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【SF連載小説】 GHOST DANCE 22章

  

     22 悪夢


 答えろ。答えろ。答えろ!
 野太い濁声が怒鳴り散らす。はて。ここは、学校の教室か。正面にぼんやりと黒板が見える。黒板にはところせく、ヌラヌラと光った色さまざまの物体がピンで留められてある。腑分けされた内蔵のようであった。
 声の主は教壇にあって鞭を手に、青いサングラスをかけているが、どうも稲垣博士のようである。近くに薄い緑色の液体の入った巨大な壜が置かれ、博士はそこから這い出したものか、雫しとどに、皮膚は糜爛して半ば崩れ、死臭まき散らすのふぜいであった。
 授業を受けている生徒はと見れば、ざっと数十人ほどの素っ裸あられもない赤子……いや、ずっと未熟の、誕生前の胎児に違いない。胎児の生徒どもはすでに授業に退屈とみえて、博士に向かって消しゴムを投げるもの、紙飛行機で遊ぶものなど思い思いの暇つぶしに、教室はしだいに騒がしくなった。とたんに博士の鞭がうなり、パタリと私語はやんで紙飛行機も火を吹いて墜落した。
 稲垣博士は改めて黒板の臓器を指し示しつつ解剖学の基礎を繰り返したのち、教卓の下から半透明の、拳大の風船状のモノを取り出して掌に載せた。風船は、風に乗る機会を窺うけはいに揺れる。一呼吸ののち、博士は再び口を開いて、
「これが、先ほども説明した《愛の臓器》である……」
 と見る間に、風船は博士の掌からフワリと十センチほど浮き上がって、教室に胎児どもの爆笑が沸き起こった。博士は慌てて手を伸ばし大切そうに掴み取ると、鞭で威しつけてから、
「静粛に。思うに、この《愛の臓器》はどうあっても臓器であらねばならぬ。埋もれていた遺伝子のしわざか。はたまた突然変異か。いずれにせよ、生物が生存するに有利な器官とあらば、それを発現せしめた遺伝子は正常なる地位を得てしかるべきである。けだし、この臓器はある種のホルモンを分泌し、性欲に直結する『恋煩い』を引き起こす。『恋煩い』とは、ある種の麻疹である。否、むしろ麻疹を促す精神の作用である。故に、第二のブレーンとも考えられる。とにかく、これが臓器ならば、DNAの塩基配列を調べることによって器官としての形質の発現を読み取れるはずである。ところが、ここに有り得べからざることが起こった。やはり、これは臓器ではないのか。そう。はっきり言おう。これは、単なる蛋白質の袋。まるで、湯葉で作った風船だ。単純すぎる。遺伝子DNAの冗談か。しかし、冗談にしてはシンコクすぎる。太い静動脈絡みつき、網状になってしがみつき、他のどの器官よりも重要だといわんばかりの思わせぶりだ。が、その実は、とんと意味はない。およそ生命のメカニズムに、ここまで人を食ったシロモノがあっていいものか。一言で言えば、これは鼻ぶく提灯で作ったアドバルーンである……」
 再びの爆笑が起こったが、博士は構わず、
「そう。どう考えてみても、これは遺伝子DNAの設計図に由来する臓器にあらず。では、いったい何物か。わたしの見解では、ある種の媚薬を格納する人体における内隠し。媚薬とは、すなわち人造ホルモン。対症療法の域を脱しないにせよ、《滅亡の遺伝子》の発射する死のミサイルを迎撃するパトリオット。百年前のキチガイ、いや天才博士の未来を睨んでの救命具。なのに、君は――!」
 博士が口調激越に、こちらを指差した。こちらとは、俺のことか。胎児の生徒達もいっせいに振り返った。どの胎児も、あかねの産んだ子のようにのっぺらぼうである。それでも、絵に描いて切り取った目鼻を福笑いさながらに貼りつけている。博士は、指を差したままさらに続けて、
「よく見ろ。ここにいる哀れなこども達を。君は、このこども達を救うために百年の時空を越えてきたはず。君は、すべてのからくりを知っているはずだ。いったい、この袋に……」
 とたんに、掌の上の風船がふわふわ呑気に浮き上がるのを、博士はジャンプ一番これを捕らえようとするが、狙い外れ勢い余ってひっくり返れば、福笑いの目鼻落としての再度の爆笑が渦を巻いた。
 博士は動ずることもなく、天井にへばりついた風船を指差し、
「君は、いったいどこに隠した。あの袋の中の媚薬を。君は卑怯だ。いや、悪かった。君は用心深いだけだ。無理に剔出して移植すれば、狂気を生む仕掛け。おそれいった。判った。もう馬鹿はしない。とにかく、目的はなんだ。地位か名誉か金か。君はあの袋、及び、中に納める媚薬の製法を知っているはずだ。おそらく、君はかの桑原博士のプロジェクトチームの一員だったに違いない。教えてくれ。答えてくれ……」
 博士はほとんど泣き出しそうな声で言い終わると、土下座いたましくその場にうずくまった。生徒たちが、私語に興じ始める。
 不意に、左手に窓があるのに気がついた。朝日か夕日か、明るい光が差し込んで揺れている。窓の向こうは、水中のようであった。海に沈んだ教室。点と丸とダッシュだけで描けそうな原生動物が、海のワルツに乗ってゆっくり泳ぎ回りながら教室を覗き込んでいる。水中博物館。焦点をずらすと、教室全体が窓ガラスに映って窺えた。一番後ろの机にガラス壜が置いてある。やはり薄い緑色の液体に浸かって、歪んだヨーヨーのような真っ白い脳、それに眼球が一個浮いている。なんだ、あれが俺か。はっは。いくら答えろと言われても、口がなければしゃべれない。
 出し抜け、博士が形相すさまじくこちらに近ずいてくるや、木製の椅子を振りかざし、ためらいもなく壜を叩き割った。こぼれた脳味噌は床に落ちた豆腐さながら、四方に散らばって、そこに無数のナメクジが海のワルツに合わせて這い回った。

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