【創作大賞2024オールカテゴリ部門】【短編小説】宵待草
あらすじ
上野の美術館で「夢二展」を見た帰り、奇妙な風体の老人に声を掛けられる。老体の身に学生服という、突飛な出で立ちであった。
つい先には、なんともレトロなセーラー服姿の美少女が人待ち顔にあたりを窺っている。デートなんですよ……と老人に言われ、問い質すところ……時は昭和の三十年代の悲恋物語に遡り……
宵待草
土曜日の昼下がり、上野公園はうっとうしい位の人ごみであった。
特に、スタバでは客が行列を作り、僕がテラス席の一隅に腰を落ち着けたのもかなり時間を要したほどだ。
T美術館で「竹久夢二展」を見ての帰り、つい立ち寄ったまでのことである。多少小腹も減っていたので、クラブハウスサンドを頬張りながら寛いでいると、つい横手に感嘆するにも似た溜め息が沸きおこった。
つい首を振ると、一人の老人がぽつんと孤立したていで腰を下ろしている。八十近くの歳と見受けられたが、度肝抜かされたのはその出で立ちであった。何かの仮装のつもりなのだろうか、詰め襟の学生服という……今ではあまり見かけない、昭和レトロのふぜいであった。
顔立ちこそ色白で品格漂い、まっとうなスーツ姿ならば、どこぞの名誉教授という雰囲気が漂った。
「上野もずいぶん、変わりましたねぇ……」
「はっ……?」
詰め襟老人に突然話しかけられ戸惑っていると、
「あなたも、夢二を見てのお帰りですか?」
会場で買った、カタログの方に目を転じるのに、
「ええ……」
「ここ、スターバックスって言うんですか……昔はこんなのなかったですよ」
「はあ……?」
「何せ、半世紀ぶりですよ。T美術館を訪れるのも……」
「……!」
「実は、デートなんですよ」
「デート……ですか?」
「ほら、御覧なさい……あそこ。あの窓の所に座ってる……セーラー服の女の子がいるでしょ……」
確かに、僕にしてちょっと気になっていた女の子だったのだ。
とにかく、時代がかったセーラー服の、今どきとは違ってスカート丈も長く、髪も黒く、目の前の老人同様、昭和レトロのセピア色の写真から抜け出してきたような雰囲気なのだ。
もとより周囲から浮き上がっていたのは服装だけではなく、その美少女ぶりであった。
美術館の入り口で初めに見かけたのだが、人待ち顔の……しかも、かなり真剣な眼差しであちこちに視線を走らせていたのだ。
色白の肌、濃いくっきりとした眉と、何かを堪えているような薄い唇……全体に寂しそうな雰囲気ながら、だふん、待ち人来たらずの切なさにも似た。
そう。小説を書いている身としては、なかなかの獲物といえたのだ。
それにしても、デート?
が、すぐに得心がいく。やはり、何か特殊なパーティーのための仮装なのだろう。もしかしたら、お孫さんとのデートのつもりなのかも知れない。離れているのはたぶん、
「こんなに離れて……喧嘩でもなさったんですか?」
無名とはいえ、作家としての好奇心がかま首をもたげる。
「喧嘩どころか……心底愛し合った恋人同士なんですよ……」
好奇心はいっそう募る。
「それは素晴らしい!」
「なにせ、デートを了解してくれた嬉しさで、あれから半世紀近くたっていることも忘れて、つい押入れにしまいっ放しだった学生服に腕を通して、もう空に浮かぶような心地で……上野駅に直行。……緊張を鎮めるつもりで、ついトイレに入って……鏡を覗き込んだ瞬間、我に返った次第です……」
「我に返った?」
「見て下さい。あそこに座る恵子さんと……この老い耄れた私、つり合いがとれるとお思いですか?」
話の不可解な展開に、ここは作家として食い込むべきだろう。
「よろしかったら、そのへんの事情……お聞かせ願えたら嬉しいですね……」
「まあ、まっとうには受け取らなくて結構ですが……キチガイじじぃの戯言と思って……」
話は、一気に昭和三十年代の昔に遡って……
※
老人の名は、木下舜一……ありふれたサラリーマン一家の長男の生まれだという。
高校の一年の時、通学のバスの中で、当時中学三年生であった佐藤恵子さんに出会ったとのこと。もとより、単に見かけただけながら、舜一少年にとってはまさに雷の一撃のごとくに一目惚れしたようであった。
とはいえ、気弱の舜一少年になす術もなく、ひたすら見詰めることしか叶わない。
そしていかなる進展もないままに二年が過ぎ、セーラー服のリボンの色が赤から白に変わり、恵子さんは付属の女子高に進む。
舜一少年は勉学も身に付かず、成績は急落……益体もない詩をノートに書き連ねるの毎日のようであった。
じきに高校も三年に進級……しかし、その年の春から、なぜかパッタリと恵子さんの姿がバスから消え去ったのだ。
舜一少年は通学時間を前後にずらす……それでも恵子さんには出会えない。
気も狂いそうなほどの喪失感に襲われた、六月の初め……あたかも夢の扉を潜りぬけてくれたように、恵子さんが下校のバスに乗り込んできたという。
「……もう、私、感動で……ほとんど狂気といってもいい。私は勇気を振り絞って、彼女に声を掛けようと決心しました。この機会を逃したら最後、彼女は再び夢の世界に消えてしまい、二度と再び会えないような気がしたんです……」
舜一少年は、自分の下りるバス停を等閑に、車中の彼女を見詰め続け……そして四つ目で下車するのを見るや、即座に後を追い……そのまま追いすがって、
「自分でも何を言っているのか分からない。でもこれだけは覚えています。私は、振り向く彼女に向かって、こう言いました。『貴方を好きになりました!』 」
「すごい!」
「彼女……なんて答えてくれたか分かりますか?」
「いや……」
「私がまだその名前すら訊いていないのに、即座にこう言ってくれたんです。『私……私、佐藤恵子っていいます』……今でも鮮烈に覚えています。その時の恵子さん、本当に頬が桜色に染まってました!」
さすが感動のシーンとあって、老人の説明は些かしどろもどろになったが、要は、恵子さんの方も舜一少年を意識していたのだろう。どうやらバスから消えたのも、友人との付きあいで電車通学に切り替えただけというのが真相らしい。
木下老人はしばし瞑目の後、
「結局私達は、お互いに住所を教えあい、文通しようということになりました。まあ、昔のことですから、それが精いっぱいでした……。ただし……あの日の空の色だけは一生忘れられません。曇天だったのに……まるで、キラキラした光の粒が舞い散っているようで……」
めでたし……ということなのだろうか? いずれにしても、二人は当時の古い道徳律のままに「恋心」を裡に秘めつつも、手紙のやりとりを以て、そこはかとなく仄めかすの想いを綴りあったらしい。
俄然舜一少年も勉学に集中し、翌年は第一志望に合格。
「もう、私……有頂天でしたよ。自信もついて……思い切って、恵子さんとの初デートを手紙で打診したんです。ちょうど、当時も夢二の回顧展が上野で開催していたもので。もう舞い上がって、何処ということも忘れて……土曜日の二時に上野で待ってますって……」
「それで、初デートの方は?」
詰め襟老人は、不意に唇を噛むと、
「今か今かと……私は恵子さんからの返事を待ちました。性急とは思いつつも、手紙には自宅の電話番号も書いておいたので……、そして……」
大学入学の手続きを終えた日、当てにしていた電話のベルが鳴る。舜一少年はてっきり恵子さんからだと信じて……慌てて受話器を取る。
「……ところが、電話の相手はは恵子さんじゃなかったんです。彼女の母親からのもので……劈頭、『恵子のこと、ありがとうございました』……」
「……?」
「『恵子は先だって……縁があって……西の方に嫁いでいきました』と……」
「それって……!」
「あの日以降……私の人生は余生ですよ……」
不意に老人の口が重くなる。
結婚?
当時のことは分からないが、たぶん止むに止まれぬ見合いみたいな話でも持ち上がっていたのだろうか?
そして時は流れる。
生ける屍さながらの木下某に、人並の人生があったのだろうか?
大学卒業後、教職の道に進んだというが、いっさい恋人も作らず、見合い話も蹴り、ひたすら詩作に集中し、恵子さんの面影を追い続けていたのだろう。
やがて、五欲も涸れ……
「……ようやく、私は事実と、向かいあうことが出来るようになりました……」
「事実……と、申しますと?」
「そう、恵子さんの母親が私に知らせてくれたのは……娘が結婚したというのではない。西の国……そう、『西方浄土』 ……つまり、死神のものに嫁いで行ったということなんですよ。……でも、当時の私はそんなこと断じて信じたくはない。そうだ! 彼女は結婚したんだ……そう思い込んだわけです……」
僕は、改めてセーラー服の少女の方に視線を向けてみた。彼女は未だ、ベンチに腰を落としたまま……じっと誰かを待っているように見受けられるのだ。もしかしたら……
「そんなある日……恵子さんからの手紙が舞い込んだんです」
「手紙?」
「ええ……日付を見ると……まさしく彼女のお母さんが私に電話をくれた日でした……」
「いったい……」
「所詮、キチガイじじいの戯言。信じなくて結構ですが、そう……すっかり黄ばんでいる手紙には、間違いなく恵子さんの筆跡で……こう書いてありました。『土曜日の二時、上野駅でお待ちしてます』 って……。私はその瞬間……あの日に、あの輝ける日々に、舞い戻ったんです!」
「だったら、あそこに座っているのは?」
「恵子さんですよ。私が、生涯でたった一人、唯一愛した……佐藤恵子さんです!」
僕は、再び……木下老人が断言するところの……セーラー服の恵子さんの方に視線を投げる。可憐な口元が、何やら口ずさんでいるようにけなげに動いている。
たった今見たばかりの、夢二の……知られざる名作を見ているようであった。
たぶん……いや、きっと、恵子さんが口ずさんでいる曲こそ、「宵待草」に違いなかった。
待てど暮らせど来ぬ人を
宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬそうな
「木下さん! 行ってあげなさい、恵子さんのとこに!」
視線を戻した時、そこに老人の姿は幻のごとくにかき消えていた。
……あたかも、それが僕自身の影であったかのように……
了
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。