高校生の頃からある悩みを言語化する

最近どうもやる気が起きない。これは以前よりも将来が漠然としているからだろうか。今まで解像度が上がる経験は何度もしてきたが、下がる経験がこれが初めてだ。どんどん自分が何をしたいのかがわからなくなり、その結果何もできない自分に腹が立つ。現状の体たらくな生活を変えるには悩みの解像度を上げ、環境を自分がやらなくてはならないものとし、習慣にしていくしかない。今回の記事が、自身の体たらくな生活を変える第一歩になることを願いながら書いていくことにする。

悩み①「自身のスペックについて」

高校3年生の春、私は自身の頭の悪さを思い知った。今まで井の中の蛙として生きてきた私にとってあの出来事は衝撃だった。コロナによって家にいる時間が長くなった私は大学進学を選び、AOの塾に入校することになった。在日朝鮮人として生きてきた私は、自分自身を社会問題に詳しいと勘違いしていた。しかし、それはまるっきり違っていた。教養も知識も物事を筋道立てて考える力も文章力もプレゼン力も何一つ他の人に勝てるものはなかった。そこから私は自身の頭の悪さを感じるようになった。頭の悪さと知識の量が相関関係にあると私は思わない。頭がいい人でも教養がない人はたくさんいるし、逆に知識をたくさん蓄えている人でも頭が良くない人は五万といる。私は高校生の時点で、少なくとも頭がいい人にはなれないと悟ったのだ。
では、私はどうするべきなのか。ここからが本番である。頭が悪いことを嘆いている場合ではない。どのように、賢い人と戦っていくのかを考えるべきなのである。戦術一つ目は「そもそも彼らと同じ土俵で戦わない。」これが一番の得策だ。ただここで問題が生まれる。私が興味があるのは賢い人たちがぞろぞろいる、金融業界なのだ。これがどうにもできない。自身が抱いてしまった興味を捨てることはできない。この「興味」をどのように消化していくのか。悩みどころである。

悩み②「弱い性格について」

私はいつも自身の弱さを嘆いている。これが悩みだ。大きくは2つ、継続力がないことと、勇気がないこと、である。高校時代にバスケの指揮を出す役割であるガードをしていた当時、先輩にものを言えずいつも怒られていた。進路を決める時もなかなか言い出せず、結局報告がギリギリになってしまい怒られた。継続力がないことも例を挙げれば枚挙にいとまがない。同じ勉強は1週間以上続けられたことがないし、読書も読みきれずに棚にしまわれた本が何冊と存在する。今までの人生を振り返ると毎日続けられたのはバスケットボールだけである。ではバスケットボールは私の何を表しているのだろうバスケを始めた当初、私はどうしても興味を持てなかった。何なら嫌いだった分類に振り分けられると思う。私が通っていた高校は人数が少なく、部活は強制で所属しなければ成立しなかった。加えてもう一つ特殊だったことは、低学年はサッカー、高学年はバスケだったのだ。だったら「同じものをやらせろ。笑」と言いたい。それもあってか4年生の頃はバスケが大嫌いだった。ただただ「先輩と先生、親に褒められること、周りの友達にすごいと思われる」ためにバスケをしていた。思い返せば、私のバスケに対するもちーべションは引退したあの日まで変わっていなかったのではないかと感じる。褒められること、すごいと他の人に思われることが自分にとって最上級の幸せなんて言いたくない。それは承認欲求の塊とも言えるからだ。これこそが悩みなのだろうか。書いてるうちにさらに悩みが深まっていく…

悩み③「身の回りの環境について」

「人は環境次第でいかようにも変えられる」この類の話を何百回と聞いてきた。そしてこの言葉をうまいように使ってきた。私は飲食店を経営する父と清掃業の会社を経営する祖父を持つ長男だ。いわば坊ちゃん的な立ち位置になるのだろう。幼少期はそれを誇りに思っていて、次の日の学校が休みであれば、父が経営する店に入り浸っていた。将来は必ず焼肉業をやっていくと決め込んでいた。しかし、高校生になって欲が生まれてしまった。その当時は在日コリアンのコミュニティをもっといいものにしたいとか、様々な人を助けられるコンサルタントになりたいと思っていたが、今になって考えるとやっぱり承認欲求の塊だったのでは、と感じる。ただその気持ちを捨てられず、進学することを決めた。そして今、改めて家業について考えるようになった。祖母は私を目にすると「あんたしか長男はいないんだよ」と言うし、父は私が後継になることを望んでいる。他の人は私を羨ましがるかもしれないが、私は私で自分の気持ちに折り合いをつけなければならない。祖父と父が守ってきた会社を潰したいとは思わない。祖父が持つ会社は公共事業であるため、これから無くなることはないし、正直な話、この仕事だけやっていれば食いっぱぐれることはない。父が経営する飲食店も世界で一番大好きだし、今ある味を、店を、雰囲気を守っていきたい。でも、自身の心の底から生まれてくる知的好奇心や承認欲求は止めることができない。いや、止めないことで、「生涯が家業を守っていくことだけになってしまう事実」から逃れようとしてるのかもしれない。

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