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祖父が伝えた味

 昨日だったか一昨日だったか記憶が曖昧だが夕方のテレビで餃子を作っているシーンがあった。

 その餃子が普通の違うのは大きめの皮で具を包んだジャンボ餃子だった。

 それを見ていて実家の餃子パーティを思い出した。

 我が家の餃子作りも皮から作る本格で餡は母の手作りである。

 みじん切りにして塩で揉んで水分を切ったキャベツとニラと挽き肉というシンプルな具材で味付けは塩コショウと醤油でニンニクはあえて入れない。

 皮づくりは父の仕事で強力粉と薄力粉を使う。

 いつも一キロの皮を作るので大きなボウルで揉み揉みして作っていた。

 皮を捏ね終えたらふきんに包んで一時間休ませる。

 生地に艶が出てきたらいよいよ包み始める。

 作業は分担で生地から切り出す人、捏ねて丸く成型する人、出来上がった皮に餡を包んでいく人と手分けして作業する。
 
 私はいつも切り出す係で生地をちょうどいいサイズに切り分けて丸めて次の人にパスをする。

 幼いころからこの作業ばかり担当していたので皮を丸めるのも餡を包むのも滅法苦手である。
 
 それでも家族が多かったのでワイワイ言いながら餃子作りをしていた。
  
 餃子を作る日は日曜日が多かったので夕方はテレビの相撲中継を流しながら作業をしたものである。

 相撲好きの祖父が餃子作りの手を止めて画面に釘付けになるのもいつものお約束だった。

 私もそれなりに相撲好きだったので注目の取り組みは一緒になって応援したものである。

 その間は母や祖母が黙々と餃子作りに精を出してくれていた。

 そのうちに相撲中継が終わるとニュースになるのでそこからは皆で集中して餃子作りをした。

 私が切り分けていく生地も段々少なくなっていきあと一掴みという所で父にもう終わるよと声をかけるのが常だった。

 父はおう分かったと返事して台所で大鍋の準備を始める。

 そう我が家の餃子は焼きではなく水餃子なのである。

 大鍋に沸いたお湯の中に出来立ての餃子をトプリトプリと沈めていきフタをして沸騰するまで待つ。

 気を抜くと吹きこぼれるので誰かがジッと監視している必要があってなかなかスリリングである。

 煮えるまでの間に母が特製の餃子のタレを作ってくれる。

 それを小皿に移して餃子が出来るのを今か今かと待つのは何とも言えない高揚感があった。

 そのうちに鍋が噴いてくるのでふたを開けると餃子たちがプカプカと浮かんでいる。
 
 それをお玉で取り分けてようやくいただきますである。

 熱々の餃子を噛むと皮の奥から肉汁と野菜の美味い出汁が溢れてくる。

 皮はムッチリプルプルで食感が楽しい。

 一個食べるともう勢いがついて止まらない。

 あっという間に食べきって二回目を茹でるまでものの五分もかからない。

 餃子が晩御飯の日は他のおかずは一切出てこないので餃子に集中できて良かった。

 一番食べていた頃は家族七人で二百個は軽かった。

 散々食べても野菜たっぷりの餡なのでもたれる事は無かった。

 餃子は勢いで食べるものだなと子どもの頃に刷り込まれたので今でも焼き餃子と水餃子が選べるならツルリといける水餃子を選んでしまう。

 あの頃は無限に食べられるような気がしたなぁ。

 ああ、いかん無性に餃子が食べたくなってきた。

 お父さん、今度の週末久しぶりに餃子いかがでしょうか?

 

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