素敵な段ボールのお家
素敵な段ボールのお家
銀騎士カート
小説を書きはじめた頃、カート君にはマリさんという幼なじみの素敵な彼女がいました。立ち居振る舞いや言 葉つきにちょっと古風なところがあって、縁日なんかで浴衣掛けになると、周りのどんなおんなの子よりも、雰囲気がお香の煙のようにたゆたうのです。
実際、 マリさんは両親を子供の頃に亡くして、お祖父様とお祖母様を親がわりに育ったこともあって、どことなく時代遅れの観は否めません。一般の恋人同士みたいにキスをしたり抱き締めたりなんか、一度もしたことはありません。一緒にいられるだけで、余りある程の幸せなのです。お喋りの中身にしても、一緒に暮らしている黒猫の話や、大好きだという童謡や唱歌にまつわるエピソードなんかでした。手芸が得意で、カート君のために帽子やマフラーも編んでくれました。六本指の手袋なんか作るオチャメなところも あって、そんなマリさんとカート君は結婚したいと考えていました。
ただしカート君は当時、本当に小説の世界にのめり込んでいて、まるでマリさんのことを自作のヒロインのように思っていたのです。プロポーズの科白も、そんな小説の中から引用してしまったのです。
「僕みたいな無頼派についてくると、将来はホームレスになっちゃうかも知れないな」
小説のヒロインはその時こう答えます。
「素敵な段ボールのお家を作りましょうね! 」
でも、マリさんは真剣な顔つきで押し黙ってしまい……しばらく後に、こう言いました。
「ごめんなさい。カート君……わたし、あなたとやってゆく自信がないの」
風の噂で、マリさんが学校の先生と結婚して、こどもにも恵まれたことを知りました。今は、陰ながら幸せを祈るしかありません。
あの時、もしマリさんが小説と同じ台詞を返してくれたなら、カート君は、小説なんかほっぽらかして、就活に突っ走ったはずでした。
女の人はよく男の人に向かって、 「わたしと仕事……どっちを取るの?」
と迫って困らせるという話を 聞きます。
カート君は、即座にこう答えたはずです。
「もちろん、君を取るさ!」
男の人は時にこんな口をたたきます。
「俺から仕事をとったら何が残るっていうんだ!」
カート君には偽りとしか思えません。もしカート君が天職と信じた小説を捨てたとしても、カート君はやはりカート君なのです。戦争を起こすような人は大嫌いだし、ムンクとカレーパンが好きで、苔に心引かれる心情も変わりません。
今でもカート君はマリさんの夢を見ます。一緒にバスに乗っていたり、ポップコーンをほお張りながらボートを漕いでいたり、唱歌を口ずさみながら散歩したりします。夢から覚めてちょっぴり悲しくもなりますが、小説を書き続ける力にもなってくれるのです。
ただし、一つ……不安なことがあるのです。 そう。夢で見るマリさんが、どんどんとカート君とは逆に子供に戻ってゆくのです。高校の制服姿で現れた次の夢では、三つ編みの中学生になっていました。そして、つい先だっての夢で、マリさんはとうとう十歳くらいの小学生になってしまったのです。 でも、その夢は素晴らしいものでした。
公園のベンチでカート君が待っていると、つい向こうから子供のマリさんがセカセカと走ってくるのです。そして、得意げに手にしている数枚の画用紙をカート君に差し出すと、
「今日はカート君に、私の三つの夢をプレゼントしたいの」
マリさんが一枚目の画用紙を捧げます。
そこには、いろんな動物達が、鮮やかな色彩を煌めかせてで描かれてしました。馬がいます。トラやパンダもいます。フラミンゴやミーアキャットもいます……
「動物園? でも檻がないね……」
マリさんが説明します。
「ここは剥製動物園なの。だから檻なんかいらないのよ」
静かで誰もいない、早朝の剥製動物園。そんな世界をマリさんと一緒に歩いている所を想像します。生きている二つのの命が、鈴を振るような軽やかな音で小躍りしているようでした。
マリさんが二枚目の画用紙を捧げます。
そこには、パステルカラーのいくつもの星が輝いています。でも、星はどれも直径二、三メートルくらいの大きさしかありません。現に、星の一つにはマリさんとカート君が仲良く座っているのです。
マリさんが説明します。
「見て。私たちの座ってる星の中に、赤ちゃんが透けて見えるでしょ?」
「うん。誰なんだろうね?」
「夢の胎児よ」
マリさんが三枚目の画用紙を捧げます。そして、ひときわ溶け入るような笑顔のままに、こう言ってくれたのです。
「素敵な段ボールのお家を作りましょうね!」
その画用紙には、童話みたいな段ボールハウスが丹念なクレヨンで描かれていました。周りの本当の家は薄暗い感じなのに、正面に描かれた段ボールハウスだけはお花畑に囲まれて、五色の小鳥たちが囀ります。鋏で切り抜かれた窓にもレースのカーテンが揺れ、ちっちゃなテーブルにはママゴトみ たいなコーヒーカップも見えます。太陽と月が両方とも空に微笑んで、その段ボールハウスを見守っているみたいでした。
そんな画用紙を抱き締めたところで、夢はフツンと切れました。
今度マリさんが夢に出てくるとしたら、きっと赤ちゃんかも知れない。そう考えるとカート君はいたたまれません。
でも、たった一つだけ希望があるのです。
カート君が、マリさんをヒロインに本当の傑作を書き上げた時、その時マリさんは子供なんかじゃない、一人の女性として目の前に現れてくれる、そんな確信があるからです。
カート君は相変わらずのアルバイトを続けながら、小説を書き続けています……
了
貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。