あんなに一生懸命考えても
こないだなんかの拍子に「さすがに脳みそを細胞として受け入れざるを得ないな」と思い立ってしまい四六時中そのことを考えていた。どんな拍子だったかなあ。風呂場で頭を洗っていた拍子な気もするし、パスタソースを仕込んでいた拍子な気もする。まあ拍子はそこまで重要じゃないからいったん置いとくね。
脳みそって細胞だから老いてくにつれて酸化とかして、成長も止まって思考や思想の上限ができるのかしら?限りない思考の旅はどこまでも広がっているものだと思ってたし、たくさんそれに救われてきた私なので、