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自分の愛は自分で守れ

※ネガティブな内容かもしれないです。あえてアーティスト名などを明記していません。こちらの記事はコメントを控えていただけますと幸いです。
自分の整理が9.5割、悩んでいる誰かに届いたら嬉しいなが0.5割の記事です。



あ、私、Twitterやめたほうがいいな。



カムバという怒涛の供給を取りこぼさないよう、きちんと応援できるよう、頻度を増やして開いていたTwitterのタイムラインを見るたびに、自分のライフが減っていくのを感じた。

某赤色のゲームキャラがクリボーにぶつかってダメージを受けるみたいに、一撃一撃は小さくても、着実にゲームオーバーに向かっている感覚があった。


幸せだったライブの翌日に目に入った「台本が悪い」という言葉、ライフ1削れる。

日本の音楽番組への出演決定、飛び上がって喜んでいたら目に入った「年末なんだからゆっくり休んでほしい」という言葉、ライフ1削れる。


空が晴れてて今日も好きな人のことめっちゃ好きだなぁと思いながら最高の気持ちで電車に乗り込んだのに、電車でTwitterを開いたら、会社に着くころには自分が一回り小さくなったように思った。

明らかな悪意や嘘も、ただ嘆き悲しむ声も、かき集めて整理された情報も、どれも結果は同じで、ただ私のライフを確実に1つ1つ殺していった。

誰が正しくて誰が間違っているのか、
「運営が」「アーティストが」「ファンが」「この国の人が」、
どの主語も関係ないよ。
説明なのか擁護なのか要望なのか悲嘆なのか、
それは重要じゃないよ。

全部灰色になる。
ただ好きな人たちの画像や切り取りや翻訳を見てきゃあきゃあしたいだけなのに、スクロールしてたら灰色のものにぶち当たって、自分の心も全部灰色になる。

私が抱いた喜びや幸せが、誰かの灰色の前に揺らいでしまう。
ライブ楽しんだ自分、紅白喜んだ自分っておかしいのかなって、自分が悪者になった感覚で押しつぶされる。

好きな人たちみたいに、主体性を持って人生を歩んでたら揺らがないのかもしれない、でも、自分にとっての癒しの時間にも気を張って、強くいなきゃいけないんだろうか?


うん、だから、やめよう、Twitter。

ここでやるべきは声をあげるとか自分の意見を述べるとか、現状を把握するとか、ましてや誰かを批判するとかではなく、

ただ離れること。


私のスキが否定されない環境で、ただただ、これまで通りに好きな人たちを愛すればいい。
私と私の好きな人の間にある関係も愛情も、私の内側から始まったもの。誰かから始まったわけじゃないから、誰かに証明しなくていいし、されなくていい。

好きな人を好きになって、(私が好きになった時はすでに人気だったけど)さらにさらに人気になって、ファンダムの拡大に伴っていろんな意見を持つ人が増えることを体感した。

いろんな意見は勉強にもなるし、自分も言葉選びに気をつけようと思う良い機会にもなったけど、さすがに疲れちゃった。


親友がとある超有名グループを推してるのだけど、
「日本語で追いかけてるとアンチがものすごいから、英語のアカウントだけ見てる」って言っててそれもありだと思った。

決して、日本人にアンチが多いという決めつけではありません。
(「○○人が」という書き出しって基本、あんまりいいものを生まないよね。)
実際そうなのか、それか、母語で見えてしまうものが多すぎるのかもしれません。

ひとまず、公式の情報だけを拾うようにします!
SNSに時間溶かしてたし、ちょうど良かったかも。

あ、でも私の数少ない大好きなフォロワーさんたちは最近のことに関してなんにも発言してなくて、やっぱり大好きな人たちだなあと思ってます。
自分の心を綺麗に保てるようになったらまた戻るかもしれないので、好きなフォロワーさんのアカウントはこっそりメモ。



ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
My Paceで、自分のやり方で愛せばいいと思います。
私もnoteではこれまで通り愛をぶちまけますので、今後ともよろしくお願いいたします!


※こちらの記事はコメントを控えていただけますと幸いです。






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