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【創作大賞2024オールカテゴリー部門】【短編小説】聖女伝説(改訂版)

あらすじ
 小学生の頃、クラスに、口紅を塗っていると誤解されて苛められている女の子がいた。
 僕には勇気がなかったのだろう。彼女を救うことは叶わなかったのだが……  

    聖女伝説



 街が、どんどんと変わってゆく。
 古きけしきが消えてゆく様を見ると、やはりちょっと感傷的にもなるし、どこか大きな力が働いていて、少年時代の夢を、見続けてはいけない危険思想として削除しようとしているようにも感じられるのだ。

 八百屋が消え、魚屋が消え、乾物屋が消え、文房具屋も消えた……

 そして、商店街の外れの、戦後まもない頃から生き延びていた飲みや街もすっかりと取り壊され……いずれ、曲も無い商業施設にでも様変わりするのだろう。

 思えば、僕が小学生の頃、この飲み屋横丁にあった小さなバー……奥まった所に位置していて、確か「聖女の館」という何やらいわくありげの店名ながら、そこのママさんの一人娘である安田安子さんのことは、決して夢の中から削除するつもりはない。

 今にして思うと、そのバーのママさんは色気というより聞き上手というタチの人だったようで、商店街のお父さん達にはかなり人気があったらしい。
 反面、お母さん達にはとことん評判が悪く、もとより誰が犯人とも知れないが、店の扉に「泥棒猫、死ね!」という貼り紙が何度か貼り付けられてあったという話も聞いた。

 そんなお店の娘だったせいか、安子さんはクラスではちょっと苛められっ子で、その分、いつも自分の存在感を消しているような地味な女の子であった。
 確か、僕と同じ母子家庭だったと思う。

 小柄で、顔も地味な感じながら、なぜか唇がまるでルージュを引いたように紅くて……なんだか、回りの女の子とは違った雰囲気を持っていたのだ。

 僕にしてガキの時分とあって、同級生とはいえ特別意識したこともなく、言葉を交わすようなこともなかったのだけれど、五年生の時だ。
 図画の時間に友達の顔を描けという課題で、全く偶然ながら、席が近かった安子さんと僕がカップルを組み、写生し合うということになってしまった。

 女の子の顔を描くなんて、ちょっと恥ずかしかったけれど……絵は得意だったこともあって、回りの男の子同士や女の子同士のからかいの視線もなんのその……自分の画力を見せびらかしてやりたいという気持ちの方が強かったみたいだ。

 実際描き始めてみると、俄然筆は進み、そっくりじゃん……という囃子詞も声援と受け取り、知らず、我ながらビックリするほどの美少女がそこに命を持ったのだ。
 もうあたりの視線なんか、てんで気にならない。唇に紅を差し、水でぼかした瞬間には、息苦しいまでの鼓動を感じたほどであった。

 美術担当の先生も覗き込んで、望外の賛辞を送ってくれる。
「凄いね、ラファエロの聖母みたいだよ……」

 僕もちょっと得意になって、緊張もほぐれたを幸便に安子さんの画用紙に目を走らせてみた。気付いた安子さんは、照れて見せようとはしなかったけれど、僕も子供の強引さで、画板を引き寄せる。びっくり仰天であった。描かれていたのは、本当に僕?
 そう。似ていたかどうかは別に……そこに描かれていたのは、漫画の王子様だったのだ!

 結局、僕の描いた安子さんの肖像は、廊下の壁の一番目立つところに張り出されることになった。ちなみに、これは美術担当の、お茶目なお爺さん先生の冷やかしとは思うが、安子さんの漫画の王子様はその隣という、カラカワレても致し方ない展示であった。

 まあ、僕は当時多少なりともワンパク少年ということもあって、あえて大人びた態度でふんぞり返っていたのだが……

 その一週間ほど後のことだ。放課後の教室で、安子さんが数人の同級生の女の子達に囲まれて苛められている現場に遭遇したのだ。それを知らせてくれた友達の話によると、安子さんが口紅を塗っていると先生に言いつけられ、職員室に呼ばれ、ついては無罪放免にされた直後のようであった。
 それでも取り囲んだ三人の生徒は、未だに安子さんが口紅を塗っていると信じて、これを糾弾しているのだ。
「安子、絶対に塗ってるよね!」
 一人の生徒の強い口調にあって、安子さんが小さく答える。
「塗ってないよ……」
「嘘よ」
「嘘つき!」
 残りの女の子が嵩(かさ)に掛かる。
「塗ってないよ……」
「なら、ティッシュで拭いてみなさいよ!」
 すかさず、ポケットティッシュを手渡す。

 安子さんはオズオズとそれを受け取ると、自分の唇にあてがう。もちろん、拭ったティッシュに紅色の痕跡はない。
「もっとよ、もっと強く擦(こす)らなきゃ!」
 安子さんは、ほとんどゴシゴシといった感じで唇を擦る。
「もっと! もっとよ!」
 安子さんの目から本当に、ポロポロといった涙がこぼれ落ちるのを僕はハッキリと目撃したのだ。
「もっと! もっと!」

 やがて、擦りすぎたせいだろう、安子さんの唇が裂け、血が滲む。ティッシュに血が滲んだのを確認するや、
「ほら、やっぱり口紅塗ってたんだ!」
「泥棒猫!」

 僕は、その一部始終を窓越しとはいえ友達と二人で目撃していたのだ。なのに……なぜか、このイジメを制止することを躊躇ってしまったのだ。

 改めて、当時を振り返って考えてみた。そう、常識的には僕はかなりワンパクでもあったし、即間に入り、やめろ、馬鹿やろう! ……位は平気で口に出来たはずなのだ。
 なぜ、それが出来なかったのだろう?
 確かにあの時……僕は、目に見えない大きな力が僕を押さえつけているように感じたのだ。先生よりも、回りの大人達よりも、お巡りさんよりも……もっともっと強くて大きな……それでいて理不尽な、そんな権力に押しつぶされていたらしいのだ。

 殆ど金縛りになっていた僕が身体の自由を取り戻したのは、すでにイジメも終わり、夕日の差し込んできた教室に安子さん一人、ポツンと取り残されてからのことであった。

 僕は恥ずかしかった。安子さんを助けられなかった自分がシャクだった。すごく後悔したにも係わらず、僕は安子さんに対して、慰めの言葉一つ掛けることは出来なかった。
 代わりに、僕はほとんど無意識のうちに、ちょうど返してもらったばかりの安子さんの肖像画を差し出して、
「これ、あげる……」

 それだけ言って、さっさと踵を返してしまったのだ。まだ涙の玉も乾き切っていないのに、ハンカチを手渡すことも出来ずに……

 僕は情けない自分を責め、今度こそはと臍を固めていたのだが、以来、安子さんが苛められている現場を目撃したことはなく、今までどおり口をきくこのもないまま時が過ぎた。

 じきに六年も終わり、卒業式の日のことだ。これは、友達の一人に聞かされことだが、安子さんのお母様がバーを畳んで、中学を待たずに二人でどこか田舎に引っ越すという。
 僕としては、その前に安子さんにどうしても、あの時の失態を詫びたかったのだ。
 
 その時の僕は、ちょっと堂々としていたかも知れない。友達のからかいを鼻で笑い、小学校最後の席に座る安子さんに声を掛けた。
「どうしても、言いたいことがある。あとで、この教室で待ってるから……」
 安子さんは小さく頷いてくれた。

 みんなの帰ったガランとした教室で、安子さんはすでに僕を待っていた。
 その時の安子さんが、なんだか随分と大人になっているようで、僕もちょっと用意していた言葉に詰まっていると、
「実はね……私、今日……口紅を塗ってきちゃったの」
 言われて、確かにそうなのかも知れないと僕も思う。たぶん、そのせいでずっと大人に見えたのかも知れない。
「あの……」
 だめだ。言葉が出てこない。代わりに大人の安子さんが、
「恵太君。ありがとうね。あの絵……一生大切にするから……」
 ついで、手にしていたカバンの中から、一枚の画用紙を摘み出して、
「これ……受け取ってくれる?」
 見れば……思わず息を飲むも道理の、あの図画の時間に描いてくれた……王子様の僕だったのだ。しかも、後で描き加えたのか、一振りの剣を腰に帯びた……

 その日を最後に、僕は安子さんには会っていない。クラス会にも、安子さんの姿は不在であった。

 やがて記憶からも遠ざかり、二十年以上が過ぎた。
 そして今、すでに瓦礫になってしまった飲みや横丁を後にする。

 そう。家に戻ったなら……僕は、記憶の倉庫である押入れをかき回すつもりである。
 売れない小説家のダメ人生にも……一瞬とはいえ、「王子様」の時代があったことを確認したいのだ。
 いずれ腰の剣を抜き放ち、僕のお姫さまを苛めた、あの得体の知れない妖怪を退治するためにも……
               了

 

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