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自分の時代 後編

こんにちは、アルゴンでございます。

前編、中編長かったかと思います。

すみません・・。
需要無しの前編、中編はこちらから

今回は最後、後編です。もう終わりますので、ご安心ください。


ここまで付き合ってくださって本当にありがとうございます。

私の思いに付き合ってくださって。

是非、最後まで見届けてくださると嬉しいです。

鬱の頃は、書いてあるので、見たい方はそちらからからどうぞ。

細かい事が書いてあります。

高校生から、現在までのことを簡潔にまとめていこうと思います。(結果的に無理だった)

まとめで言いたいことを書いてありますので、めんどくさい方は、まとめだけでも(;^_^A そこに時代系列も載せてあります。


毎回言いますが、本当に需要無しです。自分の思いだけです。

高校生活 日常

自分にとって、高校生活は、良かった。

高校1年は友達作り失敗してぼっちだったけど、部活で居場所作れた。

ただ、その受かった志望校を高校2年最後でやめるという苦渋の決断。

何故そうなったか。それは成績にあるから。

今までおならで色々散々な目に遭ったのに、不登校の話等なかった。

それは、何故か?

成績がそれなりにあり、頭が良いんだという自分に自信持っていたんです。

でも、実際は大したことじゃない。

だって、頭の良い人なんて数え切れないほどいるから。

東大、京大等の優秀な大学に入れるか?と言われたら、NOだし・・。

真ん中より上という位だったから。

でも、当時の私からすれば、それが誇りだった。

今思えば、厨2病みたいな感じだった。

自分は天才!みたいな・・・(;^_^A

今振り返ると恥ずかしい。

高校1年はクラスが賢かったが、全体で考えると、高校2年からある、優秀なクラスに入れるくらいの内申と順位だった。

勿論、悪かった時期もありますが・・。でも結果的に良い方が多かった。

そしたら、高校2年の時に、その優秀なクラスに入れた。

私は、実力で結構数学が当時良かったのだ。といっても、大したことじゃないけど・・。

1位取った!とかそんなレベルじゃないから。

そこで、私は大学の時にパソコン系やりたいなと思ったから、そう思った時に、理系入ろうと思って、理系に。

そこで元々の友達がいて、助かり、一緒にて、青春の日々を送っていた

帰り道にカラオケ寄ったり、部活の子達と一緒に部活活動で集まったり等

思っていたより高校生活満喫しているじゃんというね・・(;^_^A

訪れた悲劇

だが、そんな学校生活の幸せは長く続かなかった。

2年の1学期の終わりから、おかしくなっていた。

自己臭症の再来だ

今になっての原因はあった。

そう、成績が落ちたのだ。

クラスがやはり優秀なだけあって、下から数えた方が早かった。

ビリに近い位・・。クラスの中では。

上には上がいる・・。

私、何も出来ない

今まで勉強という木にすがりよっていた私が、いつの間にか、落とされていった。

高校受験と大学受験は、次元が違う。

高校受験は、地域で考えればよい。

だが、大学はさらに内容も難しい&全国の賢い人たちが集まる

だから、その時になって、自分は大したことじゃないって分かった。

でも、受け入れる事が出来なかった。

そういった思いから、自己臭症へと脳は逃げた。

2学期以降は辛かった。別にクラスからなにもされている訳ではない。

ただ、皆が怖かった。

唯一味方の子が私が落ち込んでも傍にいてくれたのが唯一の幸いだが、自分の取り柄が失われ、抜け殻状態になった私に何も奮い立たせることが出来なかった。 今まで朝の0時間や土曜日に授業受けるなどは任意だったので、実力テスト、模試はその時から欠席するようになった。

でも、一時期的に諦めず、塾に1ヶ月間だけ通っていた。

でも、自己臭症で辞めてしまった(親に迷惑かけてしまった)

費用結構かかったから、今思えば、もう少し頭冷やして考えればよかったなって後悔しています。

不登校気味になった。 1ヶ月に1回は大体休んでいた。

それでも、奮い立たせて、学校に行って、辛い時は保健室に行っていた。

そんな日々を送っていた。

3学期、担任の先生や校長先生と親が話し、苦渋の選択を受けた。

高校3年間通う、大学に行かなくて良い。就職活動の支援をする。

もしくは

辞める 通信へ行く。

その時、行く学校が、母が中学時代病んでいた頃勧められていた通信だった。

そこに行く選択肢。

ずっと迷った。

そこで出来た友達と出来る限りなら、卒業したい。

でも、そこまで体持つのか!?

そう考え、悩みに悩んだ結果、通信行く選択した。

そのことを友達に話した。

そしたら、受け入れてくれて、私が高校中退したのにもかかわらず、大学受かった後、遊んだりしてくれた。

とても大事な存在で、有難かった。


通信後、就労移行支援に そこでおきた悲劇

通信で、高卒認定が取れ、就労移行支援に。

体験をし、良さげだと思って、本格的な通所に。

就労移行支援のシステムは、鬱になった経緯の記事、一番最初の上から見た記事をクリックすると、分かるじゃないかと思います。

就労移行支援は、主に、就職活動で上手く出来なかった子達が通う場所。

精神、発達障害などが通う所。

そして、2年間学び、新しい職場で馴染むように就労移行支援と会社側でどうやったら、行けるか、長く働けるか、そこを大事にしていく。

就労移行支援は、パイプみたいな存在。

そこに通っていた。
だが、鬱になる一か月前から、体に異変が起きた。

数字のミス、ぼーっとすることが増えた、喉が痛い等。

その時は、人数が20人が定員なんですが、それをオーバーする程の人で溢れていた。

基本、自己臭症の場合、人が多いと駄目なんです・・。

私通信の頃、バイトしていた時があり、大みそかから、お正月にかけてやる年賀状の仕分けを行っていたんです。だが、自己臭症で上手く行かず・・。

そういった経験あったため、私働けないじゃないかという不安もあったし、人数も多く、私にとっては落ち着きが無かった。

だからこそ、怒りがあったり、不安を自分の中で我慢していた。

それが良くなかった。

今思えば、相談すればよかったじゃないかと思うかもしれない。

解決できない問題だと思ったから

理由をもう少し言いたいところですが、被害妄想なのではないか?考えすぎと思われるかもしれないので、敢えて書かないです・・。

一人で抱え込む癖がある私にとって、それの積み重ねがあり、鬱にかかった。

鬱になる前は、眠れない、苛々する、些細な事でも気になるなどが増え、いつの間にか、体が上手く動かせなかった。感情も・・

そこから、今での課題、どう病気と向き合っていけるか?どうやったらストレス発散できるか等が発生するように。


B型事業所と出会って 鬱にかかるじゃないかというパニックや不安との闘い

B型に出会い、そこまでの期間が長かった。

半年以上休んでも進展が無く、ずっとそこからニートのような生活を送っていた。

母の我慢も限界に達していた。甘えていたから。

母 いい加減外に出なさい!いつまでも家にいたら、引きこもるようになる 
  よ!

 その親の喝を受けて、行動に出た。

 良さげだなというのがイマイチなく、親から降りてきなという声で

怒られるじゃないかと思ったら、タブレットで動画を見せてきたのだ。

 内容を見て、パソコンで出来る。しかも内容は自分に合った内容で、見終わった後、涙が出た。

母 アルゴンちゃんどうだった?

私 うん、何か、自分に合っていて泣いた・・。こんな私でも受け入れてく
  れる感じがあるなんて・・。私働きたい!!

 そう意志で見学

 体験、通所

 1週間に1回、月曜日の1時間の予定が、当時の管理者が、30分にしてみる?と優しく言ってくださった。
 その時、何か分かってくれているのかな?という思いがあり、嬉しさで
 はい!

 そう答えた。

 その際、何故そう言ったのか理由を言った。

管理者 アルゴンさんの場合、多分不安傾向が強いと思うんだ。
   勿論、鬱にかかって辛い経験もしてきたと思う。
   だからこそ、不安で怖いと思うんだ。
   30分だと気軽に出来るかな?と思って

私 ありがとうございます。どうしてわかったんですか?

管理者 何でだろうね(笑) 

 という会話だった。

 後に聞くと、顔に結構出やすいからのと、会話から聞いてそうじゃないか?と見抜いたらしいとのことだそうです。

 最初の頃は当然上手く行かなかった。外に出る事がこんなに大変とは思いもしなかった。

 外に出るのは、散歩と通院位だけだった私にとって、30分も体力使って酷いと家で3時間昼寝していた。

 でも、段々慣れていき、階段形式で慣れていった。

 気づけば、1年以上経っている。
 今では週3。まだまだ慣れていない部分もあるが、昔よりはこなしている。

  私に合う場所見つかって良かったなと思うし、お母さんが何も言わなかったら、きっと今でも引きこもっていたかもしれない。

 そう思うと、親に感謝です。

 そして、私としての課題、それは、病気とどう向き合って生きるか?

 私の精神系は基本治らない。完治しない。

 だから、治そうと思えば、思う程、治らないんだ。

 だからこそ、上手く付き合っていきたい

 ちょっとしたことで、鬱じゃないか!?と思ってしまう。

 例 あ、体痛い・・・。ストレス!?

   食欲ない・・ストレス!?
   
   眠れない  あああ、鬱じゃん!!!
  
   うん?胸が痛い?  あああ、鬱に近くなる!!
        ↓
   明日、鬱になっているかも。。きっと。もう、駄目だ

   とトラウマの時を思い出す。

 でも、それは、鬱に二度となりたくない、こんな思いをしたくないという気持ちの表れ。
 
 今通所していて、あ、行けるじゃんと思っても、時によっては、体調とか不安定な時あるから、私ここで鬱にかかるんだとかありますし。

 通所していても、鬱にかかる悲劇は、想像している事多い。

 鬱再発防止のために、していること
 
 自分一人で抱え込まず、誰かに話す

 自分に無理させない

 これだけは守るようにしています。

 それでも、鬱状態の時は無理だけど・・。

 そして、友達、家族の存在も非常に大きい

 だからこそ、今もやっていける。

 精神科に通わなくてもいい位、上手く付き合えるようになりたい。

 きっとそうなる為には、10年、いや20年、もっとかかるかもしれない。

 少しずつでいいから、前進みたい。

 新たな自分へと生まれ変わる為に。

まとめ (思い、時代系列など)


 思いが止まらず、書き進めたら、滅茶苦茶長くなりました。すみません

 時代系列をまとめます。

2018年 高校入学 ボッチ生活・・。 部活で居場所出来る

2019年 理系の優秀クラスへ。仲の良い友達と生活送る

   夏辺り 成績が悪く、クラスでもビリに近い。
      そこから自信失い、自己臭症再来

   2学期辺り まともに、勉強こなせない
        自己臭症のことしか頭になく、辛い時は休んでいた

2020年3学期 続けるか、辞めるかの選択肢で迷う
     理由は友達と卒業したかったから、思い出があったから。
     結果的には体の事を考えて、通信(中学の時、親から勧められてい
    たところへ)
     

2020年  通信入学

   12月年末 郵便の年賀所の仕分けバイト挫折・・。自己臭症で・・。
        (最後まで行きました)←偉い!

2021年4月 就労移行支援本格的な通所開始。
  
   5月 人数が一気に増え始め、おかしくなっていたが
     気づかず。
   
   6月 眠れないなどがあり、体に異変、鬱と診断される。
     そこから休んだ。


2022年 3月 親からの喝を受けて、調べる。
     良い所が無く、親の調べたものが結果的に自分には合うと
     悟った。

    4月 そこの場所に見学。管理者やスタッフさんが温かった。

    5月 本格通所 月曜の30分だけなのに、慣れなく、酷いと木曜
     辺りから憂鬱になっていた時も・・。

    8月 週2日に。 月曜と火曜の30分


2023年1月 週2日の1時間 月曜と火曜の1時間に

    6月 週3日の1時間 月曜と火曜と水曜の1時間


 自分にとって一番怖いもの、それは鬱・・。

 一番辛かったから。
 だから、恐れていたし、挑戦も怖がった。

 何もしたくなかった。

 でも、働くことで、通所することで、外に出ると頑張ったのが出て罪悪感が減った。

 慣れていき、気付けば1年以上の月日が。

 でも、鬱にかかるじゃないかという怖さは、まだ残っている。

 ちょっとしたことでも。

 多分、不安、強迫概念だと思う。

 でも、いいと思うんだ。
 
 だって、気付かなかったら、知らぬ間に鬱にかかっていたから。

 もう、自分に無理させたくないから。

 そして、新たな自分へと生まれ変われるように、色んな人に助けを貰って、やっていきたい。

 後、オマケとして、母と私の出来事を書こうと思う。

 母が言っていた。

母 私の教育は間違っていた。ごめんね

 と、手紙まで渡されていた。それは高校2年病んでいた頃。

 その手紙の内容を見て、泣いた。

 忘れたけど・・。(忘れるな) どんな感じで書いたのか、思い出しながら、当時を思い出して、後日書きます。

母 今は色んな頼れる場所知って、楽になった。お互い楽になろう

  その時に抱きしめてくれて・・

母 アルゴン、今まで本当に頑張ったね、もう無理しなくていいから
  お互いに泣いたのを覚えている

母 私が普通学級、支援学級選択していれば、きっとアルゴンに
  こんな苦しい思いさせずに済んだ。毒親になったし。

 でも、そうかもしれない。

 でもね、お母さん、普通学級でしか味わえない事沢山あったんだ。
 話すとキリがないので、いつかの時書きます。

 そこで良い友達に巡り会えた、社会という事を学べたから。

 後日、母と私の関係性を書きます。


 あまり書かれていなかったので、書こうと思います。

 非常に長くなってしまい、すみません。

 最後まで、私の書きたいという思いに付き合っていただいて本当にありがとうございますm(__)m

 今後もよろしくお願いしますm(__)m

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