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はじめての「西国三十三所参り」②・施福寺【大阪】

10月上旬、秋晴れの日曜日、二つ目の西国三十三所参りとして大阪府和泉市の第四番札所「施福寺(せふくじ)」を訪ねました。
今回は山の中の寺院ということで道がややこしく、並外れた方向音痴の私にはちょっと難しい場所。なので夫に運転をお願いして二人で訪ねることとなりました。(幼馴染のEちゃんとは、残念ながら予定が合わず……)

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施福寺はもともと修験道の寺院だったため、本堂は標高約600mの槇尾山山腹にあります。駐車場に車を停めてから山道を30分ほど歩かなくてはならず、「三十三所参り最大の難所」と言われています。

確かに石段はきつく、ゆっくり歩いていても徐々に息が上がってくるのですが、山道はつややかな緑に囲まれ、とても清々しい気持ちに。少しずつ俗世の余計なものを削ぎ落してゆく、そんな山道です。
「毎日、わしはここを登ってるんや。三十三所参りも二巡したなあ」
そんな高齢のベテラン男性に余裕で追い越されてしまいました。

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槇尾山は水に恵まれているようで、ところどころ山肌から滝のように水が流れ落ちていました。山道脇を流れる川にも滝壺にも赤く染まった岩が多く、
「水質のせいなのかな……?」
苔の色とかではなさそうです。

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30分上り続け、やっと施福寺境内に到着!しばらく息を整えてから本堂に向かいます。

施福寺は欽明天皇(539年~571年)の時代に創建された葛城修験道系の寺院だと伝えられています。ところが南北朝時代に南朝の拠点となり焼き払われ、その後、織田信長と対立してまた焼き払われてしまいます。江戸末期、徳川家の庇護を受け復興するも、今度は山火事で境内の伽藍ほとんどを焼失。現在の本堂はそれ以降に再建されたとのことです。度重なる火との戦いの末、残っている寺院なのですね。

今回は特に下調べもせず訪ねたのですが、500円で内陣を参拝できるとの案内があったので、夫と一緒に行ってみました。
そして……足を踏み入れたとたん、見事な仏像にびっくり!

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中央には2mを超える施福寺御本尊「弥勒菩薩像」。脇侍として左には西国三十三所参り御本尊「十一面千手千眼観世音菩薩像」。右には「文殊菩薩像」。

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「十一面千手千眼観世音菩薩像」です。たくさんの手にたくさんの道具を持っておられます。
今回の三十三所参りでの本願、先祖代々の供養と子孫繁栄をお祈りさせていただきました。

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「文殊菩薩像」はお団子を8個くっつけたような、童子の髪型をしています。密教では文殊菩薩を清らかな童子として表現することが多いとのこと。

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こちらは四天王「増長天」。色彩が鮮やかに残り、鎧の細工も美しいです。
本堂には仏像を守るようにして四躯の四天王がそろっており、左右に「増長天」「持国天」、奥には「多聞天」と「広目天」も。躍動感あふれる四天王と静かにたたずむの仏像との対比が見事でした。

公式Facebook「西国第四番札所 槇尾山 施福寺」によると、これらの仏像は慶長9年(1604年)、豊臣秀頼と淀殿が太閤秀吉の7回忌の供養として奉納したものだということです。


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続いて本堂を左側奥に進んでゆくと、「えっ!」と驚くくらい大きな仏様が坐っておられます。こちらもゆうに2m越え……。半眼のまなざしは、どこに立っていてもやさしくこちらを見据えているよう。

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この「方違(ほうちがい)大観音」は日本では施福寺にだけおられる仏様だとのこと。転居や転勤、旅行などで移動する際、「凶」の方角であっても「吉」に転じてくださる力があるそうです。そのことから、人生の大きな変わり目にお参りすると、その変化をチャンスに変えてくださるとか。
来年、夫が定年を迎えるので、しっかり手を合わせてきました。

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最後に参拝したのが「馬頭観音像」です。よく見れば、両方の足の裏をこちらに向けて坐っておられます。つやつやとしてたくさんの道のりを歩いてこられたような足裏……。このポーズの馬頭観音は施福寺のみで、他では見られないとのこと。
約一千年前、西国三十三所参りにゆかりのある花山法皇が施福寺を参拝した際、山道で難儀しているところを馬頭観音に助けていただいたことから、足腰を守ってくださるご利益があるそうです。

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馬頭観音像、表情はとても恐ろしいのに鷹揚な明るい雰囲気の仏様です。何となくいつまでもこの前で手を合わせていたい気持ちになりました。頭の上の馬さんが……ちょっとキュートかも……。

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施福寺内陣にはまだまだたくさんの仏像がありました。弘法大師空海を囲んでフィギュアのようなポーズをつけた二十八部衆、元三大師(角大師の魔除けの護符を購入できます)、最澄像、不動明王、弁財天、なで仏……。
数年前まで「方違大観音」や「馬頭観音像」は60年に一度開帳される秘仏だったとのことですが、今はすべての仏様を間近で拝観でき、しかも写真撮影可だったのには驚きました。

内陣への拝観料をお渡しする時、授与所の方が
「ずっと秘仏だった仏様もおられますよ。本堂の中には椅子も用意しています。ゆっくりとお参りしてくださいね」
と言ってくださいました。そのお言葉通り、たくさんの素晴らしい仏様とゆっくり向き合える参拝となりました。
私がお参りした時にはタイミングが良く、内陣でほぼ一人きりとなり、とてもありがたかったのですが、駐車場は満車に近く、参拝者は結構多かったです。

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無事に御朱印もいただくことができました。
が、実は今回、自宅から車で施福寺へと向かう道中が結構たいへんで……。
家を出る前、車のナビを設定したところ、なぜか大回りをして高速道路を使うルートばかりが出て、私たちが予定している「父鬼(ちちおに)街道」を通る一般道がまったく表示されませんでした。
「高速道路って…いったん大阪まで出るのはすごいロスだよね」
「常識ではありえないルートだな。ナビを切って地図を見ながら行こう」
そうして出発した私たちなのですが……地図通り進んでいくと、対向できるのがやっとという、集落の狭い生活道路へと侵入。そこを抜けてもどんどん細い山道へと入ってゆき、
「このまま道がなくなったらどうしよう……」
和歌山ではあるあるの、そんな不安に苛まれつつの道中でした。
結局、道幅は広くなり、きちんと施福寺にはたどり着けたのですが、思いのほか複雑だった「父鬼街道」。よく考えてみれば昔ながらの街道筋って車が通ることを想定していないのですよね。だからナビも候補には挙げなかったみたいで……。(『鬼滅の刃』を見ていると、この街道の名前の由来も気になります)

ちなみに帰り道、とても新しい道を2本も発見しました!私たちのナビにも地図にも載っていないのですが(データが古すぎ…)方向音痴の私でさえ余裕で大丈夫なくらい、広くてまっすぐな道。「父鬼街道」のややこしい所はショートカットされ、スイスイ走れます。
「これって……来た時の苦労は一体なに~~!」
往路ドキドキ、復路らくらく。地図には手書きで新しい道を記入しておきました!(手書きできるほどのまっすぐな道……)

今回、ちょっと道ではバタバタしてしまいましたが、夫と二人で素晴らしい仏像を拝観させていただくことができました。三十三所参りはまだ二つ目。これからも、ゆっくりのんびり亀ペースで満願を目指したいと思います!



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