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シン・CL勝利者インタビューで「運が良かった」と言うのをやめないか?

※本記事は全文無料です
前回の記事では予想外の反響があり非常に驚きました。
読んで頂き、そしてたくさんのご意見、議論をありがとうございました。
本記事は前回の記事のアップデート版的なものだと思って頂けると幸いです。

前回の記事を要約すると、前半は勝利者インタビューで運が良かったと言う前に運以外の要素に目を向けてみないかという話、後半はインタビューの見栄え的に運が良かったというのはやめた方が良いのではないかという話でした。(かなり端折っているので詳しくは記事をご覧ください。)

少々長くなりますが(約7500字程度)、この記事に賛否両論があった理由や足りなかった事などを私なりの解釈で解説(シン化)していきたいと思います。


カードゲームにおける「運」の扱い

今回の騒動(?)で強く思ったことは「人によってカードゲームにおける運の扱い方が違いすぎる」という事です。
ゲームの勝敗が運によって決まると頑なに主張し、まるでそこにはプレイヤーの実力は介入しないようなニュアンスの意見も少なくありませんでした。
私は「運以外の要素にも目を向けてみませんか?」というささやかな提案をしたつもりでしたが、それはいつの間にか「運という要素を一切言い訳にしてはいけない」「カードゲームは絶対に実力のゲームだ」といった間違った解釈として広まってしまった側面もあり、「カードゲームと運」というテーマを取り扱うことの難しさを感じました。

前提として、私は「結局のところカードゲームは運ゲーである」と思っています。
カードゲームには絶対に運が絡みます。
では私たちは完全なる運ゲーをしているのか。
それは違います。
カードゲームは「運」という誰にでもある平等な要素に、実力やデッキ構築といった「スキル」を上乗せし競うゲームです。
また、スキルを駆使して運を自分で操作する機会を与えられています。
そしてこの「運」と「スキル」の捉え方のバランスは、そのゲームへの理解度や熟練度によって大きく変わると思っています。
ゲームを深く理解しているプレイヤーほど「運以外の要素」に目を向ける傾向があるのではないでしょうか。
なぜなら、運は鍛えようがありませんが、スキルは自分の努力や工夫で改善できる余地が大きくあるからです。
念のために言いますが、運に焦点を当てる事が悪い、もしくは運の話をするやつはゲームが下手だと言っているのではありません。
とは言ってもカードゲームの勝敗を語るにあたり、運に比重を置くかスキルに比重を置くかについて明確な正解はありません。
なぜなら、カードゲームの勝敗を分かつ要因には運とスキルが非常に複雑に絡み合っているからです。
それを論ずるのは熟練者ですら難しい事です。

少し麻雀の話をします。(麻雀が分からない方は申し訳ありません…)
麻雀にはMリーグというeスポーツ化されたプロリーグがあり、それはポケカCLと同じように配信され、勝利者インタビューもあります。
私はこのMリーグ勝利者インタビューを非常に興味深く見ています。
そしてMリーグのインタビューでは「運が良かった」という言葉が多くみられます。
私の前回の記事を極端な解釈で読み取った場合、Mリーグのインタビューは良くないものという事になってしまいます。
ですがMリーグのインタビューは非常に興味深く、面白く、知的好奇心を刺激される内容です。
それはなぜか。
Mリーグのインタビューは運が良かった「理由と経緯」を重点的に語っているからです。
麻雀はカードゲームに比べ、明らかに運の要素が大きいゲームです。
運:実力=7:3なんてよく言われていますし、はたまた9:1という意見もあります。(※諸説あり。現在もこの論争は続いている。)
麻雀という運が大きく影響するゲームにおいて、「結局運良かっただけなんで」という感想はあまりにもナンセンスです。
そんな事は誰が見ても当然に分かりきっています。
我々が面白がっているのはそこではありません。
運ゲーであるはずの麻雀にプロプレイヤーが存在しているという事は、運以外に何か重要な要素があるという事です。
Mリーグを見ている我々はその「何か」を知りたくて、プロの感想戦に注目しています。
プロが言う「運が良かった」と、麻雀の素人が言う「運が良かった」では同じ文章でも全く違う意味になってくるのでは無いでしょうか。
私のような麻雀の素人はそもそも「運」というステージにすら立っていない可能性があります。
最善を尽くした結果の運なのか、それとも最善に気づかず、またはほぼ運頼みで勝負していたのか、それは非常に重要な事です。
私から見るとそのツモアガリは非常に幸運だったように見えますが、インタビューを聞くとその幸運は十分に起こりうることだったと認識させられます。
一見幸運にしか見えなかったその事象をいかにロジカルに思考し言語化するか、それがMリーグのインタビューを「面白い」と感じる要因のひとつであると思っています。
運ゲーだからこそ、不確定要素だらけだからこそ、そのプレイヤー独自のロジックがあり、面白いのです。

話をカードゲームに戻します。
カードゲームは運の要素が麻雀よりも比較的少なくデザインされており、起こりうる事象を自分である程度操作できるようになっています。
それを「プレイング」と呼びます。
麻雀で使う牌の枚数と種類は絶対に変わりませんが、カードゲームには使うカードを自由に組み替える「デッキ構築」があります。
さらにデッキには相性差があり、ジャンケンのような(実際には三すくみではなくもっと多い)構造になっています。
これらの使用されるデッキ分布は「環境」と呼ばれています。
麻雀が運+実力のゲームだとすると、カードゲームは運+実力(プレイング)+デッキ構築+環境読みのゲームだと言えます。(厳密に言えばそれは違うという意見があるかもしれませんが、説明の便宜上このようにさせてください。)
麻雀とカードゲームどちらが面白いとかゲームとして優れているとかそういう話ではなく、単純にカードゲームには運以外に触れられる要素が多いと思いませんか。
こんなにも掘り下げられる要素があるのに、「運ですやん」で済ますのはもったいないとは思いませんか。
確かに結局のところ運です。
運によって実力差がひっくり返る事も多々あります。
それもカードゲーム(に限らず運を操作するゲーム全般)の醍醐味のひとつです。
だからと言って運以外の要素が無駄なのかと言われると、決してそうではありません。
その勝利を決めたのは運かもしれませんが、その運に辿り着くまでにはさまざまな要素が密接に絡み合っています。
カードゲームにおける運とは、ゲームの要素のひとつに過ぎないのです。
ひとつの要素に過ぎない運に思考や感情を支配される事はゲームを楽しむ上で非常に損な事なのではないでしょうか。

カードゲームにおける運の扱いをどうするか。
「運と実力を切り離して考えるのではなく、運と実力は相関関係にあるのではないかと意識する」というのが私なり着地点です。

もちろん、「運と実力には相関関係にある!」と言い切るつもりはありません。
どんなに強い実績のあるプレイヤーでも最悪の不運に見舞われれば初心者にも負けてしまうでしょう。
ですが、通常のゲームにおいて発生した幸運が実力(プレイング)によって呼び寄せられた可能性があると意識することは、思考の質をより良いものにすると考えています。
そして、プレイヤー自身の思考の質がさらに上質なものになるには、自身のプレイについて言語化できるようになることが必要不可欠だと思っています。
言語化した内容が正しいとか間違っているとか、そういうことは正直どうでもよく、言語化するという行為そのものが重要であると思います。
ポケカ四天王や有名プレイヤーのYouTube対戦動画がなぜ面白いのかというと、プレイやデッキ構築について明確に言語化されているからです。
そのターンに目指すべき目標やケアすべきこと、そのカードをプレイする理由・プレイしない理由、このゲームの勝因・敗因、全てにおいて明確に言語化されています。
勝因について「本当に運が良かったとしか言えない」とあなたが思うのであれば、その理由をしっかり言語化すれば良いのです。
発信した結果それが間違っているのか正しいのかはあなたの仲間が精査してくれるでしょう。
自分の意見を言語化し発信→複数の人がそれを議論→正しいかどうかをジャッジ→自分の中でジャッジに納得するか反論する→最初に戻る
カードゲームは玩具ですが、見方を変えればそれは思考を突き詰めるとても上質な教材にもなり得るのです。

ではインタビューでどう言えば良いのか

前回の記事での反省点として、「ではどう言えば良いのか」の提案をしなかったことが挙げられます。
そして、タイトルに「運が良かったと言うのをやめないか」と、少々強い否定をイメージさせる言葉を使ってしまったのも反省点です。
結果、タイトルのイメージに引っ張られて私の意図しない伝わり方をするケースが散見されました。
タイトルでは「やめないか」と書きましたが、「別の言い方にしないか」というのが正しいニュアンスです。
詳しく言うと、"「運が良かった」の一言で済ますのはやめないか"という事です。
最初からそう表現すべきでした。
これについては幸いにも多くの方が私の本来の意図を読み取ってくださり良かったなと思いましたが、文章の至らなさから一部の方に誤解を生む結果になってしまいました。

私はCL出場者を大いにリスペクトしています。
私自身ポケカを遊んでいて、このゲームを突き詰めることの難しさを実感しているからです。
この奥深く面白いゲームを「運が良かった」で済ませるのはもったいないと思ったのです。
そして、CLに出場するほどの猛者であれば、その事象について自らの視点と言葉で説明できるはずであると思ったのです。
確かにその勝利は運が良かったからでしょう。
ですがそれは見たら分かります。
知りたいのは「なぜ」の部分です。
その「なぜ」は複雑である必要はなく、シンプルなもので良いと思っています。
「最後に山札に残っていたボスの指令を引くことができたのが勝負の決め手でした。」
もはやこのくらいシンプルでちょうど良いのかもしれません。
このシンプルなコメントからは「ボスの指令が山札にあったこと」「ボスの指令を引きに行くプレイをしていたこと」が読み取れます。
ボスの指令が勝ち筋であった事に気づかなかった視聴者は「なるほど、だからたくさんドローしていたのか」と納得するわけです。
ドローに焦点を当てるならば、最大効率でドローするための手順など、プレイングにも触れながら説明できるかもしれません。
そもそもこのゲームは「ボスの指令を引いた」という幸運により勝負が決まりましたが、「ボスの指令を引けば勝ちという盤面を作った」から勝てたことに注目すべきです。
運が良かった事象に触れてはいけないと言っているのではありません。
運が良かったという結果に触れながら、フォーカスすべきはそれに至る過程であったりゲームプランである方が広がりがあるのではないかという事です。
CLに出場するほどの実力者の視点は非常に貴重なのです。
このように、上級プレイヤーならではの視点を積極的に発信し、ゲームへの理解がまだ浅い私のようなプレイヤーに気づきの機会を与えることが、ゲームジャンルそのもの(プレイヤーの質)が成長することに繋がるのではないでしょうか。

指摘された問題点

前回の記事では様々な方からご意見、ご指摘を頂きました。
その中でも特に気になったもの、考えさせられたものを挙げていきます。

▷たまたま配信卓に選ばれた人にそれを求めるのは酷なのではないか

この意見は元ポケカ四天王、ヤマグチヨシユキ氏からのものです。
ポケカ競技シーンの最前線で活躍する方のうちの一人から記事に触れて頂き、大変光栄に思っております。
この指摘についてですが、全くもってその通りだと思います。
これまで偉そうにつらつらと持論を語って参りましたが、もし私があの場に立った時に自分の考えを簡潔に述べられるかと問われると正直自信がありません。
選手には様々なプレッシャーとストレスが常にかかっています。
それは会場でのストレスに加え、この状況が全国に配信されており、何千人という視聴者の注目を浴びるという一般人では耐性が無いストレスを受ける事になります。
配信には心無いコメントも散見され、発する言葉や態度によって全く意図しない批判を浴びるリスクに晒されます。
その中で冷静に自分の考えを言語化し、または気の利いたコメントでひと笑い取るなどの有意義なインタビューを意図的に作り出すのは至難の業だと思います。
私自身分かってはいたつもりでしたが、いざポケカ四天王からその事を指摘されると、会場で実際に感じる緊張感の重さを再認識しました。
「絶対に有意義なインタビューにしなければならない!」と主張しているつもりはありません。
プレイヤー全体が少しでも意識出来れば、ポケカというジャンル、そしてプレイヤーの意識そのものがより良いものになるのではないかというのが私の思いです。
コメントの文末に「言いたい事は分かります」と付け加えてくださり、ヤマグチ氏の優しさと思慮深さを感じました。

▷インタビューの内容はインタビュアーの力量に依存する

この意見はゲームキャスターの海老江邦敬氏や、著名なMTGプロプレイヤーの方々から多数頂きました。
実際にインタビューをする側や、解説を担当するレベルの専門家達からの非常に的確なご意見、ご指摘だったと思います。
大会配信は常にキャスター、インタビュアーの力量が試される現場である。
本職の方からの意見ですから、これもまた言葉の重さが違います。
仰る通りです。
ですが、だからと言ってインタビューされる側(プレイヤー)が、「インタビューする側のせいなんだから頑張るのはそっちだろ」と丸投げするのは違うと思うのです。
この意見はあくまで「インタビュアー側が言う意見」であり、インタビュアーの仕事のスキルの恩恵を受ける側の我々が言うべきことではありません。
今回の問題を提起するにあたり、「運営側の力量不足」を論点にするのはベストではないと思いました。
自らの改善の余地を無視して相手を攻撃するのは私のポリシーに反するという個人的な思いもありました。
また私はゲーム運営側のノウハウは一切持ち合わせていないため、そこを論ずることは非常に困難でした。
確かにインタビューが良いものになるかどうかはインタビュアーの力量に依存していますが、実際にコメントをするのはプレイヤーであり、プレイヤーのコメント次第では相乗効果でさらに良いインタビューになるのも事実です。
互いに良くなれば、ポケカはもっと面白いコンテンツになると信じています。

▷ブランディングは公式側がする仕事である

前回の記事で私は「ポケカのブランディング的に良くないのではないか」という意見を述べました。
この意見に対して「ブランディングは公式がすることであってプレイヤーがわざわざわ意識することではない」という意見が見受けられました。
確かに、「ブランディングは公式側がすることである」という点では同意しますが、「プレイヤーが意識することではない」という点においては同意できません。
我々が望むことは「ポケカがずっと面白いゲームとして存在し、成長し続けること」です。
私はこの思いが全員共通のものであると信じて前回の記事を書きました。
そしてコンテンツの成長にはプレイヤーの存在が不可欠です。
ポケカを遊ぶ人たちが「ポケカの魅力は公式の方で伝えるのが道理ですよね?ポケカの面白さが伝わらないのは公式の努力不足ですよね?」というスタンスでいることにはどうも違和感を感じるのです。
ポケカが流行るのは公式の広告によるもののみかと言われると、それは違うと思います。
ポケカをやってみようという動機として多いもののひとつに「ポケカをしている人をみて面白そうだったから」という理由があるのではないでしょうか。
かつての私もそうでした。
友人から誘われて実際にプレイしているのを見学し、面白そう!と思い始めました。
実は実際に遊んでいるプレイヤーが一番ポケカの広告をしているのではないでしょうか。
ポケカプレイヤーとしての自覚を持って云々!といった、生徒指導の学年主任の先生にような事を言っているのではありません。
単純に、ポケカが面白いものだと思ってもらった方が既存のプレイヤーにとって得じゃないですか?という話です。
ヤマグチヨシユキ氏からのご指摘の通り、CL勝利者インタビューという非常に緊張する場面で「ポケカの魅力を伝えるような素晴らしいコメントをしろ!」というのはとんでもない無茶ぶりです。
突然やれと言われても不可能に近いでしょう。
ですが行動として反映はされずとも、ポケカプレイヤー全体の意識が今よりも少しだけ洗練されたものになれば、競技シーンはさらに活発な盛り上がりをするに違いありません。

まとめ

ポケカに限らずゲームをやりこみ実力を伸ばし、勝利へのプロセスを言語化することは簡単な事ではありません。
ましてそれを人に伝えるのはさらに難しい事です。
ですが実は「自分のプレイに明確な理由をつけ、言語化して議論する」という行為は上級者プレイヤー、さらにプロプレイヤーともなるとそれが「常識」なのです。
彼らが「常識」と捉えているものは、私のような一般人が考えるよりもさらに高等なロジックや経験に基づいています。
急に上級者にはなれずとも、意識するだけでゲームそのものの捉え方、楽しみ方がガラリと変わるのではないでしょうか。
ポケカというコンテンツがより良いものになり、遊ぶ環境やプレイヤーの意識もより良いものなればいいなという思いで今回のテーマの記事を書かせていただきました。

繰り返しになりますが、皆様たくさんのご意見、ご指摘を本当にありがとうございました。
今まで自分自身の中だけでは消化しきれなかった考え、気づかなかった事、新しい知見など、思いもよらず非常に多くの学びを得る機会になりました。
これからも駄文ではありますが、興味のあることや言いたい事をnoteにまとめていきたいと思っていますので興味のある方は今後ともよろしくお願い致します。

長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

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