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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】【恋愛小説】 紫水晶 (アメシスト) 17章・18章

        

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 俺としてもこのあたりになると、何をか言わんや……屋根裏で埃に塗れていたオルゴールを開けたような、黴臭い気恥ずかしさを覚える。
 そう言えば、奴がエレベーターの中で偶然出くわしたという大神専務に誘われて、昼食をご馳走になったのもその頃のことだ。どうやら、りん子のことでも考えて、一人ニタついていたのをからかわれたらしい。奴自身のどぎまぎする様子が目に見えるようだ。とっさに話題をそらすべく目を走らすところ、大神専務の左手の薬指に真新しいバンドエイドが巻かれてあるのを見付け、これを幸便に水を向けたという。専務はついはぐらかしたそうだか、このバンドエイドのイキサツ、後に俺の知れるところとなった。

 なんでも、奴がナイフの扱いが上手いという話を立ち聞いた大神専務が、自分とてガキの頃はナイフを常にポケットに忍ばせ、竹とんぼなんぞ造作なく作れたとほくそ笑んだそうだ。ゴマ擂りの女子社員どもが、わーステキと媚態をくねらすのに気をよくしたものか、さっそくペーパーナイフ代わりに愛用しているというカスタムナイフを取り出し、靴べらと一緒に吊してあった孫の手を素材に妙技を見せつけたという。
 ところが、指先は思うにまかせず、竹とんぼが造形されるまでもなく、産毛も剃れるというナイフの刃先で自らの指を断ち切ってしまったとのことである。鼻白むグルーピーどもを前に、専務は構わず竹を削り続けたものの、血だらけの竹とんぼはついにいっさいの飛行を見なかったという。たまたま居合わせた同僚の話によると、その時の専務の形相はすさまじく、ここまで追いつめられた苦しげな表情をついぞ見たことはなかったとのことであった。
 一方、又妙な噂が耳に入ってきた。りん子のおんなっぷりも奴を愛することで俄然高まったのだろうが、西洋的グラマー好みの大神専務が、りん子のことを「いい娘だ」と、しみじみ呟いたという。しかも、自分の年齢に対して弱音を吐いたとも聞く。めったに、そんなコトを口にする男ではなかったのだが……

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 四月に入った。今日はあまり暖かくはないけれど、背中に時々チクチクとした感覚を覚え、やっぱり粉っぽい春の大気だ。
 会社の昼休み、屋上でりん子と二人ぼんやりと外を眺めている。それだけで、なんだか充実している。一年前までの自分のコトを考えると、ゾッとする。孤独で猫背の、年取った顔のない青年。むしろ、他人のようだ。
 そういえば、りん子を知ってからというもの、いつだってぼくのこころにこびりついていた《瞳の中の風景》を思い出さない。あれは、確か、ぼくが小学校の二、三年くらいの時だったろうか…… 

 至少年はその日、一人部屋の中でハーモニカを吹いていた。春の光がレースのカーテン越しに差し込んでいて、時間も居眠りしているみたいだ。学校は休みだったけれど、朝から一日じゅうの留守番で退屈していたのだ。そして、何よりもからだがだるかった。遊びにくる友達もいなかったし、だからといって腕白どもの子分になって走り回る気力も体力もない。少年は部屋に横になり、何気なくハーモニカのボディーに自分の顔を映してみた。もっと黒い、逞しい顔になりたいと思った。
 その時、ふと、ハーモニカに映る瞳の中に、何か揺らめくモノを発見したのだ。なんだろう。少年は、もっともっとハーモニカを顔に近づけてみた。すると、瞳に点る小さな光の点の中に、葦のような植物が何百本も風にそよいでいる風景が見えたのだ。少年は驚いて、まばたきをした。とたんに、風景は消えた。少年は期待を新たに、再び瞳の中の光の点を凝視する。角度を変え、何度も何度も試みるうち、葦の見える風景の奥に、ハッキリとしたもう一つのけしきが開けているのを発見したのだ。
 そこには、早朝の光に照る小川が流れていた。長閑なせせらぎの調べが聞こえるようだった。覗き込めば、きっと水底(みなそこ)の小石が見えるほどに透き通り、銀色に光るいろくづの姿も見えるはずだった。けれども、その川の向こう岸には、まるで永遠の夜を封じ込めたような真っ暗な森が見えたのだ。そして、川のこちら側には一本の丸太がさながらベンチみたいに置かれてあり、その丸太は空洞だった。
 その日の夜、少年は高熱を出した。そして、熱に魘されながら、《瞳の中の風景》を夢に見た。川の近くにも行ってみた。思ったとおり、小魚たちがのんびりと泳いでいたし、あたりはやっぱり早朝の清々しい光に包まれていた。少年は嬉しくなって、躍る魚を目で追いながら丸太に腰掛けようと小腰を屈めた。そのとたん、向こう側の森が出し抜け目に飛び込んできた。何もかも、闇の中に溶かしてしまう常夜の森だった。少年は叫んで目を覚ました。                                    
 少年はその日以来、ハーモニカや壊れた顕微鏡の反射鏡を使って、いつでもその風景を見た。そして、空洞の丸太のことを『死のベンチ』と名付けた。あのベンチに、ぼくはもうじき座るんだ。少年は毎日そう考えて恐がった。
 時は流れ、いつしか少年の奇癖はなくなったけれども、《瞳の中の風景》だけは、繰り返し夢の中に現われたものだった。

 話し終えると同時に、
「ねえ、もしもよ。いつか夢の中で、そのベンチにわたしが座ってたら、どうする?」
 なんとも含みのある質問だ。ぼくはりん子の肩に手を置き、即座に答えた。
「きっと、すぐに君の隣に座っちゃうぞ。そうすれば、正面に見える夜の森も、小鳥の囀る朝の森になるのさ」
 目を屋上の内に向けると、五、六人のおんなの子たちが輪を作って奇声を発してる。そういえば、まだりん子と知り合う前に、りん子もそんな輪の中にいたことを思い出した。その方に視線を流していたりん子の眼差しが、ふうっと曇ったようだ。いつも明るいりん子なだけに、目を細めての寂しそうな表情はすぐに判る。
 ややあって、りん子は笑顔を取り戻してから、ぼくの方に顔を向け、
「わたし、なんだか最近、お祭りの輪からのけ者にされてる気がするの」
 しんみり訴えて目を落とすのに、ぼくとしては昨今のイジメのコトを連想し、相談を受けたせんせになったようで、しばし考え込んでしまった。
 と、不意にりん子が囁くような声で、
「ねえ、わたし…………」
 言い差したのが、
「あっ、そうだわ!」
 不意に声を高めて、パンと両の掌を合わせると、
「ねえねえ、お祭っていうんで思い出したんだけど、今年の夏、お休みをもらって仙台の七夕祭、見に来ない? 八月の六日から三日間なの。ねっ!」
 りん子は無邪気な口調で、仙台の実家ではぼくが泊まれる部屋は空いてるし、遠慮なくと、もう決まっているコトのように何度も念を押した。しかも、母親に会って欲しいと、それとなく仄めかしたのだ。最後に、改めて念を押すように指切りげんまんを強いると、自分の方から腕組みを求めてきた。ついで、はしゃぎ回る輪に向かってツンと意地の悪い視線を送り、
「そろそろ、行きましょ」
 と、キッパリ言って、ぼくを引っ張るようにして歩き出した。

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