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【SF連載小説】 GHOST DANCE 17章

   

    17 復活


 数日間、冬吉は昏睡状態にあったらしい。それを教えてくれたのは、目覚めた直後部屋に入ってきたささやきであった。何度か、無駄な見舞いをさせたらしい。からだは水を含んだ毛布のように重いながらも、とりたてて苦痛はない。時間は夜の八時。窓にはカーテンが引かれ、輸液のチューブ痛々しく、改めての病人であった。それでも、冬吉が思った以上に元気そうなのに安心したのか、ささやきもちゃっかり緊張を解き、何やら顛末を知った口ぶりに、
「たいへんな災難だったね。刑天君も心配してる。それにしても、感謝することね……」
 話によると、刑天はささやきから貴宏と臓器ブローカーの密談のことを聞き、わざわざ新しい生首を頭に病院の門前あたりで見張りをしてくれたらしい。それとも知らず呑気に酔っ払った二人の、これが拉致されるを見届け、《プロジェクト・プシケ》に匿名の電話を入れたとのことであった。
「まったく、礼の言いようもない。彼は、どうしてる……」
「相変わらず待機中。ただね、『蟻の巣』の視察で判ったことらしいけど、アダムとイヴの噂がしきりだそうよ。刑天君、冬吉君と美也子ちゃんのことじゃないかって」
 能天気もいいところである。何がアダムとイヴか。軽薄な自己顕示欲のまにま、ジャズに浮かれていた身を冬吉は悔いた。もともと狗のくせに。頭になだれ込んだ記憶が、重いしこりとなって澱んでいる。

 澱みの中に沈潜しかけるところ、ささやきは注意を促すよう冬吉の肩を指先でつついてから、ポシェットを開いてボイスレコーダーを取り出すとわざとらしく声をひそめ、
「ねえ、聞いてみる? 又、盗聴したのよ」
「誰の会話だ」
「涼ちゃんと稲垣せんせ。なんか、貴宏の野郎の悪口言ってるみたい。それより、今日の涼ちゃん特にカッコ良かったよ。やっぱ、冬吉君より上ね」
「なんでえ、ぬけぬけと」
 ささやきはボイスレコーダーを冬吉に渡しかけたが、ふと思いついたようからだを横に向けると胸を反らせて、
「ねえ、見てよ」
「何を?」
「おっぱいよ。少し出てきたでしょ」
 今更ながら、相手がロボットということが頭をかすめる。心なしか、わずかな膨らみがシャツに認められたが、口にするのは気が引けた。反応しない冬吉にささやきは不満気な様子であったが、すぐにボイスレコーダーを枕元に置き、自分は椅子を引き寄せて腰かけると、持っていた分厚な本に目を落とし始めた。背文字を覗き込んでみれば思わず苦笑いの、「夫婦和合の法」と読めた。
 さっそく、冬吉がイヤホンを耳にボイスレコーダーのボタンを押せば、遊園地のようなざわめきをバックに、稲垣博士の興奮かくれもない声がどっと流れ込んでくる。
「……全く驚きものだよ。君。ほんの数日で、《愛の臓器》がほぼ完全に復活したんだ。貴宏のあさはかさも、とんだ瓢箪から駒さ。DNA万歳と私は叫びたい。なんと素晴らしい復元力か。
 しかもだ、君も見て判っているだろうが、あの二人の精子と卵子の試験管での動き。あれほど激しく求め合い、抱き合い、受精卵をたちどころに形成するなんて、この時代では奇蹟に近い。まるで、新婚初夜の閨房を覗くようだ。感動だよ。昂奮したよ。久し振りにペニスがうずいたね。
 これは仮説だが、あの臓器からはある種の放射線が出るのではないかと思う。そしてDNAの突然変異を促す。単なる『恋煩い』を引き起こすなんて次元のものではない。新たなる、劇的進化の夜明けだよ。我々の手でこの進化に加速をつける。ふん。時を得顔の今の院長なんぞ尻を食らえ。この私こそ頂点にのぼってやる。『ブルーカード』を握ってやる。
 どうしたね小菅君。君は感激しないのかね。なんで、そんなに沈んでいる」
「いえ……ただ、貴宏君のことが……」
「心配ない。今は謹慎させているが……手は打った。レシピエントがどうなるか無責任に見守ってやるさ。ドナーの出所までは判るまい。それにしても、あいつもあんな馬鹿をしでかすからブローカーなんぞにつけ入れられるんだ。それはそうと、貴宏のやつ、このところ頻繁に『蟻の巣』に通っているようだが、何か聞いていないかね。悪い女に捕まっているのではないかと……」
「さあ……」
「なら、いいが。いやね……いっ時は貴宏の嫁とも考えて交際させていた美也子君を、今回のことで被験者にしてしまったことでの不満があるのかと思っていた。まあ、本人は気にしないと言っていたがね」
「確かに、貴宏君は美也子君を愛してはいないようです。むしろ、先生に押しつけられたとか……」
「うむ。あの子のためを思ってのことだ。前院長が万一、『不老不死』の鍵を引っ提げて戻ってきた時のことを考えてね。はっは。私も、まさに愛国的夢を見ていたよ。しかし、今はもっと現実的な夢が掴める。『不老不死』も大切だが、君、現代はむしろ『繁殖』だよ。失踪した前院長なんぞよりはこの私の方がはるかに権力の頂に近い。なんなら、美也子君は君がもらえばいい。はっは、知っているよ……」
「実は、その美也子君のことなんです。どうも素性に問題が……」
「そう。確かに、前院長がどこで作った娘やら……しかし、今では戸籍上……」
「いえ、そういう意味ではなくて……」
「じゃあ、どういう意味かね。貴宏の嫁になるというのでやきもちをやいて、アラサガシをしたってことかね。だいだい君は人の素性をとやかく言える立場かね。それから一つ、君に言っておきたいことがある。君は『蟻の巣』の下品な遊びに夢中なそうだね。全く、血はあらそえない。まあ、別に君を責めるつもりはない。ただ、貴宏をどうしてそんなところに誘ったのかね。コロシはいいにしても、自分がいかに精力家たるを自慢したそうだね。貴宏は……」
「誤解です。僕は決して……」
「聞き給え。貴宏は男泣きしていたよ。確かに、君から見れば『人工ペニス』の厄介になる貴宏を蔑みたくもなるだろう。しかしだね、君のような完全主義者は現代ではむしろ例外なんだ。自慢することでもなんでもない。それに今の研究が進めば……君なんかに……」
「先生、僕は何も自慢なんかした覚えはありませんよ。それに完全主義どころか、欠陥はむしろ僕の方かも知れない。それより美也子君のことです。まだ、確たる証はないので即断は避けます。ただ、《愛の臓器》について言わせてもらえば、先生がおっしゃるような放射線でも突然変異でもない。美也子君にもともとあった……」
「何をたわけた……」
「いいえ、言わせてもらいます。美也子君どころか、人類には本来備わった臓器だと言いたいんです」
「気でも狂ったかね。この時代、アナトミーの基本に君は意義申し立てがしたいのか。もういい。話すことはない……」
 会話はそこで途切れ、物音から判ずれば、稲垣博士が席を蹴ったけはいであった。

 ささやきは帰りぎわ、一枚の写真を差し出し、
「冬吉君が、あたしのことを忘れないように」
 ニヤニヤ笑って、すぐに部屋を出た。見れば、ナース姿の美也子と、これを患者と見立てたか仔細らしく聴診器を使うささやきのスナップであった。おませなやつめ。気を利かせたつもりらしい。いつごろの写真だろう、美也子は今よりも頬がふっくらとしていて、屈託なく笑っている。まさに、孤独な少女の世話をやくの、ほのぼのとしたながめであった。たわむれに写真の美也子にキスをしようとしたとたん、笑顔とはさかしまの戦慄が走り……陥没した記憶のどす黒い塊が、血腥い毒の花となって冬吉の頭に咲き狂った。

 そう。かのミレニアムのクリスマスイヴ以後、美也子がぱったりと連絡を断ったのだ。同時に妻がやけに上機嫌で、父上への口利きもあったにして冬吉がかねて切望していた音楽プロデュースの仕事が入ったのだ。売出し中のロックバンドの海外でのレコーディング。外国のミュージシャンも使っての大掛りなもので、二十一世紀の年明け早々から冬吉はロスとロンドンの行き来にほとんど日本に帰る暇もない多忙に見舞われたものである。美也子には頻繁にメールを送ったが音沙汰無し。さだめてイヴの夜、こども扱いしたことを拗ねているのだろう。
 その頑なさに苛立ちを覚えたとはいえ、ついロンドンのホテルを訪ねてきた妻とベッドを共にしたは、酔った弾みとはいえ不覚であった。六月に一時帰国した自宅のスタジオで妻から妊娠三ヵ月の報を受けた時には、美也子への罪の意識から連絡することもためらわれ、すぐにロンドンに戻ったもの。いずれにしても、仕事が一段落つき再び日本に戻ったのは九月に入ってのことであった。
 そう。直後、アメリカの同時多発テロの惨事が勃発し世の中騒然のふぜいながら、冬吉は美也子に約束したプレゼントの曲づくりに集中した。妻の妊娠という引け目もあり、曲が完成するまでは美也子と会わぬことも誓ったものである。曲のモチーフはすでに決まっていた。四小節ほどの単純なメロディーながら手をかえ品をかえ、寄せては返す波のように変奏を繰り返す。そして、うちつけの転調。その工夫がつかず、冬吉は帰国からひと月ほど人にも会わず自宅に籠った。

 その日の夜、誕生日のプレゼントよ……妻がそう言って封筒を一つ仔細らしくピアノの上に置いが、冬吉は作曲に夢中で、中を見ることもなかった。明くる朝、冬吉が目覚めた時、妊娠七ヵ月の妻はすでに実家の静岡に帰ったあと。冬吉は正念場に徹夜を続けて譜面にペンを走らせ、ようやく形がついたのは十月六日のことであった。
 それから二日して、妻は家に戻ってきた。そして、音に起こした曲を耳に一人祝杯をあげる冬吉を認めると、訝し気に問うことに、プレゼントのご感想は……なんでも、バージンだったそうよ。科白の意味がとんと飲み込めず、冬吉はピアノの上に忘れたままの封筒をあけ、中の紙を引き出した。何枚かの写真が下に落ち、手に残ったのは印鑑の押された離婚届であった。半ば自分の曲に酔いながらつい漏れた言葉に、ありがとう。
 不意に、妻が金切り声ヒステリックに、飾りものの壷を床に叩きつける。砕け散る音を耳に何事かとその方に進みかけた時、ふと足下に散らばる写真が目に止まり、拾いあげれば叫びたいのは冬吉の方であった。流れる焦点の中、猿轡をかまされた美也子が新肌あらわに、おどけた仮面をつけた男によって惨たらしく穢されているスナップ。ミレニアムのクリスマスイブの夜の服装のまま、冬吉のプレゼントした雫形のイヤリングが床に落ちて美也子の涙のように光っている。
 出し抜けの妻の叫び声。あんたのこどもなんか殺してやる。直後、階段を転がり落ちる音。スタジオを飛び出せばつい横の階段の下に妻は倒れ、獣のようにうめいている。降りて様子を窺えば、すでに破水が始まっていた。冬吉はすみやかに救急車を呼ぶ。しかし妻につき添う気にはなれない。ガレージに向かい、かのおんぼろカーに乗った。

 急用を偽って看護学校の美也子を呼び出す。戸惑う美也子を乗せ、冬吉はアクセルを踏んだ。俺は今日から今村冬吉だ。そして、君は今村美也子。それでいいんだな。美也子は何も答えなかった。どこを走っているのかも、冬吉には判らない。スピード違反のけはいもあった。不意に、美也子が泣き出した。悲しいのか。嬉しいのか。同時にからだを冬吉に預け、とたんにハンドルは自由を失い、冬吉はとっさに美也子のからだを、かけがえのない己れのたましいのごとく固く、内側に包み込んだはずであった。

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