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順子さんの夢

 

本当に願ってみると、思い通りの夢が見られるらしい。
昨晩の夢は、まさに願ったとおりの夢であった。


もしタイムマシンがあったなら……どの時代に戻りたいか?
 そう尋ねられたなら、僕は躊躇うことなく「中学時代」と答えることにしている。

あの、不分明な季節が好きなのだ。異性への興味が急速に高まりつつも、未だ未知にして神秘的な靄に包まれ、恋への憧れはいっそ性とは乖離した御伽の国を彷徨っている。あの、半身を夢に、残りの半身を現に振り分けた……不安定でいて、眩しいまでの輝きに満ちた世界!

当時、僕は……ちょっと流行っていたということもあったが……ハーモニカにハマっていて、休み時間など、唱歌や覚えたての映画音楽などを吹いていたものであった。
 まあ、それほど上手くもないが、そんなに下手でもない……という腕前ではあるが……
 元来譜面の読めない身ではあるが、ハーモニカというのはほぼカンで演奏出来る楽器とあって、取りあえずメロディーだけ覚えればなんとか吹きこなせたものだ。

当然、回りの女の子の歓心を買いたいという思いもあったが、元来孤独癖とあって、誰もいない所でしんみり吹いているのも叉、楽しかったのだ。

いや……一人で演奏しながらも、実は僕はどこかでいつも憧れの順子さんのことを考えていたらしい。
 順子さんについては以前「アンドーナツ云々」の記事で紹介したとは思うが、クラス違いながら同学年の、僕とは違ってスポーツ万能、おまけに成績もベスト5以内……かてて加えて、一重ながらキリッとした切れ長な目つきにふくよかな口元……スレンダーな体つきの上、オシャレのセンスもあり……いつも始業時間ギリギリに校門を走り抜けるといったお茶目なところも魅力的であった。

最近、なぜかこの順子さんのことを思い出すのだ。そう。彼女と友達になれたかどうか……それが僕の、一つの人生の岐路になっていたように思えて……
 もとより、現実の僕は順子さんとは、ほんの二言三言話しただけで終わってしまったのだが……

もう一度、あの時代に戻りたい!

そして、僕は夢の中とはいえ……当時にタイムスリップしたのだ。

そう。気が付くと……僕は屋上に上がる手前の踊り場で、一人ハーモニカを吹いていた。吹いていたのが「河は呼んでいる」だったのはハッキリ覚えている。当時は曲名も知らず、たぶん家族の誰かが口ずさんでいたのを覚えたのだろう。
 その時だ!

「それって……『デュランス河の 流れのように……』って歌でしょ?」

横手に上がる声に顔を振り上げると……なんと、そこに順子さんが立っているのだ。度肝ぬかれて反応に戸惑っていると、

「死んだお母さんが、私の子守歌としてよく歌ってくれたんだって……」
「ごめん……歌詞の方はよく知らないんだけど……なんとなく、簡単に吹けるもんで……」
「ね、そこに座って、しばらく聴いていていい?」
「もちろんさ」

僕は改めてハーモニカを吹き始める……

夢の中で夢のよう……なんて表現もおかしいけど……まさしく入れ子の夢だ。

順子さんは、僕が吹き終わるのを待って、

「ねえ、カート君。高校進学のことは決った?」
「いや……まだ……なんだけど……」
「私はね……一応、Y都立高校……そして、希望なんだけど、早稲田に入りたいのよ。お父さんの出身校だし……」
「……僕も……同じ高校に行けたら……いいんだけど……」
「大丈夫よ! あそこそんなに難しくないと思うよ」

そう。実際に順子さんはY都立高校に入学し……その後、現役で早稲田に進学したことも風の噂で耳にしたものだ。一方、現実の僕は……同じY都立を受けたものの、通ることはなかったし、浪人はしたものの早稲田受験でも苦杯をなめた。

でも、夢の中の僕は……可能性を信じていた。

「……どう? Y都立を受けに行く時……一緒に行かない?」
「賛成! あとで……答え合わせとかして……そうね。絶対受かるつもりだから、帰りにチョコレートパフェとか食べようよ」

ちょっと身体を捻った順子さんの、匂ひ染めにし春の膨らみと打ち解けた笑顔は、今でも鮮烈に覚えている。

僕はその時……二人で手を繋いでY都立高校の校門を潜る姿や……早稲田の教室で並んで講義を受けている所まで思い浮かべていた。
 一端思い浮かべてみると……不可能とは思えない。勉強だって別に劣等生というわけではないのだ、少し頑張れば……ベスト4あたりになって順子さんと拮抗できるはずだ!
 おのずと勇気が湧いてくる。当時噂だった順子さんの彼氏……眼鏡を掛けたキザな優等生なんぞ、追い抜いてやるさ!

「実は……君に、どうしても言いたいことがあるんだ……」
「聞かせて!」
「もし、もしもだよ……」

順子さんが心持ち躙り寄ってくる。僕は、その肩に思い切って手を乗せて、……

その瞬間だ! 校内にチャイムが響き渡り、何事かと見回したとたん、
 ……枕元の目覚まし時計が喚き散らす。不敵な悪態と共に、

醒めるからこそ……夢には価値があるのさ!

光の破片みたいに飛び散った順子さんの姿は、日常の哄笑の中に、あっけなく消えうせていた。


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