見出し画像

【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】【SF連載小説】 GHOST DANCE 27章

   

     27 煙の山


 廃墟を出れば、知らぬ間に病院全体さんざめき、人波は浮かれ、賑やかなお祭りムード一色であった。提灯でごてついたプロムナードの角々では、ゴム製の健康そうなこどもの仮面が無料で配付されている。どの仮面も表情明るく、にこやかに笑っている。誰にも強制というわけではないが、老人たちに対しては、寄ってたかって仮面をかぶせていた。「不老不死」を謳う『金丹祭』に、老人の皺くちゃの面は、いっそ不吉というあんばいであった。冬吉と美也子もそれぞれ男の子と女の子のとぼけた仮面をすっぽりかぶれば、期せずして変装の、おまけに『ホワイトカード』の威光ものを言って誰はばかることなくフリーパスである。
 広場には紙吹雪が舞い、軍楽隊いさましく、ここかしこではサイエンスの勝利を祝うもろもろのイベントが催され、垂れ幕を見れば「悩殺 蘇る美人木乃伊」「枯れない花を見る宴」「恐竜動物園」「野良猫サーカス」「北洲千年への道程」等々、派手にぶつけている。遊園地の会場では、あたかも『蟻の巣』の薄汚い露店を豪華に飾りたてたけはいの店が居並び、幟には「笑う石」「臓器のなる木」「泳ぐ魚の骨」「花咲ジジイの魔術セット」等々コピー華やかながら、それぞれに曰くありげな科学者のコメントが貼りだされ、最新サイエンスの奇蹟をあおり、いやが上にも『金丹祭』を盛り上げている。こども達は誰もが永遠のいのちを謳い、しあわせの時代に酔い、女学生達は小旗を振って、今まさに出発しようとする金モールきらびやかな仙人捜索の隊員達に黄色い声援を送っている。しかし、冬吉と美也子、二人の逃亡者にとって祭の賑わいはうたて不安と焦慮を醸す仕掛けにすぎず、人ごみを掻き分ける足もおのずと早まった。

 無事検問所を抜け『蟻の巣』に逃げ込んだとたん、空気は打って変わって、同じ賑わいながら病院の軍楽マーチとはふぜいを異にする『ゴーストダンス』の冷ややかな哀愁に包まれた。すっかり秋めいた風に漂うメロディー啾々とひずみ、これが美也子への思慕を綴った冬吉のオリジナルとも思えず、住民達は恐れおののくけはいに街に溢れ踊り狂いながら泣き叫ぶ。
「カンナさーん」
「裕介じぃさーん」
「香奈江のお婆ちゃーん」
「リンダおばさーん」
「洋二おじさーん……」
「よみがえってよー!」
「帰ってきてよー!」
 踊る住民達の顔はと見れば『金丹祭』とは正反対の、皺だらけの老爺老婆の仮面いまいましく、若いやつも、こどもも、母親も、その背中の乳飲み子まで懸け、懸けた面の一つ一つがとうに死んだ祖先のデスマスクとでもいうか、名を呼び、残していったこころに染みる逸話を経文のごとく唱え、讃美し、焦がれ、踊り続ければ必ず蘇ってくれるものと信じ切ったふぜいに、天に向かって両手をくねらせ祈り続けている。
 ここ『蟻の巣』に於て、明るいこどもの仮面はむしろ人目を引いた。二人はそれぞれ翁嫗の面に着替え、乱舞する人波を掻き分けて『遊民窟』に向かった。無惨の赤子を産んだあかねのことが心配であったし、なにより逃げのびるための相談相手は他に思い当るはずもなかった。

 いっそひっそりした裏通りの、『遊民窟』を沈めたぼろビルの前についてみれば、地下に降りる入口に何やら事件直後の不吉さでロープが張られ、抜衣紋の遣手にも似た仮面無用のいぶせき老婆が二人、椅子に腰掛けてコーラを啜っている。どちらがどちらとも、見分けがつかない。双子か。しゃくれた顎と猜疑心の強そうな目つきに、冬吉はいにしえの妻の顔を見た。ともあれ、不審に思って覗き込もうとすると、
「あかねさんの知り合いかね」
 老婆の一人が声をかけてきた。冬吉は用心のため、この質問には答えず、
「何かあったのかな。ロープで通せんぼうなんぞして」
 もう一人の老婆が答えて、
「へっへ。大捕り物がありましてね。『遊民窟』とか、なんでもゲスなやつらの巣窟になってたらしいんですよ。実は、あたしらはこのビルの大家でして……とんだ迷惑な話……」
 先の老婆があとを続けて、
「あんたら、まさか、なんとかパルチザンじゃ」
「お門違い。単なる通りすがりだ」
「へーえ、それにしちゃ好奇心が旺盛で」
 鼻で笑うそぶりに、
「失礼ね。わたし達、病院のものよ」
 権高な口調で美也子が『ホワイトカード』を見せれば、二人の老婆はにわかに態度かしこまり、曲がった腰をさらに低く、
「これはこれは、病院の方々とは存じませんで。まあまあ、コーヒーくらいは飲んでいって下さいまし。それに、なんでございますが……通りがかりのご縁……香典なんぞを包んでいただければ……へっへ」
 双子の老婆は、もみ手卑屈に二人をいざなった。

 『遊民窟』の扉を引くと同時に、ムッと粘り着く悪臭、店内は逆さにして振ったけしきの狼藉ぶりであった。そして、老婆どもの思わせぶりの視線を辿れば……や、あかね。二人揃って一瞬にして身も凍った。
 そう。あかねは白無垢の死装束を身にまとい、目鼻のない赤子を胸に天井の梁からロープを首にぶらさがっている。すでに、死後何日か。悪臭はすなわち、腐敗はじめた死臭に他ならない。にも拘らず、そのふぜいはキリストを抱く聖母マリアにも似て、白い膚すきとおり、半眼に開いたまなこ神さびて慈悲とも呪咀ともつかぬ光を湛え、抱かれる赤子の口は懐剣による切り込みが赤黒い三日月をつくり、こちらを見下ろし、さもケタケタと笑っているけしきであった。
「仏の前、お面くらいは取って下さいよ」
 出し抜け、唖然とする美也子の背後から老婆の手がのびて、その仮面をむしり取った。美也子は振り向きざま、
「何するの!」
 慌てて仮面を奪い顔をおおったのに、老婆は歯のない口を歪めわざとらしく腰をのばしてあかねを振り仰ぐと、
「実はねえ、こいつを木乃伊に仕立てて、『蟻の巣』のマリア様とかなんとか……へっへ、商売をしようと考えてるんですよ。今、木乃伊職人を探している最中でして。つきましては、費用もかさむことですし……へっへ……ここに立ち寄ってくださる善男善女のみな様から、香典を頂戴しているわけでして……」
 美也子はうろたえて
「なんていうことなの。何が香典よ……」
 老婆は鼻の下をのばし不満の意を示していたが、冬吉が何気なくポケットから取り出したこどもの仮面を認めると急に目を細め、
「あっ、それそれ。あたしにいただけませんで……」
 すぐに奪い取って自分の顔に重ねると、
「これをかぶると、若返るんで? 嬉しや嬉しや」
 小躍りしてはしゃぎ出すのに、美也子も女の子の仮面をもう一人に手渡そうとしたが、はて……見当らない。やばい。冬吉は美也子に目配せを送った。老婆は二人の袖を引くと、
「どうぞ、ごゆっくり。コーヒーは今、じきに……」
 これを振り切って、二人は外に飛びだした。小走りに、息を弾ませながら美也子が言うには、
「ねえ、『煙の山』の方に……」
「煙の山?」
「ゴミの山のことを言うの。あかねさん、確か『煙の山』に逃げろって……」

 二人は、『ゴーストダンス』で踊り狂う盛り場を突っ切り、大通りに出た。走る車はさして多くない。その分、歩道に人が溢れ、病院を中心に群がって磁場でも作るに似た。二人は群集の流れに逆らって進む。つい目の前、車を降りた男がキーを差したまま人波に飲み込まれたのに、冬吉は美也子の手を引き素早く借用の、からだが倒れるとばかりUターンして大通りを走った。
 目指す『煙の山』は『蟻の巣』の外れにあるという。大通りは真っすぐのびる。『煙の山』に近づくことは、すなわち病院から遠ざかることに等しい。救済は、その一点にあった。
 いくつめの信号か、車を止めた機に背後を振り返ると、西日に照った病院の、超高層ビルの乱立が窺えた。ねじれ歪んだ、まさに二重螺旋の、天を鷲掴みにしようともがくバベルの塔のようであった。
 再び、車を飛ばす。対向車もめっきり少なくなり、歩道の人影もまばらになった。背後の病院は走るほどにも遠ざからない。車のあとを追う、機械仕掛けの恐竜のようでもあった。

 どれほど走り続けたものか……やがて、車窓から街の華やぎが消え、大地震に見舞われた直後にも似た廃墟の街が横手に流れ、不意に舗装が終わってタイヤが小石を噛んで痙攣するさき、豁然と目の前が開け、日の傾いた灰色の空を背景に黒々とした山の稜線が現れた。『煙の山』だろう。病院はあたかも『煙の山』に囲まれた盆地の、臍として君臨する蟻地獄のようであった。じきに大通りは切れ、デコボコした山の裾に出た。道はすでにない。冬吉は車を止めた。
 車を降りると、饐えたにおいが鼻をついた。病院の衛生学から切り捨てられたにおい。自分の体臭のようで、なぜか懐かしい。
 見渡せば、数十人のこども達が腰をかがめた潮干狩りのこなしで、何やら探しものに余念がない。辺りのゴミに目を流すと、有機物から無機物まで、およそ無用と断定されたもの達が諦め顔に散らばって風に揺れ、土に跪拝している。ゴミと沈めば、あまねく平等か。いや、そうでもない。もろもろの医療器具どもは病院の威光を帯びてキラキラと、ゴミの世界のエリートを自負して憚らぬようであった。
 不意に、背後にエンジン音が響いた。見れば、一台のダンプカーが鼻息あらく現れ、積載していた山盛りのゴミをぶちまけて走り去った。こども達は奇声かしましく、捨てられたばかりのゴミに殺到する。ほとんどが裸足の薄汚れたなりながら面つきしたたかに、目はギラギラと滅びたはずの野良猫にも似てふてぶてしいまでに輝いている。
 いかなる宝探しだろう。二人は何気なくこども達についた。こども達が熊手でゴミを押しのけるところ、一体、二体、三体、四体……合わせて十数体もの屍体が出た。どれも、まだ新しい。その一人に、冬吉は見覚えがあった。『遊民窟』で、サックスのサポートをしてくれたノリのいいベーシスト。こども達は歓声をあげながら屍体に群がると、手にしたナイフを器用に扱い、これを切り開き、時にその損傷に愚痴をこぼしつつも使えそうな臓器や眼球を抉り抜いてはクーラーボックスにぶち込む。見事、手慣れた作業であった。絶句して立ち尽くす冬吉に対し、美也子はむしろしらじらとこども達の動きを目で追いながらしんみりと呟くには、
「噂には聞いてたけど。やみの臓器ブローカーに売るのよ」

 二人はこども達の群れをあとに、『煙の山』を登り始めた。いくつもの起伏を越えるうちにゴミは半ば土と化して臭気も遠のいたが、不思議とほとんど植物を見かけない。雑草の野性も、すでに地球を見限ったようであった。

 仮面はとうに捨てた。仮面なぞ必要としない素顔の生活が、どこかにあるはずである。保証はない。美也子も何も語らない。しかし、進むしかなかった。いくつめの山か、その頂で冬吉は立ち止まり改めて背後を振り仰いだ。内出血したような朱が滲んだ西の空に、『第二螺旋病院』の姿は見えない。なんだか、気分だけは逃げのびたようであった。
「ところで、この先はどこに通じているんだ。案外タイムトンネルになっていて、現世に舞い戻れるんじゃないかね」
「わっ、ダメよ。そうなったら冬吉さん、奥さんのいる春吉さんに戻っちゃう」
 病院を出てから、初めて美也子が笑った。しかし、笑ったことを悔いるよう、眼差不安げに冬吉に身を寄せてくる。日も暮れかけた。疲れが足の裏から這い上がってくる。そう。この不毛の地には食い物も、水すらもないのだ。
「もう一山、越えよう!」
 気力の続く限り、その号令を確かな希望と信じたかった。美也子もうなずいた。それでも、今度の一山はやけにきつい。麓には、逃亡者のための旅籠でもあるというか。美也子は踵の折れたハイヒールを脱ぎ捨てると、スカートをたくしあげ太ももあらわに足を踏ん張った。小柄なからだの、さしたる脚線美ともいえぬ足ながら力感に溢れ、いっそたくましく照った。生きのびようとする女の意地。なにくそ。冬吉も、忍び寄る絶望を払い除けた。
 そして、ようやくにして登りつめたところ、試練の果ての希望の証か、出し抜け眼前ににおいたつ花園がひろがった。
「こんなとこに、こんな世界があるなんて!」
 美也子は目を瞠り、感動にほとんどむせび泣いていた。日の落ちる間際ながら花々は色さまざまに咲き乱れ、かぐわしいかおりを風に乗せ、ついそこにはせせらぎすらあって二人をいざなった。朝の光で見たら、どれほど美しいことだろう。二人は疲れも忘れ、せせらぎの水を掬って喉をうるおした。
 とたんに日が落ちた。冬吉と美也子は、からだを寄せ合って花園に横たわる。ちょうど、プラネタリウムの始まる心地であった。解説の声もとぼけた矢印もない代わりに、天球はゆっくりと回転し、三つ、五つ、七つ……明るい星が点滅し、突然数えきれぬほどの星月夜になった。

 ←前へ 続く→


この記事が参加している募集

眠れない夜に

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。