週末レビュー2022/12/11(借り物の頭・社会貢献はお金持ちがやることなのか、潜在的に抱えているものなのか・慎泰俊さん)

■ 先週の取組内容

インターンシップ(営業)
ゼミでの報告書(自身が取り組んできたことをゼミのブログに掲載する活動)のテーマに関する考察

■自己評価(よくできたことを中心に)や気づき

 改めて私の人生のロールモデルである、慎泰俊さんについて深く考えた1週間になった。
 自身の身の振り方、日々の行い、思考、習慣を振り返って考えることが多かった。最近になってまた、私の中で慎泰俊さんブームが来ている。というのも、彼の週末をレビューを定期購読するようになったり、生活の中で慎泰俊さんを知ってる方がいたり、彼が私に言ってくれた言葉と全く同じ言葉をかけてくれた方がいらっしゃったりと何かと関わる機会が多かった。
 これは、大学生になってからというもの、常に感じることなのだけれども、「追う人の背中が大きすぎる問題」をどうにかしていきたい。前のインターンで働いていた時に社長が話していたのだけれども、「背中を追っている・憧れている限りは一生その人には勝てないし追いつけない。」この言葉がとても心の中で響いている。そろそろ私も「精神の独立」をしないといけない時期なのかな。

インターンシップ(営業)

 ついにカウンセリング研修が始まった。以前までは入りの部分だけを担当していたのだが、今回はクロージング作業までを行なっていく。責任重大だ。
 最近仕事をしてて思うのは、お金をいただくという経験が尊いものであるということ。もちろんアルバイトもお金はいただけるのだけれども、体を資本として切り売りしていくのと、成果の度合いに対して支払われる報酬とでは意味は全く変わってくると思う。もちろんインターンを肯定している訳ではない。ただ、一所懸命働いて、成果が出て、その成果に対して報酬が支払われるっていう経験を大学生のうちにできたのはよかったことなんじゃないかなと思う。それと同時に、何かを成し遂げることの尊さも感じるようになった。稼ぐっていうところに執着する人たちが世の中に溢れかえっているのもなんとなくわかった気がした。別にそれが悪い訳じゃないのだけれども。
 また、12/5に大阪で働いている同じインターンの友達がうちに泊まりに来た。一緒にご飯を食べて色々話してとても充実した1日だった。その中で、とても印象に残った会話があった。

「社会貢献してる人って、まずは自分を充足させてからそれに物足りなかくなった人たちが行き着く先なんじゃないかな」
「それは確かに。社長さんもそう言ってた。笑」
「だから俺は、まずは自分が幸せになるために一所懸命働いてるし、勉強してる。その後に自分の周りにいる人たち、家族とか親戚とかを幸せにしたい。社会貢献なんて大それたことなんて俺には言えないな。」

 まさにその通りだと私も思う。隣の人、いや、自分自身を充足させられないようで何が社会貢献だ。その気持ちは大いにあったのだが、一方で喉に小骨がずっと刺さってる感覚があった。
 在日朝鮮人社会に属しながら、私は幸か不幸か「他者の幸せのために動くこと」を学んできた。隣の人のために、班のために、下級生のために、学校のために、同胞のために何ができるのかを必死になって考える日々。今考えればおかしなこととも言えなくないが、その環境が今の私を形作ってる。とてもいい経験だったと感じる。自分が、自分のために尽くすことに対して、大なり小なり嫌悪感を感じるようになってしまったのだ。

 ただ、営業で成果を得られるようになって、一旦自分のために時間を費やしてもいいんじゃないかとも感じるようになった。何かに縛られることなく、自身の欲求を解放させる期間。そんな時期も必要なんじゃないかと。

こんなことがあって、また慎さんのことを考えてしまった。彼は自分以外の誰かを願うことが先だったのか、自身の欲求を解放させた後に今のような活動をしていらっしゃるのか。間違いなく前者だな、と思ってしまった。それくらいに彼は筋が通っているし、言動が首尾一貫しているし、強い信条を抱えていらっしゃる。後者に関しては卵が先か鶏が先かっていう話なんだろうけど、前者に関してはそうではないと私は思う。私はどんな人間なんだろうか。何を望んでいるんだろうか。毎週こんな感じの悩みを抱えていることを、週間報告を書いていて感じた。

ゼミでの報告書(自身が取り組んできたことをゼミ独自のブログに掲載する活動)のテーマに対する考察

 私は今回、報告書のテーマを
「自分が成し遂げていきたい将来に向かって、行動を続けられるかどうかーモチベーションが続かなかった結果、失敗してしまったコミュニティ運営の経験をもとにー」
という風に定めた。自身の境遇を綴り、その上で実施したプロジェクト、その結果として失敗してしまった理由を記載していこうと思っていた。
そこで橋下先生からいただいたコメントは「そもそも、自身の中で立てた問いが間違っているのではないか、間違っていなかったとしてもそれは借り物の問いになってしまってるんじゃないか」というものだった。
 このニュアンスをうまく言語化するのは非常に難しい。自分でもそこがあんまりわかっていない。ただ確かに自身が進めたPJも、どこかで「慎さんの道に進むための口実づくり」的な要素があったのかもしれない。
 そのようなことを考えていくうちに、今はただガムシャラに、働いて、勉強をして、本を読んで、遊んで、でもいいんじゃないかと思えてきた。じゃないと借り物が一生借り物になってしまいそう。

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