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【長編連載小説】 My little God 第一章

    

    My little God  

                                           
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 ギラつく野性の眼光が、武藤倫吉の前に立ちはだかり、すかさず上がり框(かまち)に跳んで、つい横の階段を駆け上がった。
 唯一の相棒たる猫の「太尾(タオ)」であった。ちょうど一年前、まだ子猫の太尾が北窓の張り出しにでんと座り込み、大声でわめいたのが出会いである。おい、何か食わせろ。ちびのくせに、気合十分の面魂であった。尾の長い、茶毛の虎猫。オイルサーディンを振る舞ったが縁で、こいつ、我が家に居ついた。
 もとより、飼うなんぞという不埒な料簡はない。太尾の野性にして、人間ふぜいのかかる傲慢をはねつける。部屋は、野性の身にとっては単なる通路に他ならない。テレビの脇にマーキングおこたりなく、この路地を中心にちゃっかりテリトリーを張ったあんばいであった。
 近所のガキどもは、太尾を動く縫いぐるみと勘違いする。野性はこれを好まない。爪によるシツケ厳しく、ガキどもは見事手放しで泣かされる。目玉を抉られなかっただけ有り難く思え……という、気合いであった。これを教育と言う。
 尾頭付きでも献上するが筋のはずが、あろうことか、直後太尾が人様の冷蔵庫に押し入ったという陰口が流れた。件のガキの、下司な親による意趣晴らしと知れた。あいにく、太尾は冷蔵庫を破るという、飼猫のような娘師めいた芸を持たない。野性の血は、くたばった魚よりも、いのち賭して逃げるいきものを追う。
 倫吉の知る限り、太尾の初めての狩の成果は大きな蛾、ついで小鳥であった。いずれの時も、太尾は獲物を口に、そのデカイ目は矜持と自信に輝いたもの。そして、たった今見せた光も、以前に変わらぬ強かなものであった。てっきり、三度目の狩。はて、獲物はなんだろう。蛾、小鳥とくれば、おそらく、ちんぼこネズミ(ミッキーマウス)あたりか。うちつけのことで何とも判じかねたが、曲がりなりにも戯作を志す身、気になればこれを見定めぬわけにはゆかない。倫吉は外出をつい取り止め、太尾のあとを追った。

 太尾は二階に上がってすぐの部屋の、壁に押しつけたテーブルの下、ごたごたと荷物を積み上げた隙間で、いまだしぶとくのたうつ獲物を振り回しているらしい。いざ、正体を見極めるべく腰を屈めたとたん、思いがけずも、倫吉はテーブルの下から人語を聞いた。               

「離せ。痛い。やめろ……」

 人語を発するいきものに、さすがの野性も狼狽えたか、いっそ改めての身構えのつもりなのか、太尾が後向きのまま飛び跳ねてテーブルを出た。
 代わって倫吉の目に、出し抜け、人語を発するいきものの全貌が曝された。

 はて、これはいったいなにものか。とっさの印象は、胎児。せいぜい四頭身にして、身の丈十七、八センチの……二十センチとはあるまい。からだには、産着ともつかぬ白っぽい襤褸をまとっただけ。おまけに、素足寒々と、みじめに泥に汚れている。しいて思い込めば、やけに老成た胎児の、一足お先に浮き世の見物としゃれこみ、こっそり母体から脱走。物好きにもこの一月の寒空、そぞろ歩きの果ての迷子と……いや、待て、胎児にしてはちょっと個性がありすぎる。目付きはすでにして濁世をねめ回した生臭さに濁り、酒焼けのごとき赤鼻は狡知の胡坐をかき、頭髪の薄さはてっきりハゲに似た。口腔に歯は認められないが、これとて頬のたるみと重ね合わせてみれば、畢竟抜け落ちたふぜいである。それでも肌はつるりと白く、ぽっちゃりとした輪郭の、やっぱり赤子を思わせた。そう。胎児と老人のあいのこ。
 いずれにしても、このなんとも腑に落ちぬいきものを目のあたりに倫吉が言葉を失っていると、当のいきもの、再びはっきりとした人語の……さすが体驅に見合ったトランジスターさながらの音量ながら、枯れた老人の声色で言うことに、

「わしは、神であるぞ」

 あや、いかに感応すべきか。まごつくチャチな人間の理性にまさって、太尾の野性の対応は迅速であった。そろりと未知のいきものに近づくや、ためらいも見せずにその顔をペロリ。ただし、獲物に対する嬲りのけはいは微塵もなく、いっそ同臭と見立てての挨拶のようであった。相手も、これを拒まない。
 この野性の親睦を前に、倫吉の理性は見事退行、あかねさす原始のアニミズムに拠り所を見つけたあんばいで、つい浮んだ発想に、すなわち「ちび神様」。そのように、当の「ちび神様」は舌による太尾の祝福を軽くいなしつつ、
「うむ。こやつ、なかなか愛いやつじゃ。よって、今日よりわしの使はしめとする」
 それから、おもむろに立ち上がったのが、太尾を従えて歩み荘重にテーブルを出た。とたんに、派手なくしゃみ。かつがつ名を冠してしまえばしめたもの、少なくとも「幽霊」よりは付き合いやすそうである。

 倫吉はとりあえずこの珍客のためにファンヒーターに火を入れ、座蒲団を勧めた。「ちび神様」は礼も言わず、体驅に余るデカイ態度でふんぞりかえる。からだを幽かに震わせるは寒さが因ではなしに、怯えのけはいともとれ、それを糊塗する空威張りのようでもあった。
 ついで、「ちび神様」は仔細ありげに太息をつくと、足を組み直しつつ顔を上向けた。とたんに、そのふぜいから無垢なる胎児の面影は掻き消え、歴史を刻んだ宿老の、過去への長手に思いを馳せるに似た詠嘆が漏れた。はて。つい視線を辿れば、二年前に他界した祖母の、長押に懸かった遺影に違いない。「ちび神様」はしばしその写真を仰ぎ見てから、やおら倫吉の方に顔を戻すと、
「はな女では……」
「ええ、ぼくの祖母ですよ」
「いつ、亡くなられたのかな」
「二年前。享年八十八……」
「ああ、やはり運命。それにしてもお若い……」
「いや、あれは五十そこそこの写真らしいです。妙に生々しいもんで、敢て……」
「そうか。そうじゃろう……あの当時を髣髴とさせる……」
 しんみり呟いて、「ちび神様」が幽かに涙ぐんだ。なんとも訝しい。
「あの、つかぬ事を伺いますが、祖母をご存じで……」
「いや、なに。はっは、そう驚くでない。わしは神。そのくらいの通力は……」
 妙に歯切れ悪く誤魔化したのが、すぐに話柄を転じ、
「ところで、家族は?」
「はあ……いろいろありまして、今はこの家、ぼく一人という侘しさで……」
「ふむ。それは好都合。しばらく厄介になるぞ」
「あの……」
「なにが『あの』、じゃ。メイワクとでもぬかすか。わしは神。へたに逆らえば、神罰を食らわすぞ」
 倫吉は居ずまいを正すと、
「とんでもない。メイワクだなんて……」
「殊勝である。ついては、掟が一つ。わしのことは断じて他言無用。心得たか」
「はい」
「そして、わしを神として崇め、命に従うこと。よいな」
「はい」
「背信すれば、どういう目にあうか……判っておろうな……」
「ええ、勿論。あの、ぼく、いたって善人ですから、よろしく」
「よろしい。そのうち福を授けてやらぬものでもない。とりあえす命ずる。腹拵えがしたい。乳母をこれへ」
「は? めのと……と、申しますと……」
「ずばり、張蒼をきめこむ」
「チョウ……なんです?」
「知らんのか」
「はあ……」
「学がないのお。いにしえ漢の国の宰相と知れ。官を退いたあと、口に一本の歯もないことからして、婦人を乳母としてその乳を飲んで百歳過ぎまで生き長らえたと……歴史の書にしるされておる」
「へーえ、たいしたもんですねえ。でも、残念ながら……あ、そうだ。筋向かいの桜井さんトコ、乳飲み子を抱えた若奥さんがいますけど」
「で……面相の方は……」
「その……いわゆるオカチメンコで」
「なに。わしを愚弄するか!」
 いけね。倫吉が思わず跳び退けば、「ちび神様」もにわかに怒気をとき、
「まあ、よい。お前さんがあんまり緊張しているによって、単なるジョーク。はっは。とにかく、わしはミルクしか飲まない。買ってまいれ。メーカーは××乳業」

 とりあえず、命のまにまに倫吉は外に出た。相手はいかなる魔物とも知れない。それにしても、鬼面ならぬ異形の身の、「神」とうそぶくにしては、なんとも欲界のにおいが鼻をついた。かといって、化けの皮と侮るのも早計だろう。ちっぽけないきものほど、内に秘めた毒は強そうである。
 あいにく、指定されたメーカーは近所のコンビニにはない。やむをえず、いささか足をのばすことにした。新しいバイト探しも、とんだオツカイであった。途中の交番でふと足が止まりかけたが、てっきり受付が違うだろう。
 それにしても、祖母の幽霊を作中で扱おうとしたやさき、当の祖母に面識ありげな「ちび神様」の登場とはいかなる因縁だろうか……

 ときに、倫吉は長年、件の家の一階に祖母と二人暮しであった。母は倫吉が幼少のみぎりに父と離縁、しばらくは叔父を加えた四人の変則家族であった。当時の家はおんぼろの平屋で、四人でも広いとはいえない。後、叔父は結婚してアパートに移り住んだが、倫吉が中学に上がる頃、これは元来叔父の名義であった家を増築し、といっても十五坪ほどのちっぽけな借地のことだから、めいっぱい肩肘張った総二階にしつらえ、それぞれキッチン、トイレ付きの独立した家庭を形成した。母はその頃はすでに生命保険のセールスレディとしてなかなか遣手とあって、女手一つで倫吉を大学にまで入れたはいいが、なんの祟りか、元手むなしく、直後交通事故であっけなくこの世を去った。
 以来、一階の住まいは、倫吉と足腰達者な祖母の切り盛りで日常が育まれた。倫吉がブンガクという道楽にこころを向け始めたのも、その頃であった。
 というのも、倫吉は小学生あたりまで、父とちょくちょく逢っていたもので、これはてんで売れないモノカキの、母が見限ったのも無理からぬぐうたらながら、こどもの目には、この着流しの胃病病み、観念上ながら文士のカッコ良さと映ったものであった。その後親子の付き合いはしぜん消滅したが、こども時代のこころに焼き付いたイメージはしぶとく残り続けたらしい。
 それでも卒業後の倫吉は広告代理店勤めのまっとうなサラリーマンに落ち着くと見えたが、運命の糸くすしくも、ここが二年でぶっつぶれてみれば、やはり血の呪いか、再就職はちゃっかり繰り延べにして、知的博徒を気取るところの、投稿生活というぐうたらに殉じたしだいであった。叔父は非難したが、祖母は俄然倫吉の味方につき、一階と二階、ちょっとした冷戦が続いたもの。
 そんな折、祖母が階段から落ちるという事件が起きた。いのちに別状はなかったが、リハビリの甲斐なく、ついては車椅子の憂き目であった。筋からいえば、叔父のツレアイがこの面倒を見るべきだろう。ところが、出た話は、幾許かのカネをもって倫吉がこの仕事を請け負うハメにあいなった。股関節を患ったといえども、当初祖母は精神たしかにして手摺りづたいに一人で用もたすとあらば、世話といってもせいぜい見張り。戯作修業のぐうたらにはけだしもってこいの環境であった。

 かくしてそんな生活が数年続いたのち、祖母は悪性の流感で床につき、それを機に体力急速に衰え、しだいに寝たきりの状態に陥ったのだ。死の一年ほど前のことである。もとより、倫吉は家に閉じ籠り、四六時中祖母に付き添った。幾分煩わしい仕事も増えたが、これもルーティンワークと心得るところ、とりたてて世話がかかるでもない。
 その間、叔父夫婦は、定年と二人のこどもの就職を潮に、O市のツレアイの実家に移り住む計画を練っていたらしい。そして、祖母の葬儀を終えたと同時に、この計画を実行に移した。うまくしたもので、聞くところ、祖母の死と前後してツレアイの父親がぶっ倒れ、これは見事な垂れ流しの、定年後の叔父の生き甲斐もここの極まるという、なかなかの夫婦愛であった。

 さるほどに、かれこれ二年が打ち過ぎた。掃除なおざりにして、家はすでにガタピシしている。つい隣の家が半年ほど前に取り壊され、空き地になった。この家と同じ地主の土地である。いずれ叔父を通じて立ち退きは必定とあらば、倫吉のぐうたらも尻に火が点いたあんばいである。今のうちに自信作を一つ。今年の願掛けであった。祖母の幽霊を持ち出したわけは、家に閉じ籠っているいるうちにすっかり浦島太郎になっているらしい当方との、浮き世離れした二つの視点によって、欲望のレースに忙しい現代をヒニクる趣向であった。別に、幽霊出没を期待したわけでもないが、今の書斎は祖母が息を引き取った部屋である。
 それにしても、幽霊の代わりに「ちび神様」の登場とはいささか合点がゆかない。思うに、作品は時に作者を離れ、勝手に増殖するともいう。ミルクを手に帰途につく頃、倫吉はすっかり次の段取りを呑気に待つ、無責任な戯作者の気分に浸っていた。

  続く→


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