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ああ無情のドイツ語学習。20年経っても、いまだマスターできず(涙)。

ドイツ語は難しい言語だ。英語と同じゲルマン語族なので、英語と兄弟のようなものだが、文法が英語よりずっと複雑だ。

もう20年もドイツに住んでいるが、いまだに完璧なドイツ語を書いたり、話したりする自信がない。1文も正しくは書けない、と変な自信がある。現地の大学院も出たし、C1テストも「良」で合格した。それでも、だ。

どうしてそんなに難しいのか考えてみたいと思う。

難しいドイツ語

例えば英語の冠詞「the」というところに、ドイツ語は3つある。「der」と「die」と「 das」だ。男性名詞、女性名詞、中性名詞だ。名詞に性があるのだ!

ドイツ人は直感的に、名詞を聞くと男性が、女性か、中性かわかるのだ。例えば「机」は男、「太陽」は女、「本」は中性と。外国人はこれを覚えないといけない。ここを間違えると、文全体に影響を与えるのだ。だから文を書くときは毎回辞書を調べないといけない。ほぼ毎日調べている。そしてまた忘れて、また調べる。そもそも日本語には冠詞がないから、冠詞を使うこと自体を忘れてしまう(それでも通じるから、間違いは化石化する)。

形容詞の活用も相当ひどい(複雑だ)。定冠詞と不定冠詞、単数と複数、格の関係で、形容詞の語尾がチョコチョコと変化するのだ。例えば英語だったら、red apple のredはいつもredだと思う。複数形だからreder, redesとかならないでしょ?ドイツ語はそこがいろいろ変わるのだ。

東京のゲーテ・インスティテュートで形容詞のテストがあった時、友達が泣いたぐらいだ。大人の女を泣かせるほど、形容詞の語尾変化は難しいのだ。

そして一つの単語が長い。例えば「Kraftfahrzeughaftpflichtversicherung」(自動車賠償責任保険)や「Aufmerksamkeitsdefizithyperaktivitätsstörung」(注意欠陥多動性障害)など。これ、一つの言葉だ。いくつかの名詞が重なり合って、一つの言葉になっている。

日本語は漢字のおかげで、短く的確に言葉がまとめられているのだなと思う。漢字だと意味が目に飛び込んでくるのもいい。アルファベットだとそうはいかず、一字一字を読んでいかないといけない。知り合いのドイツ人の日本学者は、日本語の新聞の方がドイツ語の新聞より速く読めると言っていた。漢字が表意文字のおかげだ。

『トムソーヤの冒険』を書いたアメリカの小説家マーク・トゥエインもエッセー『ひどいドイツ語』の中で、ユーモアをまじえながらも、長いドイツ語について散々文句を言っている。「死人だけがこの言語(ドイツ語)を学ぶ時間がある」と書いている。彼も相当苦労したんだろうなあ。アメリカ人にとってもドイツ語は難しいんだなあ。

分離動詞というものもある。1つの動詞が突然真ん中で切れて、2つに別れるのだ!例えば einkaufen(買い物する)という動詞はeinとkaufenの2つに切ることができる。 Lisa kauft im Supermarkt ein (リサはスーパーで買い物する)というように、スーパーという単語の前後を別れた動詞で挟む。これも慣れないと、どれとどれが繋がっているのかわからず、辞書を引くこともできない。

前置詞とかも難しいし、もっといろいろ難しいものはあるが、キリがないので、例はこの辺でやめておく。

なぜドイツ語は難しいのか

まず、母語の日本語と全然違う言語だということが大きいのだと思う。以前、中国語を勉強していて、今韓国語を勉強しているのだが、やはり日本語と似ているので勉強しやすい。日本語の語彙や文法が役に立つのだ。しかしドイツ語と日本語ではそうはいかない。

でも英語とドイツ語はゲルマン語族なので、ドイツ語を勉強すると、英語と似ている言葉が多いことに気がつく。ほぼ同じ言葉がたくさんある。例えば英語のcatastrophe(大災害)はドイツ語でKatastropheだ。CをKにしただけ。こういう例がたくさんある。だからドイツ語のおかげで、英語の単語がずいぶんわかるようになった。

あと、個人の才能とかもあるだろう。特に発音の良さは耳の良さと関係しているし、努力では難しいところがある。幼少期をこちらで過ごしたバイリンガルには、どうあがいても太刀打ちできない。同時通訳をやるほどのレベルの人はやはりバイリンガルの環境で育った人が多い。大人になってから外国語として学んで、同時通訳のレベルまで行った人は、すごい才能と努力の持ち主なんだと思う。尊敬してしまう。

それでも勉強は続くよ。どこまでも

才能のある人やバイリンガルをうらやんだところで、何も始まらない。ドイツに住んでいる限りは、生きていくためにドイツ語の勉強は必須だ。

それでも過去の自分と今の自分を比べてみれば、成長したことがわかる。最初はSchwester(姉 / 妹)と Schwein(豚)の区別がつかず、「私の豚は日本に住んでいます。」とか言っていたのだ(笑)。この言葉、今となっては全く違って見えるが、初級者にとっては、そっくりに見えたのだ(ドイツ語はSchで始まる言葉が多いが、それが全部同じに見えた)。

今は特に学校に通って勉強などしているわけではないが、毎日の生活で出会った言葉を勉強するようにしている。メールやニュースを見ていて、知らない言葉があれば、その都度調べるようにしている。例えば感染症関係の言葉なんて、感染症の流行前は全く知らなかった。「隔離する」とか「治癒する」とかは最近覚えた。

現地に住んでいてもこうだから、外国に住んでいながら、外国語をマスターする人を尊敬する。今はネットがあるのだから、外国にいながら外国語をマスターすることも理論上は可能になった。実際、そうやって成果をあげている人もいる。すごいなあと感心しかない。そういう人は自分で自分に教える術を心得ているのだろう。

というわけで、語学の勉強の道は長く、険しく、一生マスターできないかもしれないけど、一生勉強し続けるしかないのだろう。せめて楽しく学んでいきたいものだ。

最後になったが、ドイツ語を勉強してよかったことを考えてみる。

ドイツでやりたかった職業につけた/ 外国人の彼氏をはじめ、多くの人とコミュニケーションが取れる/ 生活するのに不便がない /ドイツで英語を使う必要がない /ドイツの文化や考え方に触れられた(日本以外の価値観に出会った)/英語以外の外国語が勉強できた

別にドイツ語に限らないが、外国語はその国への扉だと思う。その国へのチケットのようなものだ。その扉から入って、全く別の文化や風景や人々に触れられる。そして現地の人との出会いが人生を変えることも多々ある。だから人々は外国語を勉強するんだろう。

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