【創作大賞2024オールカテゴリー部門】【短編小説】薫のワルツ
あらすじ
中学も終わろうとする日、雄吉はすでに廃校と決まったバレー学園で一人の少女と知り合う。こまっちゃくれた小学生で、勝手にバレーの練習をしているようなのだ。
しかし、次に訪れた時、すでにバレー学園は解体され……そこで、雄吉が見たものは……
薫のワルツ
中学生活も終わり、一週間後には祐吉も高校に進学する。
なんだか、「こどもの季節」も、引き摺られるように終わってしまうように思えるのだ。
受験を終え、のんびりとした楽しい春休み。友達から遊びに誘われていたのだけれど、祐吉はあっさりと断ってしまった。
それでも、受験勉強をしていた頃は、春休みには思い切りハメを外したイタズラで楽しもうとみんなで話し合い、その企みも計画していたはず……
洒落だけで編んだ百科事典の編集とか、中にはちょっとエッチな話も持ち上がったものだ。
祐吉にしても一つ提案していて、それは「UFOを見る会」の結成というものであった。
もちろん、祐吉はUFOなんて信じていない。でも、心理学を援用すれば、可能かも知れないと考えたのだ。
まず誰かが、空の一点を懸命に見詰めてみる。たぶん、人通りの多い商店街なんかがいいだろう。……何事かと何人かが集まってくる。
そして、仲間の一人かがこう呟く、
「もうじき見えるはずなんだ……」
そう。東の空に絶対、UFOが現れる。そんな心理が働く……
十数人ほどでも集まってくれたら、大成功。計画した祐吉達はそっと、空を見上げる輪から身を引く。そして静かに、笑いを堪えながら立ち去るのだ……
よくもまあ、馬鹿げたことを思いついたものだ。
仲間達はたぶん、今ごろはぞろぞろ意味もなく繁華街をうろついていることだろう。子供と大人の狭間にあって、……素敵なことが何なのかも、本当には分からずに……
そんなことをあれこれ考えつつ、祐吉は自転車を走らせ……目的地にたどり着いた。
※
そこには、もう三年の間廃虚同然に放置された古いバレエ学校がある。「小谷バレエ学園」。昭和初期に建てられたというレトロな洋館である。円形アーチの大きな窓、ドリス式の円柱……なんともレトロな味わいがあって、廃校になった直後には建物保存の住民運動も起こったらしいが、いずれご大層なマンションにでも様変わりするのだろう。
祐吉も小学生の頃までは、友達と一緒に自転車に乗って、秘密の花園の神秘に触れたものであった。見つかれば怒られることも承知で敷地内に忍び込み、窓から覗き見するけしきは文字通りに「別世界」であった。
そうなんだ! 板張りの練習場では花の精みたいな少女達が、華麗な舞いを垣間見せてくれたものだ。イタズラ盛りの祐吉達だったけれど、たぶん誰一人ふざけた文言などは口にしなかったはず。事実、うっとりと見惚れていたのだ……
それでも、当のバレエ学園が廃校と決ってからは、祐吉自身中学に上がったこともあって、空想よりは現実に目を向け始めたせいだろう……その存在自体、半ば忘れていたのだ。
にもかかわらず、今になって、なぜ……この廃虚に向けてペダルを踏んだのだろう?
たぶん、「少年時代」との決別のつもりで……
廃虚には勿論、「立ち入り禁止」の文字がデカデカと掲げられ、門扉の錆びついた鎖が行く手を阻む。しかし、子供の尻尾を持った身には、侵入するなど造作もないのだ。
祐吉は敢て犯罪者を自らに見立て、門扉から離れた弁天池の近くに自転車を移してから、侵入を敢行するこに決めた。
幸い、辺りに人影はない。
アダムはリンゴを食べたかったから食べたのではない。
禁じられていたからこそ、食べたのだ。
大好きなマーク・トゥェインの言葉を唱える間もなく、祐吉はあっさりと門扉を乗り越えた。
敷地内の前庭は石やガラクタが散乱し、雑草も生い茂ったが、祐吉は壁面沿いに、小学生当時の忍者の歩みで練習場の窓に忍び寄る。
そして、そっと覗き込むところ……湿った静けさに包まれて、もとより薄暗い板張りの教場には誰もいない。すでにカラッポになった、自分の「少年時代」の抜け殻でも見ているようでもあった。
ちょっとやり切れなくなって、ふと目を閉じ、かって見た華麗な幻の世界を思い描こうとした時、窓の向こうに声が上がって、
「嬉しい! 応援に来てくれたのね……」
ビックリして顔を振り上げると、窓のつい向こうに、一人の女の子が立っている。おいおい、バレエの盛装じゃないか! ちょっと薄い藤色のチュチュ……頭はアップにしていて大人びて見えるが、たぶん十歳位だろう。ティアラみたいに巻き付けた同色のヘアバンドにして、いっそ子供っぽい。しかも、胸もペチャンコだ!
昔の幻の出現に言葉を失っていると、
「もう、そんなにビックリしないで。私、何も幽霊とかじゃないから」
「うん、ちゃんと足もあるみたいだ」
「馬鹿、足がなかったらバレエ、踊れないでしょ。それより、よかったら入ってきて。やっぱり一人じゃ踊ってても張り合いないし……」
女の子は言うが早いか、早速扉を開いて祐吉を招き入れてくれる。祐吉も、夢見心地のままに、可憐なバレリーナーに導かれて、薄暗い教場に足を踏み入れる。
「よかったら、適当に座って。とにかく、私のバレエを観て欲しいのよ。自己流だし、そんなに上手くは踊れないかも知れないけど……いいでしょ?」
「わかった。すごく楽しみだよ」
祐吉は言われるままに、近くに散乱している古式の椅子を一脚引き寄せて腰を下ろす。
近くで見る少女バレリーナーは、色白の、一重ながら表情豊な涼しげな目、口元には控えめの花びらみたいな笑みが揺れている。初めの印象よりも、ずっと可愛い……
「じゃ、行くね。失敗しても絶対笑わないって約束してよ」
少女バレリーナーが踊り出す。
照明もないし、バックに音楽も響かない、……どだい、バレエの知識なんて皆目なのだから、どんな演目なのかも分からない。「胡桃割り人形」? 「眠りの森の美女」? ……名前だけは知っていても、内容はてんきりだ。
それでも、揺れ動くチュチュ……しなやかに波打つコルセット、トゥシューズから流れ出る、風にそよく草花にも似た動きに、祐吉は圧倒されっぱなしであった。
アン、ドゥ、トロワ……アン、ドゥ、トロワ……小気味の良い三拍子!
……七、八分ほどのバレエを踊り終えると、少女は掌を団扇にして首筋を扇ぎながら、
「分かっちゃ? ちょっと失敗しちゃったけど……そうね、私流の菫のワルツ」
ちょっと汗ばんだ少女バレリーナーは、そのままで一幅の名画のようだ。教科書で見たドガの絵よりも、ずっと凄いと思う。文字通り……まさに花の精だ!
祐吉も拍手を送る。がらんどうの空間に響き渡って、昔の仲間と一緒になって拍手している気分だ。当時は、そんな真似は出来なかったけれど……
「すごかったよ! 小学生の時も、よくここに来てこっそり覗いてたんだけど、こんな素敵なバレエ、見たことがない」
「ありがとう。正直……生まれて初めてなの、人前で演じたのって……」
「確か、ここってもう廃校だよね。なのに……」
「実はね……私、今も昔もここの生徒じゃないのよ」
「というと……?」
「あなたと同じ、こっそり見てただけ。それに私、春にしか踊れないんで……ここまで覚えるのも、大変だったんだから……」
「すごいと思う。本当の舞台で、オーケストラをバックにしたら、どんなにかなって……」
「でも、楽しかった。ねえ、春が終わるまでに、叉、見にきてくれる? わたし、このところ毎日練習してるから」
「ああ、絶対に……」
たぶん、バレエに憧れる、お茶目な近所の女の子なのだろう。祐吉にして、微笑ましい気持ちで家に戻った。
※
翌日にでも見学を予定していたのだけれど、友人と会ったり、新しい制服の調整や教科書、参考書の準備、……それにおざなりとはいえ、母上にどやされての中学時代の英語の復習……いろいろ忙しく、一週間はあっという間に過ぎてしまった。
やっと、自由時間を作り、祐吉が「小谷バレエ学園」目指してペダルを踏んだのは、高校入学式の前日のことであった。
お茶目な少女バレリーナーに会いたいという思いもあったけれど、いかんせん相手は子供、女性と意識するでもなく、春風に唆されて妄想していたのは、胸の膨らみが魅力的なクラスメートの則子さんや、モデルみたいな足をした博子さん……近いうちにクラス会をやろうとの約束に、ウキウキしていたくらいであった。
時間は午後三時ちょっと過ぎ、一端、青春のエッチな妄想に区切りをつけて、「小谷バレエ学園」の見える路地に踏み込んだとたん、……そこには思い掛けない光景が広がっていた!
もとより、近々と予想はしていたものの、既に敷地にはブルドーザーが鼻息荒く、建物の半ば近くまで解体が進んでいるのだ。
それでも、作業員達が数人、ちょうど一服の時間になったらしく、ブルドーザーのエンジンを止め、タバコをくゆらしながら缶コーヒーで寛ぎ始める。
目の前に広がる……まるで、空爆直後みたいな、蹂躙された世界……
もう、あの建物が見られないのかと考えると、祐吉にしていささか感傷的にもなり……しばし呆然と佇んだが、ふと何か形見でもという思いが浮かんでくる。
そう。練習場に敷き詰めてあった板の一片なりとも、記念に拾っておきたいのだ。たぶん、無料練習場を当てにしていたお茶目バレリーナーさんも、ガッカリしていることだろう。悄気ているなら、先輩としてプレゼントしたら喜んでくれるかも知れないのだ。
「あのー、ちょっとすみまません!」
祐吉は休憩中の作業員に声を掛け、かくかくしかじかと事情を説明すると、
「おー、今休憩中だし、どうせ廃材なんだから、こっちに入ってきて、好きなの持ってっていいぞ」
許可を得て、敷地に踏み込み、床板を物色していると、若い作業員が近づいてきて、
「ちょっと大きすぎるだろ。切ってやろうか?」
あっと言う間に、二十センチほどに鋸で切ったのを手渡してくれる。
「ありがとうございます」
祐吉も礼を言い、立ち去ろうとした時、ふと、ブルドーザーに押しつぶされた小さな花に目が止まった。
拾い上げてみると、未だ可憐な色を保ちながらも、根元の断ち切れた菫の花のようであった。
ふうっと、踊り疲れてレッスンバーにもたれていた、あの少女バレリーナーの姿が目の奥に浮かんで……
※
帰りの自転車のペダルを踏みながら、祐吉は景色が滲むまでに泣いている自分に気が付いた。
どんなに神様にお願いしても、もう二度と、ワルツを踊る菫のバレリーナーには会えないんだ……
人生の目覚まし時計が鳴り渡る……
そう。たった今、「こどもの季節」が、本当に終わったようであった。
了
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