りの者に代わりますと繰り返すばかりでさっぱり要領を得ない。
 一ヶ月後、三十三歳にして初の個展を控え、時間は何にも増して貴重ではあったが、融通のきかぬ役人ずれのこと、子細を確かめるべく勇吉は久しぶりの外光に目を細めつつ、税務署にまで足を運ぶことにした。

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  応対の現れたのは細いメタルフレームの眼鏡わざとらしい四十絡みの痩せぎすの男で、小柄の背筋を反らして勇吉を値踏みするよう一瞥したあと、昼休みで人の出払った事務室の前でしばし待たせてから何やら小声で電話を掛けたのが、どうぞこちらへと先にたって近くのエレベーターに乗り、降りている昇っているのかも判然とせぬ間にこれを降り、薄暗い廊下の、じれったいまでに長いのを右に左に曲がって、時に左右の扉から出入りする職員とおぼしき奴らに闖入者さながらに睨みつけられていたが、そのうち人気も絶えて、今度はいかにもペンキ塗り立てといった黒い手摺りのある狭い階段を降りるさき、そこはいっそう薄暗く、コンクリートの打ちっ放しの、ほとんど廃ビルの内部のような廊下を渡れば、元来方向音痴の勇吉にしてどこをどう歩いているのやらこんぐらかって、些か不安に襲われかけたところ、男はようやく右手の陰湿なドブ鼠色の扉を開いて、さあどうぞと誘った。

 そこは十畳ほどの広さながら、窓のない、薄墨を流し込んだけしきの、いっそ独房を思わせる空間で、中央にスチール製の事務机がポツンと配置されてあった。
 男は静寂を破る出し抜けのクシャミをかますと、勇吉を机の前の折り畳み式の椅子に腰掛けさせ、つい歩を進め、壁に押し付けられたやはりスチール製の棚から分厚な辞書を持ち出し、面倒くさそうにページを繰っていたのが、とある箇所にボールペンで無造作に線をひいて勇吉の目の前に突き出した。

 ぜい【税】国費・公費支弁のため、国家、地方公共団体の権力によって、国民から強制的に徴収する金銭など。

「何が……言いたいんですか?」
「いや、つまり……税金は国民の義務ということですよ。あなたが、あまりにも興奮なさるので……老婆心ながらも……」
「冗談じゃない。ぼくはそんな税金を払わなきゃならないほどの稼ぎも、贈与も受けてませんよ。それに、いったい何なんですか。『夢見税』っていうのは?」
「なんですかって、れっきとした日本語ですよ。うたた寝に 恋しき人を見てしより 夢てふものは 頼みそめてき……でしたっけ。あなたの場合、まあ、分不相応の夢を見たってことですね」
「たぶん、ふざけてるんでしょうね。夢に税金がかかるなんぞ聞いたことがない」
「別に、あなたが知らなくったって存在するモノは存在するんです。それとも、あなた……法律の専門家ですか?」
「何も専門家じなくても、常識で考えたって……」
「あっ、ちょっと待ってください。今、『常識』って言いましたね。ええと……」
 男は、乳首と陰茎にしか触れたことの無いような指に唾をつけて、改めて辞書を繰ると、
「ほら……出てました。常識……コモンセンスですね。普通一般人が持ち、ええと……また持っているべき標準知力。専門的知識でない一般的知識とともに、理解力・判断力・思慮分別などを含む……」
「それが、どうだっていうんです?」
「つまり、常識っていうのは、専門的知識じゃないんです……お分かりですか」
 男はシリコーンゴムみたいな指先で、「常識」の二文字を擦りつつ続けて、
「法律はあくまでも専門的知識であって、常識の世界じゃないってことです」
「なるほど、法律とは非常識の世界ですか。なら、もし……ぼくがその『夢見税』とやらの支払を拒絶したら、どうなるんでしょう?」
 「常識」を擦っていた赤ん坊の陰茎のような指先を舌の先に味わいながら、
「それこそ、常識ですよ。所得したモノにかかる税を拒否なされば、当然、差し押さえになります。先ほど『税』の意味をご確認いただいたとおり、権力によって国民から強制的に徴収するものなんですよ。これに従わないのは、権力への、すなわち国家への反逆です。当然、刑罰が与えられてしかるべきでしょう。ひとつ、『刑罰』の意味を辞書に当たってみますか……」
 てっきりアリスの不思議の国に迷いこんだような押し問答がしばし続いたあと、勇吉もつい堪忍袋の緒が切れた。
「しゃらくせえ。勝手にしゃがれ!」
 感情的に席を蹴って扉を開けたものの、出口への見当もつかず、男の慇懃な案内のまにま、近道だとていよく追い出されたはゴミのポリ容器居並ぶ非常口であった。
 蹴飛ばした空き缶が電柱に当たって、ひざ小僧に跳ね返る。えい、小癪な。なんとも合点がゆかぬままに、腹の虫だけは暴れ狂ったが、帰りの電車に揺られているうちに勇吉はおくびが出たように少し冷静を取り戻した。

 八年前に別れた香代子の、当て擦りめいた台詞を思い出したのだ。――あなたみたいに夢ばかり見てる人、税金を取られても文句は言えないわね。
 思えば、人死にが出るまで動かない警察のブラックユーモアから、各省庁のドタバタ喜劇まで、冗談ばやりの昨今であった。コケオドシの迷路や密室によるムードづくりといい、手の込んだテレビ番組のジョークではなかったのか。けだし、お笑いの主役が民から官に移って久しいのだから、舞台が税務署というのも頷ける話だろう。
 ここしばらくゲイジュツという非日常の魔と格闘していただけに、迂闊にも日常感覚が麻痺し、あっさりと術中にハマったと思えば腹立たしさも改めて募る。
 おのずとあたりに気を配るは、つい出てくるだろうテレビカメラを見つけしだい徹底的に強圧的に出て、番組そのものをご破算にしてやろうとのコンタンであった。

 それでも、塒のアパートに近づく頃には、頭上を旋回するカラスの、ザマァミロザマァミロ……一部始終を目撃していたような小憎らしい哄笑を耳に、勇吉は半ば苦笑交じりになっていた。
          続く→

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