どてっぱらいもり

文頭よりも口頭に長けています

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白鷺 ゆりかもめ

本郷から茫然自失で歩いて気づけば両国橋 世界に自分がいない感覚を紛らわすために ただ歩いた 橋の下の白鷺 時々僕は僕を発見する ショーウィンドウ、潮風の薫る川面 行き交う車の首都高速 曇天を横切るゆりかもめ 5時の鐘がなっても僕は飛べない 僕はこの世界にいないのであるからして

    • 雑記:供養:若さの秘訣

      僕らは毎日を終える度に、一日また一日と死へと前進していく。その歩みを止めることは悲しいかな現代の医療技術ではかなわない。命日はある日必ずやってくる。老いとは万人の永遠の悩みである。しかし、先人たちの悩みと実践のおかげで、死を克服することは叶わずとも老いに抗う術は肉体的、精神的にも様々な方法が存在するようだ。特に僕が着目したのは「新しいことに挑戦する」という老化防止法である。前に母が若返っているという述べたのは、このメッソドによるものではないか。 年を取ると人間の脳は老化する

      • 「プシュ」と「ぶるるる」

        母は仕事が嫌いだ。17時半になると笑顔で帰宅し、意気揚々と屋上への階段を登っていく。 「夕日を見んねん」 朝日を愛し、夕日を愛する母は何より仕事を嫌った。その反動に家での生活を愛した。 「プシュすんねん」 「プシュ」とは缶ビールのことである。夕暮れの住宅街にプシュとビールの栓の開く音が微かに漏れ出る。 左手には缶ビール、右手にはフランス語の洋書を抱え、膝の上にはフランス語の辞典が載せられている。椅子を深くリクライニングし、恍惚とした面持ちで夕方を仰ぐ。 母は勉強家

        • 歪な街、西千葉は少し暖かい

          パトカーが交差点の真ん中で派手に転回した。 キキッと盛大なブレーキ音が鳴り響く。 すべての信号が赤だった。パトカーは180°反対の方向へと駆けていく。そっちにあるのはロータリーだけだぞ。 ベージュのワンピースを着た美人な大学生。 彼女は自転車にまたがって呆けた顔を交差点に突き出し、パトカーの行く末を見守っていた。 その横で僕は頭を垂れ、半ば四つん這いの様にしてお尻を突き出している。全長1メートル半はあるサトイモ科の観葉植物を、ガラガラと台車に乗せて押しているのだ。 この街

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        • 私が書いたブログ
          8本

        記事

          雨男から卒業する簡単な方法をお教えします

          しまなみ海道も雨、伊豆大島も雨 僕は雨男なのだろうか 晴耕雨読とはよく言うのだが、実際は家で寝転がって本を読んでいる時ほどよく晴れていたりする 晴れ男や雨男が 「予定の日の天気を偏らせる能力」 とするならば、晴れ男も雨男も予定の少ない人だけがなり得る職業なのではないか 仮に、ある人に一年中毎日予定があるとするならば、その人は雨男にも晴れ男にもなり得ない。一年の晴れと雨の日は、それぞれある程度一定の割合で訪れるので、その人は雨男や晴れ男に偏らないのだ。 標本数が少なけ

          雨男から卒業する簡単な方法をお教えします

          創造的に他者を理解する

          津田沼行きに乗っていた女性と同じ顔で違う服を着た女性が上野行きに乗っていた。 駅構内のトイレで着替えたのではないかと勘繰るほどの一致、僕の目には認められないほどの些細な差異 日本には「顔が同じで服が違う」と「服が同じで顔が違う」の2種類の二者間関係しか存在しない、と暴論を叫んでみたくなる 美とはあるイデオロギーの元に収斂した結果であると思う。人間の美醜は動物としてのセックスアピールを端緒とし、その側面を今でも色濃く受け継ぐ。 生物の適応進化もそうであったように、各個人

          創造的に他者を理解する

          風とマンゴー

          風の強い日だった。ゴウゴウと音を立てて電線が、窓が、ハンガーが揺れていた。揺れないベッドに縛り付けられて、風の音を聞いていた。切れ間ない轟音が僕を眠りに誘い、唐突な轟音が僕を眠りから引き戻した。断続的な眠りから叩き起こされる度にベランダに置いたままのマンゴーの鉢が思い出された。彼は今、脅威に晒されているのだ。先日初めてベランダに出したアボカドは夜通しの暴風で若葉を緩やかなカーブを描くように曲げてられてしまった。アボカドよりもずっと幼いマンゴーの新芽が今もその脅威に晒されている

          僕は王子様

          札幌 2月19日僕は飛行機で札幌に向かった。 新千歳空港には国内外を問わず大量の観光客でごった返していた。彼ら全てがこれからの数日間が必ず美しいものになると信じきっていた。北海道という観光地に寄せる期待に目を輝かせていた。これは、僕が札幌に戻るとき必ず思うことだが、新千歳に向かう機内の中、札幌に向かう列車の中、どの場面を切り取ってみても僕の顔が最も陰鬱なのだろうなと考えたりする。それくらい陰鬱なのだ。 春先の成田空港は纏わりつくような温暖さがあったが、札幌の空気は違ってい

          (3)空間性の病

          病む。闇に侵されている。「病み」と「闇」が同じ読みなのは日本語の偶然なのだろうか。病魔が人を蝕むイメージは闇が光を飲み込むイメージとリンクする。何も見えなくなる。僕は今何に苦しめられているのか。 心の状態を把握する能力は健全な精神のみが持ちうるのかもしれない。 久々に会う友人は僕に必ず「元気?」と尋ねてくれる。僕は「わからない」と答える。身体的にはすこぶる元気だ。しかし、己の精神が健全かどうかがわからない。精神が健康な人は自分が健康だとわかるだろうから、自分は不健康だと推測

          (3)空間性の病

          看過される横暴

          高田馬場にて

          水たまりのように歪なピザ

          今日、不肖ながら私は誕生日を迎えた。2024年2月23日に22歳になった私である。21世紀始まってすぐに生まれた私の誕生日周りは年々こういった数遊びに恵まれる。一昨年は2022年2月23日20歳。0,2,3しか含まないのだ。そもそも誕生日が2002年2月23日なのだから面白い数字になりやすいのは当然である。これも若いうちまでのことではあるだろうが。 さて、我が家では家族の誕生日の晩餐には誕生日の本人のリクエストが聞き入れられる。今年は例外的に母親からの提案で手製のピザをいた

          水たまりのように歪なピザ

          しほのかほり

          旅の合間に本を読め! 景色が言葉になる。 言問橋にて

          (2)しずかないちにち

          その日、もう何日前かわからないが、その日は洗濯から始まった。 洗濯ものを取り込むために階段をのぼる。 青空 冬晴れの張りつめた空気のすがすがしい天井だった。 次の洗濯ものを回しながら、メダカに餌をやる。 買ってきたときは10匹だったのにいつの間にか3匹まで減っていた。 さみしくはなかったが家の外の土に埋めた。 埋葬。 次はしじみの世話だった。しじみ、シジミ、蜆。我が家ではペットとして扱われる彼らだ。汲んできたペットボトルに入った海水を六倍希釈して0.5%の汽水域の水

          (2)しずかないちにち

          (1)さいかいののりと

          こんにちは 前回の投稿から大きく時間が空いて随分とお久しぶりな気がしますね。 いつの間にか新年になっていました。新年になったからといって僕を含めて世界が何か変わるわけではありません。2024年の始まりが大変不安定で目まぐるしいのは、世界それ自体が大きく変化しているからであると思います。新しい年が何かを運んでくるわけではありません。 しかし、まあそれが新年、ひいては暦というもので、それ自体に意味があっては区切りとしては公平な立場として成立しません。 (しかし、キリストの誕生

          (1)さいかいののりと

          つまり、この日焦燥はサナダムシ

          踵が痛い。千波湖の湖畔でピキッと痙攣した右足の踵。正確にはその外側。かれこれ1週間が過ぎたが、その痛みは一向に和らぐ気配はない。まるで両側、つまり足の爪先と踵の先の両方から同じ力で引っ張られるような痛み。 日々を義務に追われる事がなくなってから早一月。溢れ返らんばかりの自由時間の束、その質量を抱え、安息とも焦燥ともつかない複雑な心境を以て日々を過ごしている。 1週間。当初の予想と反して「囚われずの身」にしては濃密な時間を過ごしている。僕は今、責務にも自由にも囚われず毎日を

          つまり、この日焦燥はサナダムシ

          0時の鐘は鳴らない

          noteに投稿するのは久しぶりのことだ。部ログや手書きの日記で日常とその折々の文章を書き連ねていたのだけれど、前回の投稿から随分と日数が空いた。継続が途切れた事が問題なのではないと思う。僕はこの数週間noteに書く内容とnoteの僕の執筆上の立ち位置を見失っていたように思う。外界への興味と刺激から自身の言葉を抽出する気力がなかった。そして僕の内側から捻り出される言葉が到底好きになれない鈍重な負の感情の凝集であったから、書く気になれなかった。この状態で何か書いてみても意味はない

          0時の鐘は鳴らない