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【短編小説】夜長町の怪(改訂版)

 

 疲れていたのだろう、雄吉はついバイト帰りの電車で居眠りをしてしまったらしい。


腕時計に目を落とすと、電池切れなのか、十二時五分過ぎあたりで止まっている。ポケットからスマホを取り出してみたが、まさか……こっちも真っ黒な画面のまま。
 ついあたりを見回すと、乗客は数人ほど、しかも窓外は真っ暗だ。

 自宅のあるS駅で降りるはずだったのに、たぶんその先のM駅も過ぎてしまっているだろう。今、どのあたりを走っているのか見当もつかぬまま、雄吉はつい電車の止まった駅に降り立ってみた。
 確か終点はS県のU駅……もしや東京を飛び出してしまったのかも知れない。
 降りた駅に人影は無く、どことなく古びたトンネルの内部のようであり、壁面にはやけに鮮やかな苔がむしている。はて、どこの駅だろう。少なくとも、まったく見覚えのない駅のようだ。
 見回すと、駅名の記されたプレートが照明に照っている。

 「夜長」

 聞いたことの無い駅名だ。矢印を見ると、次の駅名は「闇夜」。そして一つ前は「無明」。
 乗っていたはずのNB線に、そんな駅があった記憶はない。ここは冷静に。取り合えず、ついそこのベンチに腰を下ろしてみる。改めてスマホを取り上げたが、相変わらず黒い画面のまま……腕時計も時を止めている。

 やはり気が動転しているのか、構内であることも忘れ、煙草を取り出し火を点けてしまう。もしかしたら、夢遊病者さながらに、どこかの駅で別の電車に乗り換え、再び乗り換えを繰り返し……とんでもなく遠い場所に来てしまったのかもしれないのだ。
 東京育ちとはいえ、「夜長」なんて駅にも町にも聞き覚えはない。

 改めて、あたりに目を走らすと、つい先のベンチに、カタツムリのように身体を丸めた老人が次の電車を待っている様子だ。
 雄吉は、こっそりと煙草を携帯灰皿に捩じ込んでから、老人の方に歩を進め、

「あの、ちょっとお尋ねしたいんですが……」

 出し抜け声を掛けられたせいか、老人は感電したみたいにからだを震わせてから、こちらを振り向く。一瞬、ムンクの叫びを連想してしまう風貌だ。

「……なんか、迷ってしまって。目黒の方に行きたいんですが、ご存知ありませんか?」
「メエグロ……さあ? わたし田舎者でして。駅員さんにでもお聞きになったら……」
 そこで、言葉を止めて、構内の一方、電車の進行方向を指さす。その方は。左にちょっとカーブしていて、恐らく出口に通じているのだろう。
 取り合えず会釈をしてから、雄吉はその方に歩を進めてみた。

 確かに、トンネル状の通路には「西口」と記されてある。壁面には結婚式場やら、産婦人科の病院のパネルが掲げてあったが、全てに見覚えがない。
 それにしても、先の老人以外人影一つない。終電か、それとも始発に近いのだろうか。

 やがて前方にぼうって明かりが迫り、どうやら駅の改札らしい。歩度を早めると、改札の上部には「夜長町 西口」とぶつけてあり。その右手は駅員の詰め所らしい。
 窓口を覗き込んでみたが、人の姿が見えない。

「すみませーん!」

 意識的に声を高めてから、その上部に張り付いた路線図に目を移してみる。絡み合う静動脈にも似て、さっぱり分からない。目黒どころか、新宿も渋谷も、大井町も自由が丘も見つからない。
 じきに、部屋の向こうの扉が開いて、小太りの四十前後の駅員が現れ、
「あっ、申し訳ありません。ちょっとトイレに入っていて。なんかハツの串焼きに当たっちゃったらしいんですよ……」
 人の良さそうな温厚さに、ゆとりを取り戻して、
「あの、つかぬコトを伺いますが……とりあえず目黒まで行きたいんですけど……」
「メエグロ? 二つほど乗り換えますよ。ええと、まず、『胎児線』に乗って四つ目の『枯れ草町』で降りて、それから『御霊線』に乗り換えて、五つ目がメエグロです」
「全然、聞いたことのない路線ですね。で、その『胎児線』ってのは?」
「あっ、この改札を抜けて真っすぐ、四、五十メートルほどに郵便ポストがあって……そこを右に曲がって……『西夜長駅』に出ますから、そこから『胎児線』に乗れます」
「ところで……ここって東京じゃないですよね……」
 何県なのか聞こうとする前に、
「あっ……すみません、又ちょっと……」
 駅員は照れ笑いを浮かべつつ、そそくさと先の扉に消えた。

 しばし、待ってみようとも考えたが、まずは「胎児線」というのに乗ってみれば埒もあくだろう。雄吉は歩を進め、無意識のうちに交通系icカードの入った財布をタッチして先に踏み出した。

 街灯は頼りなく、明かりの点る店舗も目につかない。道は一応舗装されているが道幅狭く、左右に薬店や喫茶店の看板も闇に浮かんだが、相変わらず人の姿はなく、ほとんど廃虚の町という眺めであった。古びたビルもせいぜい三、四階のこじんまりした佇まいで、「夜長不動産」という看板が唯一淡い照明に照っていたが、ふと幽霊専用の分譲墓地を連想してしまう。
 改めて、煙草を取り出して火を点ける。やがて、駅員が言ったように郵便ポスト……しかも古式ゆかしい円筒形のやつが迫る頃、前方がぼんやりと白みかけてくる。まずは、早朝と断じてよさそうであった。
 ポストで右折すると、ここは車もゆとりを持って走れそうな道路になっていたが、あたりに人家は少なく、何が植わっているとも知れぬ畑や小規模の果樹園が点在している。
 通りも前後見渡してみたが、走り去る車はない。 

 人目もなく、つい煙草を足下に踏みつぶしてから先を急ぐことにした。

 じきに、煙るような早朝の薄明かりの中、鄙びた田んぼが水彩画のように浮かび、梨もぎの出来そうな果樹園も散見される。
 とうに廃園になっているはずの、子供の頃よく遊びに行った「向ヶ丘遊園」のことを思い出してしまう。「遊園」ではなく、つい「悠遠」の字を頭の中になぞって愕然としたが……確かに、悠遠に違いない。

 一つ年下の妹の由佳里が、たった十歳で黄泉に旅立ってから……もう二十年も過ぎているのだ。
 宇宙のどこを探したって、あんな可愛い妹は存在しないはずだ!
「おにぃちゃん」ではなく、いつも「おにぃたん」と呼んでくれて、二人の結婚式の絵を誕生日にプレゼントしてくれて……

 雄吉は知らず、泣きながら歩いている自分に気が付いた。
 
 そう。由佳里は生まれた時から心臓に病があって、移植手術以外生き延びる道はなかったはず。十歳を迎えた直後、ちょうど家族揃って「向ヶ丘遊園」に出かけた帰り、恐れていた発作に襲われ緊急入院。

 その時、小学六年だった雄吉は、子供だてらに担当医に掴みかかり、こう叫んだものだ。

「お願いだ。僕の、僕の心臓を由佳里に移植してよ!」

 棺の中の由佳里は、ウエディングドレスみたいな白いドレスを身に纏って……まるで天使じゃないかと、雄吉は確信したはず。涙なんかとっくに涸れ果てて……

 「由佳里……約束だぞ、結婚しよう!」

 冷たくなった由佳里の頬をさすりながら、そう呟いたことは……断じて修辞なんかではないと雄吉は今でも確信している。

 やがて、前方にぼうっと明かりが揺れ、「西夜長駅」の表示が浮かび上がる。
 かなり田舎の……いっそ遊園地を走る汽車の、御伽の国の駅みたいだ。それとも……そう。デルボーの絵に近い。

 思えば、デルボーの絵に触発されて画家を志し、そんな夢のような世界に由佳里の面影を描き続けてきたのだ。美術展には落選続きながら……そして、ようやく渾身の作を描き上げることが出来たのだ。

 見える! 自分の描いた世界がつい眼前に開けている!

 白いドレスの少女が後ろを向いていて……その向こうには、玩具みたいな汽車。
 たぶん、路線は「目黒」には通じてはいないだろう。それでも構わない。

「由佳里、約束を守りに来たぞ……」

 少女が、絵に描いたままの、天使の由佳里が振り返る。

「待ってたよ……おにぃたん!」 

 折しも、構内の放送が独特のアクセントをもって鳴り渡る。

「『胎児線』……始発、まもなくぅ……発車に、なりまぁす……」

               了

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