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天海和尚の明智平

天正10年、6月2日、早朝
本能寺の変により、織田信長が明智光秀により打たれる。

ここは藪の中…
ザッザッザッザッ
沢山の足音が聞こえる。
「光秀はどこだぁー!探せ!」
落ち武者狩りの山賊達の声が響わたる。
「光秀の首を取った者は秀吉様より大層な褒美わがもらえるぞ!」
「おおー!」

傾きかけた空き家の中
2人の落ち武者が横たわっていた。
明智光秀
と、その家臣
斎藤利三である。
光秀「もうここまでか…利三、介錯を頼む

利三「殿、諦めなさるな!生きて、生きて、生き延びてくだされ!」
ガサッ…
利三「誰じゃ!」
黒尽くめの服の男が刀を光秀達に向けている。
利三「貴様は誰だ!忍びか!」
黒尽くめの男「私は伊賀者だ。2人は服を交換しろ」
光秀「何故だ!」
黒尽くめの男「貴殿に会わせたいお方がおる。外に馬を二匹用意してある。早く着替えなされ」
黒尽くめの男は斎藤利三をじっと見つめる。
黒尽くめの男「利三殿、貴殿には影武者をやってもらいたい。なるべく遠くへ山賊達を引き付けてくだされ」
光秀「駄目だ!そんな事をしたら利三の命が!」
利三「この利三。最高の誉でございます。殿は生き延びてくだされ!」 
黒尽くめの男「時間がこざらん。お二方、お急ぎくだされ」
光秀、利三は各々反対方向へ馬を走らせた。

秀吉の陣
「殿!光秀の首を取った者が来ております!」
秀吉「通せ」
男は首桶を秀吉に差し出す。
秀吉が首桶を空け、首を眺める。
秀吉「なんじゃ、随分と腐っておるのう。しかし…兜が光秀の桔梗の紋じゃ。間違いない!おい、この者に金子を渡せ」
「はっ!」


その後の歴史は皆様ご存じの通り秀吉が関白となり、天下人となる。


とある屋敷の中。
黒尽くめの男「光秀殿、こちらで我が殿をお待ちくだされ」
黒尽くめの男が被りを取った。
光秀「は、服部殿!」
服部半蔵「しっ。今殿がおいでになった。わたくしはこれで失礼する」

襖がすっと開く
「光秀殿、ご苦労なされた」
光秀「徳川殿!」
家康「ワシは出遅れてしまった。天下は秀吉のものとなってしもうた。ワシは光秀殿の才を昔から大変買っておる。どうか、ワシの右腕となり、ワシを助けてくれまいか」
光秀「私が?」
家康「まずは髪を剃髪してくだされ、高級な紫の袈裟を着てくだされ。」
家康「名は天海僧正と名乗るが良い」
こうして出自不明の謎の僧侶、天海僧正が誕生した。

ある日、秀吉が老衰で死んだ。
その後は関ヶ原の戦いにより、東軍勝利。
しかし、まだ、家康の前には豊臣家が立ちふさがる。

とある日、豊臣方から家康へ1通の手紙が届いた。
豊臣秀頼が方向寺大仏の再建に関して、梵鐘の銘文を
国家安康
と刻んだというのだ。
天海「殿、これは勝機でございます」
これが所謂、方広寺鐘銘事件である。
天海「家康殿の字を分断させる呪詛であると、豊臣方にお手紙をお出しください」
これをきっかけに、大阪の陣が始まり、豊臣家は滅亡する。


家康は秀吉生前の頃、加増という名目で僻地江戸へ左遷された。
しかし、江戸の地は海に面している。
しかし土地は湿地帯だ。
家康は土地埋め、また、水路を沢山作る。
海からの荷物を江戸市中に水路にて物流をスムーズにする為だ。
これまでの物流は海から陸路が主流であった。
天海は中国の算命学にも通じていた。
江戸城を中心に道路がのの字に作られた。
それを水路がまたぐ。
江戸の町は風水に基づいて作られている。
後に出来る日光東照宮は江戸の町から見て鬼門にあたる。
風水かどうかはわからないが、それから江戸の町は繁栄し、現在の東京に至る。
因みに華僑が作った国、シンガポールも同じ作りだ。


それから家康は将軍職を次男秀忠にゆずり、自分は駿府に隠居した。
その際も天海を伴った。
次男秀忠とおごうの間には2人の息子と姫をもうけだが、長男、竹千代の乳母を家康は募集した。
1人の物腰の優しい女性に白羽の矢がたった。
名を斎藤お福と言う。
家康は駿府の城にお福を呼んだ。
そこに天海も居合わせた。
家康「そなた達、色々つもる話しもあるであろう。ワシはしばし席を外す」

お福と天海は2人きりになった。
お福が顔をあげる「殿、お久しゅうございます」
天海「福よ、利三にはすまない事をした」
お福「いいえ、父も誉にございます。昨日、玉さまと子供の頃よくお手玉のお相手をしてたので夢を見ました。お玉さまがあんな事になるなんて…」
玉事、細川ガラシャは明智光秀の長女である。
石田三成の軍に屋敷を囲まれた細川ガラシャは嫉妬深い夫、忠興から敵の手にるなら自害せよと言い渡されていた。
カトリックを信仰していたガラシャは自害はできず、家臣に槍で胸を付かれ殺害された。


お福は竹千代の乳母として江戸城に入った。
お福は献身的に竹千代を育てた。
竹千代が熱を出せば寝ずに看病し、竹千代の食事も自分が毒見をするという事までした。
当然、実母のお江より、竹千代はお福に懐く。
お江は竹千代に関心をもたなくなり、次男ばかりを可愛がるようになった。
将軍秀忠とお江は次男を次期将軍にしようと考える様になった。
お福は危機を感じ、江戸から駿府まで寝ずに走った…
駿府に付くと、あわてて家康が出てきた。
家康「どうしたのじゃ、お福よ」
お福「どうか、竹千代君をお世継ぎに」
お福はそのまま倒れた。


数日が達、将軍秀忠、お江、竹千代、次男が駿府に呼ばれた。
家康が上座に座り、皆、頭を垂れる。
家康「皆のもの、息災であったか?」
全員「ははぁーっ」
お江が利発な次男を即す「さあ、お祖父様の元へ」
次男が家康に向かって小走りする
次男「お祖父様ー!」
そこへ家康が「控えおろう!長男、竹千代を差し置いてお前が先にでしゃばるとは何ことじゃ!」
居合わせた全員が凍りついた。
家康「竹千代や、爺が菓子をやろう。近う寄れ」
竹千代は怖ず怖ずと家康に近づく。
家康は竹千代を抱き上げ「憂いやつめ。皆のもの、良く聞け!次期将軍は竹千代である!」
竹千代は生涯この出来事を忘れる事はなかった。

竹千代は家光と名乗り、将軍となった。
この頃には家康は亡くなっていた。
駿府に墓を作り家康は神となった。
天海は家康を大照大権現と名付け、神格化した。

天海と将軍家光が茶をのんでいた。
天海「将軍さま、日光は男体山、女体山とあり、大きな湖があります。江戸から見て、鬼門にあたります。丁度日光に権現さまの神社を建て、高い位置から徳川家、そして江戸の繁栄が永遠に続く様に神社を建て、権現さまの御霊を日光に移しましょう。」
家光「お祖父様は私の恩人である。豪華絢爛に奉れ!」
こうして豪華絢爛の日光東照宮が出来る。
山の裾野は明智平と名付けられた。

このストーリーは筆者が明智光秀天海和尚説にもとずいて書いたものである。
私は何回も日光東照宮へ訪れている。改修工事前は、陽明門には2人の桔梗の紋を着けた武士が鎮座していた。
桔梗の紋とは明智家の家紋である。
なんとも不思議だ。
事実は定かではないが、歴史にロマンを感じるのもたまには良いではないか。








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