将来について考えたい。

 私はかっこいい人生を送れることを夢見る家業持ちの大学生です。今回は、改めて自身の人生を振り返り、悩みの根源を探っていきながら、将来について考えていきたいと思います。

 私の人生は大きく2つの言葉で片付けることができます。「知的好奇心」と「承認欲求」です。この2つの単語を踏まえて、人生を振り返ってみようと思います。

幼少期

 清掃業を営む祖父と、飲食店を経営する父の元に生まれた私は、正直お金に困った経験をしたことがありませんでした。日本の学校より断然高い朝鮮学校に通わせてくれ、今も私立大学に通わせてくれてます。
 誕生日やクリスマスなどには必ず親戚一同からプレゼントをもらっていました。週に1回は外食に行く日が必ずあり、幼い頃から1人部屋を割り与えられていました。今になって、私が置かれていた環境は恵まれていたなと感じます。
 幸せな家庭で育った私は、低学年の頃まで必ず父の飲食点を継ぐと決めていました。シンプルに父の姿がかっこよかったし、父が経営する焼肉店が大好きでした。このような気持ちを抱えながら私はすくすくと成長し、高学年を経て中学生になりました。

青年期①「中学生」

 中学生になった私は、小学校の頃からずっとやっていたバスケにどっぷりとハマっていくようになりました。毎日6時半に起床し朝練をして、午後の練習に勤しむ日々。休みの日は朝から夕方頃までバスケをしていました。
 先輩たちのように上手くなりたい、試合で勝ちたい、同級生より長く試合に出たい、女の子にモテたい、そういった不純な気持ちがたくさんあった気がします。ただ、淡々とバスケに打ち込む日々は私にとって非常に有意義なものでした。将来プロバスケットボール選手になるわけではないのに、無駄にバスケに時間を費やす日々。私の中学生活は9割がバスケットボールでした。その生活は高校3年生の4月まで続きました。

青年期②「高校生」

 高校3年生の4月、コロナウイルスが蔓延し、やることがなくなった私は、大学受験を目指すようになります。暇つぶしという要素もありましたが、それと同時に「高卒で家業を継ぐことによって起こる人生の一本化」から逃げる要素も含んでいたかのように思えます。幼い頃から身近に感じていた「会社」、「起業」、「経営」というトピックに興味があった私は立教大学の経営学部をAOで志望することになります。今までバスケしかやってこなかった私はもちろん、理由書に書けるような実績を持っていなく、英検2級と神奈川県インハイ予選ベスト16の2つしか書くことがありませんでした。結果、見事に落ち、別の中堅大学に志望することになりました。
 大学入学までの道のりにおいて、最も印象に残っているのがAO専門塾での学びでした。塾での環境はそれまでに私がいた環境とは全く違ったものでした。沖縄の地域創生のため学生団体を立ち上げた学生、世界から地雷をなくすための勉強に励んでいた学生、スロージャーナリズムの普及のため学生同士でディスカッションを定期的に開催していた学生など、私から見た彼らは別次元の存在でした。そのような環境で私は、何か一つ、大きい課題を発見し、それに尽力する姿がかっこいいと思うようになったのです。
 そこから私の知的好奇心は芽生え、バスケをしている時に特に強く感じていた、「自分も〇〇の人のようになりたい」という感情を抱くようになりました。本を読んだり、インターンシップに参加してみたり、とにかくできるものなら全てやる、という気持ちでした。
 そこで私の前に姿を表したのが、五常・アンド・カンパニーの代表である慎泰俊さんでした。彼の姿、人生、取り組み、キャリアに私はみるみるうちに魅力を感じるようになったのです。そこからでした。私はソーシャルイノベーションや、金融業界に興味を持ったのです。

青年期③「大学生」

 大学生になり、経営学やマネジメント専門の大学に入ったものの、私の興味は社会課題、社会科学、歴史、資本主義、民主主義などソーシャルイノベーションや、金融業界における前提としての部分に移っていきました。また、様々なソーシャルイノベーションを見ていく中で、世界への興味も抱いていくようになりました。


悩みを言語化する

 私が今ままでの人生を振り返ったのは、自分が潜在的に何を願っていて、何が好きで、どんな欲求を満たしていくのかを可視化したかったからです。その結果、なんとなくですが私の悩みが可視化されました。
 悩みを一言で言うのであれば、「どんなキャリアを歩んでいくの?」です。祖父や父が経営してきたものを継ぐという気持ち、ソーシャルイノベーションや資本主義の根底から学んでいきたいという気持ち。この両方の気持ちをどのように具現化していくのかがこれからの私の大きなテーマであるし、悩みであると思っています。
 祖父や祖母、父からは大学を卒業した時点で家業を継ぐことを願っています。私は家業を守っていくという気持ちはありますが、それと同時にその道だけで人生を消費するのもどうなのかと考えています。清掃業を生業として地域のインフラを守ったり、美味しい料理を提供することで他者の幸せを創っていくことももちろん素晴らしいことです。ただそれと同時に「自分が生きている」という軌跡を残していきたいという気持ちも捨てられません。
 「家業持ち」と「軌跡を残したい」というベン図の中にいる私は、志を同じくして夢を叶えることに一生懸命になれる人と多く関われると思っています。家業持ちと軌跡を残していく作業を兼ね合わせていくのか、それぞれで輝いていくのか、どちらかに一本化していくのか。考えていくべきところはそこにあると思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?