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【連載小説】 彌終(いやはて)の胎児 8章〖54〗

      8章〖54〗

 啓吉が唖然と立ち尽くしているところ、出し抜け右手の会議室に通じているらしい扉が開かれた。反射的に首を振ると、ついそこにかの教頭が、演舌のよそおいそのままに立った。ガキの分際ながら細身の葉巻をくわえ、片手に銀の握りのステッキをつき、それがいっぱしのカンロクにさえ見える。そして、その脇には、深紅のロングドレスあでやかに、口紅をテロテロと光らせた御息所嬢が寄り添った。 
 教頭はステッキで金盥を差すと、
「どうしたね、ドラキュラ君。校長を燃やしに来たんじゃないのかな。仕事がやりやすいように、せっかく金盥に移しておいたのに。意外だったかね。実は、君も芝居の中で見たとおり、校長は工作員の娘を手籠めにしたことで、底の底、どん底の悪夢までカラカラに使い果してしまったのさ。ん? 震えているのかね……」
 教頭は鼻先で嘲笑すると、御息所嬢の方に顔を向けて、
「どうやら、事務長さんの差し向けた刺客は臆しているらしい。君が代わって燃やしてあげなさい」
「心得ましたわ」
 御息所嬢は嫣然と笑うと、啓吉に近づき、すでに被っていることも忘れていたドラキュラの仮面を剥ぐと、顎のあたりを掌でさすってから、灯油の瓶とライターをふんだくり、あっという間に胎児のミイラに火をかけた。胎児はぶすぶすと黒煙をあげながら燃え始める。教頭はその方をしらじらと見詰めながら、
「君のことは筒抜けさ。娑婆の向井啓吉君であること。当校の生徒、五S‐三号を奪いにきたこと。そのことを取り引きのネタに、事務長から校長ならびに『桃源虫』抹殺を依頼されたこと。あいにくと、『桃源虫』の方は私しか知らない秘密の場所で飼育しているがね。まあいい。つまりは、事務長が唯一腹心と恃んでいた受付嬢が二重スパイだったってことさ。おい、ヤス君」
 教頭が開いた扉の向こうに声を掛けると、木刀を手にしたヤスが、腰低く、剥製にされた野獣のような笑顔でヌッと顔を突き出して、
「へえ、社長……」
「ヤス君、二重スパイがどんな目にあうか、こちらの向井君に見せてあげたまえ」
「へえ、ただいま」
 すぐに奥に引っ込んだのが、じきにぐったりと裸に剥かれた受付嬢を肩に載せて現われるや、ほとんど荷物さながらに床に放り投げた。受付嬢は白濁した目を薄く開き、口尻は紫色に腫れあがり、すでにしてコト切れていることは一目で知れた。胸こそ発育しているものの、その肉体に御息所嬢の不自然に熟れた曲線はなく、まだいたいけな幼さを十分に残している分、蚯蚓ばれ痛々しい鼠蹊部、そして、無惨に割られた桜貝を目の当たりに、啓吉は顔をそむけぬわけにはゆかなかった。
 それでも、ヤスはしたり顔に鼻の穴を広げて、
「おっちゃん、わし、この子とやったんや。痛がるからぶん殴って眠らしといて、三発も。イイ気持ちやった。愛ちゅうのはイイ気持ちなもんや……」
 教頭は、ヤスの話を苦笑しながら聞き終えると、
「向井君。これがスパイの末路だ。もちろん、首謀者の事務長も、今頃は『桃源虫』によって穴だらけだろうよ……」
 言葉を切ると、御息所嬢の方に葉巻を突き出した。御息所嬢は葉巻に火を点けてから、金盥を覗き込み、
「どうやら、校長センセも燃え尽きちゃったようね」
 教頭はゆっくりと葉巻をふかすと、やおら啓吉の方に顔を向けて言うことに、
「さて、これで遊びは終った。本題に入ろう。向井君、実は、私に協力してもらいたい。もちろん、事務長のように刺客なんていうブッソウな件じゃない。きちんとした事業だ。もし承諾してくれるなら、嘘偽りなく五S‐三号は君に進呈しよう。紳士的な取り引きだ」
「何をしろというんだ」
 啓吉はようやく言葉を発した。またぞろガキ相手とはいえ、加代子をダシに使われてはひとまず聞いてみる他なさそうであった。
 教頭は内ポケットから一枚の名刺を取り出すと、啓吉に差し出した。見ると、
                         

 彌終商事
「桃源虫」販売促進部長
      向井啓吉 

         
「どういうことだか……やはり遊びの延長みたいな気がするけど……」
「遊びは終ったと申し上げたでしょう。クラブで君もご覧のとおり、遊びにしか興味のない無能の仲間にはくたばってもらった。生徒達もクラブ参加の代わりに、全員ガラス板になってもらった」
 グサリと心臓を突き刺される思いに、
「だったら、加代子も!」

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