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心地良い孤独

 前職のときに1年間、"ド"が2個つくような田舎に住まわされていたので、その反動からか、都会への執着心がより強くなった。それは単に便利だからとか、飲食店が多いからとか、そういう風俗的な理由ではなくて、もっと私自身の根底にある心の弱さからくる、ある種の本質的な依存性と自律性によるものだと思う。依存と自律、一見これは相反するように見えて、実は表裏一体の存在であり、そしてそのどちらもが私の根幹を構成するのに欠かせない要素なのだ。

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 今日は雨だ。大阪駅前第1ビルの地下で遅めのお昼を済ませ、ビルを出て、中之島の方へと歩いてみることにした。雨というのもあって人出は疎らだった。土佐堀に架かる橋を抜けて京阪中之島駅を通り過ぎ、肥後橋駅のほうまで歩いてみた。以前から気になっていたこの近くの喫茶店を訪れたが、生憎今日は定休日のよう。仕方なく来た道を引き返す。雨は止まない。

 中之島フェスティバルホールで今宵くるりのライブがあるらしい。開演までまだ時間があるのにすでに何人か外で待っていた。私は再度、大阪駅前ビルに戻ってきていた。日曜のお昼だが、コロナ禍がまたぶり返しつつある情勢下というのもあって、飲み屋の繁盛っぷりは控えめだった。去年の暮れの金晩、ここで空席を探して徘徊したことを思い出す。今はちょっとお酒の気分じゃない。
 生活圏の違う、どこか無関心な人々の群れが、私にはたまらなく居心地がいい。この雑居ビルには、それがある。

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 孤独というのは、善か悪か、悲哀に満ちた存在か、誇り高き存在か。私は孤高の存在となりえるか、それとも文字通りただの孤独な存在になり腐るか。かつてのイギリスが"光栄ある孤立"という道を進んだように、私もまた誰の属国にもならない、そしてまた属国を持たない、そんな孤独の支配者になりえるだろうか。
 人々は人それぞれの支配者の肩書きを持ちつつも、また誰かに支配されている身だ。そのシステムに組み込まれることこそが、都会で巧く生きていく上でのコツなのだろう。
 依存と自律、このふたつを同時に成立させるのであれば、このねじれた街で、社会性動物としての"人間"という生き物の真似事をし続けなければいけない。能ある獣は爪を切り揃え、牙を自ら折る。コンクリートジャングルを生き抜く最大の武器は野性ではない、理性だ。

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 しかしそんなこと、到底私にはできない。長く鮮やかな爪は袖下に隠し、常に閉口することで鋭利な牙をも隠す。極彩色の反骨心、見せかけの社交性で今日も私は社会性動物としての人間を演じる。この心地良い孤独を守っていくために。

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