見出し画像

【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】【恋愛小説】 紫水晶(アメシスト) 9章・10章

        

       9


 どうやら奴の話から察すると、りん子の方も奴に惚れているというか、かなりはっきりと結婚を意識しているように思えた。いささか早急の気がしないでもないが、さだめて奴が無意識の裡に送り続けた熱い視線が伏線になっていたのだろう。

 俺なら、おんなからそんな予約された商品のように見られて付き合うなんぞ、ムシズが走る。これでは推理小説を終章から読むに似て、男とおんなのゲームにおける駆け引きの妙味を楽しむことは出来かねる。
 けだし、りん子的おんなというのは得てして推理小説を好まぬものらしく、結婚相手という真犯人に目星をつけたとたん――男ならそこで本を閉じてしまうのだが――ご丁寧にも、牢獄までの護送用の腰縄に凝り始める。当然八方美人ではなくなるわけで、無情の獄舎に最後の錠を下ろすまでは、判決の下った犯人、いや男一人を見詰め続け、その男に予想以上の力が見込める場合には終身刑すら言い渡しかねない。言うまでもなく、ある種のおんな特有の巧妙な手口ながら、その効果たるや抜群である。奴のこころが、メルティングチーズのようにとろけてゆく様が目に見えるようだ。

              10

 昼休みには、りん子によくハーモニカを吹いて聞かせた。なにせ、りん子がせがむのだ。寒いはずの屋上も、りん子といると妙にあったかい。
 ぼくのハーモニカに合わせ、りん子は時々小さく歌う。その澄んだ無邪気な声は、ぼくには天使の歌声に聞こえる。誰の目にも、並んで腰掛けたぼくたちはとっても仲良く見えたはずだ。だから、時にぼくのこのこどもじみた趣味を、からかいにくる同僚なんぞがいる。坊やお上手だね、先生はのけぞって褒めてくれましたか……なんてぐあいに。たぶん、「はもにか」の、卑猥な意味も込めてのことだろう。ぼくはてんで気にはならないのだけれど、その時りん子が相手を睨む目つきといったら凄まじい。キッとした攻撃的な眼差しで、まるで仇敵みたいに見据えるのだ。丸い大きな目が少し釣り上がって、かなりの迫力だ。苦笑していた相手も、鼻白んで退散しないわけにはゆかない。それからりん子はくるっと顔を戻し、今度はぼくの方が恥ずかしくなってしまいそうな調子で唱歌を歌い出す。

 ぼくが好きだと言ったので覚え始めたのかどうか、いつの間にかぼくのレパートリーを越えてしまい、逆に教わることもある。なんでも、こどもの頃少しピアノを習っていたそうで、譜面が読めるせいだろう。あいにくと、ぼくはお玉杓子はさっぱりだ。アパートの自分の部屋には先住者の置土産という年代物のオルガンが置いてあるそうだが、ぼくはまだりん子の部屋に行ったことはない。

 ←前へ 続く→


この記事が参加している募集

忘れられない恋物語

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。