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春はいつでも……


  大好きな夜の時間が日に異(け)に削られ、生暖かい風に嬲られる「春」という季節を僕はあまり好まない。

 ♬ 春はいつでも トキメキの夜明け……

 と、大滝詠一も歌うが、僕が心底惚れた女性を永遠に失ったのも、まさしく春のど真ん中であった。

 それにしても「青春」とはよくぞ言ったものだ。木々が芽吹き、人生の本格的スタートの見立てなのだろうが、……じきに鬱陶しい梅雨空が広がり、続いて酷暑の季節が待ちかまえているのだ。とても、浮かれてばかりもいられない。

 もとより季節の移り変わりが、即人生の流れと一致するわけではないだろう。春に雪を見、秋に花見をする人だっているはずなのだ。

 それでも、人間というのは古今東西を問わず、人の世の移り変わりを時間軸で捕らえたがるものらしい。春や朝を青春になぞえ、冬や夜を老年というふうに……

 確かに、それは上手な生き方なのかも知れない。春夏秋冬そのままに、恋をし、結婚し、子供を儲け、子育てに齷齪し、……やがて孫に自らの遺伝子を託し、愛する者たちに囲まれて、死出の旅につく……

 ご立派である。そんな修身の教科書にでも出てきそうな一生があるとすれば……

 僕は、人生のスタートラインがも必ずしも「春」である必要はないと激しく思う。
挫折や絶望という「厳冬」からスタートすることもあるだろうし、苦難や激痛に満ちた「酷暑」からスタートする人生だってあるはずだ。

 要するに、「人生」をどこで実感するかということだ。
 そう。人生を実感する、最も幸せな瞬間はたぶん「恋」なのだと思う。

 僕の場合、それは高校時代のことだ。通学のバスで出会った少女(当時中学三年)を僕は無言のまま三年間見つめ続けた。

 ♬ 春と聞かねば知らでありしを
   聞けば急(せ)かるる 胸の思いを
   いかにせよとの この頃か
   いかにせよとの この頃か

 まさに、唱歌「早春賦」の歌詞そのままであった。


  早春の余韻さめやらぬまま……一年の浪人後の受験間近、再びバスで彼女に再会した時、僕は、真実「運命」と信じたほどだ!

 僕は、その運命に操られるままに、彼女を見詰め続け、……そう、目をそらした途端、掻き消えてしまうのではないか……そして、彼女の下車した駅で降りると、夢を生け捕りにする意気込みで後を追い、その背中に向かって声を掛けた。

 「すみません、お話があります」

 戸惑う彼女に対し、僕はこう断言した。

 「あなたを好きになりました!」

 その瞬間、色白の彼女の顔が、文字通りの「桜色」に染まったのを、僕は今でも鮮明に覚えている。

 しかも、彼女は僕がまだ尋ねてもいないのに、間髪を入れずに答えてくれたのだ。

 「私……私、✕✕恵子です」

 その後、どんな言葉を交わしたのかも、僕は覚えていない。住所と名前を交換し合ったのだが、なんと僕は自分の住所の漢字すら間違えるほど動揺していたらしい……
 もとよりケータイなどない時代のことである。

 情けない話ながら、僕はその年の受験に再び失敗の憂き目であった。

 それでも、彼女とは他愛のない、いっそ幼稚な文通が始まった。クラシックカーの模様の入った彼女からの手紙の文面を、定かには覚えていない。ただ、お互い有意義な毎日を……というオザナリの言葉だけが、今では線香の煙のようにたゆたうばかりだ。僕自らが綴った手紙の内容に至っては、思い出すのも恥ずかしい。

 僕は、春霞の夢の世界の住民にでもなったようで、勉強は身に入らず、彼女の方は、どこぞの各種学校の手芸家に通い、夢は書道で身を立てたいと、やはり僕同様に夢の住民のようであった。

 結局僕達はその間一度のデートも、電話すらなく、……それでも、翌年にはさすがの僕も滑り止めの大学に受かり、オクテの身ながらこれを先途に「青春」のスタートを夢みたものであった。

 しかし、その直後のことだ。彼女の母親から僕の元に電話が入ったのだ!

 「長い間……ありがとうございました……」

 やけに丁重な言葉が、僕の耳に流れ込んでくる。続いて、

 「実は、恵子はこの四月✕日……永眠しました……」

 僕の「春」が、僕の「青春」が、プッツリと永遠に終わった瞬間であった。

 


 


 


 

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