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強くなくていい、弱さを曝け出して生きたい

自分がまさか、そんな風に思う日が来るとは思わなかった。

いつもヘトヘトになるまで頑張って、疲れたら思いっきり休む。で、また頑張る。そんな日々の繰り返しだった。私は調子の波がすごくて、頑張れるときは疲れも感じずエンジン全開でぶっ飛ばせるのに、波が最低のときは一日中ベッドから動けないくらい無気力状態になる。
前までは、それでも頑張れるならいいと思ってた。でも最近、そんな何もできなくなるまで頑張る努力は正しいのかと疑問に持ち始めて。

ふと、なぜいつも頑張るのだろうと思った。


頑張ったら褒めてもらえたからかもしれない。

頑張ったら結果が出ることが嬉しかった。
結果が良くなくても自分なりに頑張ったなら、悪くないと思えた。
人に期待されるのも好きだった。それだけできると思われているのだと安心できたから。
自分は頑張ることのできる人間で何事も努力でカバーできる、だから大丈夫だと思いたかった。

でも本当の本当は、できない自分を見るのが嫌で、弱い自分を受け入れることができなかったからかもしれない。自分を取り繕って、誤魔化してきたのかも。頑張ることで弱さを隠してきた。


強くなりたかった。
誰にも頼らなくても生きていける強さが欲しかった。

でも強くあろうとすればするほど苦しくなって。
今ならわかる。私がこれまで悩んできたことのほぼ全てが、理想の自分と現実の自分のギャップだった。「もっとこうあるべき」という考えは前向きだったかもしれない。けれど、そう思えば思うほど自分を縛っていた。


じゃあ、逆に弱くてもいいって思えたら??


人と話すときにうまく話せなくてもいい、気の利いたことなんか言えなくていい。
ピアノもちゃんと弾けなくていい。思い通りに弾こうとしなくていい。

求められる自分を演じなくてもいい。

そう思っただけで、ちょっと心が軽くなった気がした。


思えば、小説で心惹かれる場面や人物は、弱さを全面に出している部分だったり、脆いことを肯定してくれる言葉だったりする。

だから、自分の出来ないこと、苦手なこと、どうしようもない部分は隠さず、むしろ曝け出したほうがいいんじゃないかって。

それが、人間らしさとか魅力というものになるのかもしれない。


この結論に、まだ納得は出来てない。
いつも強がってきた私にとってはまだ受け入れ難い。「頑張りたい」「頑張ります」が口癖だし、頑張ることは当たり前、もはやアイデンティティだ。それをしないというのは、だいぶ抵抗がある。
だけど気が楽になったことは確かで。


囚われすぎず、ゆるやかに生きていきたい。

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