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乳がんのあとに温泉・銭湯に行ってみた話

乳がんの治療が終わって、右側を全摘して、再建は終わっていないのですが、まあ、いいかなと思っていわゆる公衆浴場の温泉・銭湯に何回か行きました。

行く前はちょっと躊躇したのですが、気持ち的に元気な時なら行ってもいいかと思ったのです。それに、知り合いの女医さんは乳がん後再建もしていないのですが、ハワイではトップレスになり、温泉も堂々と行かれるとおっしゃって、胸の傷は「名誉の負傷」だと考えていると伺ったので、励まされたのです。

それでわかったこと。まあ、ちょっと郊外ののんびりした日帰り温泉ならば全然大丈夫でした。みなさんのんびりしているし、じっと顔を見られたことはありましたがそれだけでした。

都内の温泉・銭湯の方が大変でした。土日と平日とではお客さんの層が違うのもあります。温泉・銭湯でも二人くらいでおしゃべりしている人は、だいたい周りの人をみたりして思い浮かんだことを話します。あるときは、多分、「豊満な胸」を使ってお仕事されているようなお身体の方がすごく反発されたようで、「乳がん、乳がん」と会話で連呼されていました。そして最後にご自分の胸をこれみよがしに誇示して出て行かれました。心の中で「私たちは見方じゃないけど、敵じゃないでしょう。あなたたちの職業は理解します」と思っていたら、すっといなくなりました。その銭湯ではあるおばあさんが、「あなた乳がんしたの」と話しかけてきました。強烈な体験でした。一方で、やたらと「死ぬこと」について会話を始める人もいました。多分、乳がん、がん=死という固定観念があるのだと思います。これは知らん顔しています。

前述の女医さんが行かれたのがどういう温泉かわかりませんが、彼女の話を真に受けて真似をしたわたしもちょっと愚かだったかもしれません。

最近、「がんサバイバー」という言葉を聞いて嫌ではないけれど、少し戸惑いを感じながら、それ戸惑いこそが、自分が本当に回復した印なのかもしれないと思っています。

病気が快復した後って、もちろん、うれしいという単純なこともありますが、自分が変わっていること、アイデンティティに「既往症」が追加されたことに戸惑いを感じることもあるものです。

そんな経験をしながらも結局、それは病気が深刻な悩みではなく、ちょっと贅沢な悩みに過ぎないのです。それを理解して、いまある状況に感謝していたらもう少し気楽な気持ちになるかなと思っています。

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