辻褄を合わせたがる私たちとそれすらできない私

この文章は推敲者も執筆に参加している。その箇所は[]の括弧で示す。その他は推敲前も書かれていたものである。だから()ももともと書かれていたものである。

特に考えたいことはない。というか、「これについて考えましょう。」という「これ」がない。が、とりあえず実践として何か考えてみることにしよう。なんだか久しぶりに健康なので。

この「健康なので」というのは理由づけである。しかし、理由なく考えてはならないのだろうか。いや、これは一つの先受けなのだ。先んじて応答することなのだ。「なぜ君は考えるんですか?」ということに対する先んじた応答。それが「健康なので。」である。

しかもおそらくこの応答は積極的な意義も持っている。それは「健康」というテーマ以外で理由を探らせないという意義である。それ以外のテーマについては「そんなこと言ってませんよ。」と言うためにそのように言っているのである。ただの深読みだが。

当の本人は「そうも言えますね。」とそっけないだろう。あまり私は考えるのに理由が必要だと思っていないから。だからこそこんなことが書けるわけである。[本当か?そもそもそんなことを思っていないのだとしたらそのようにすら書けないのではないか?]

ドリンクバーで飲むものを取ってくる。今日は『

やめておこう。三つの本を読んだがとりあえずやめておこう。私は辻褄を合わせたがるので。

しかし、君も知っているように私たちは辻褄合わせでしかエネルギーを得られないのかもしれないよ。いや、「エネルギー」という概念そのものがその習癖(習慣と嗜癖を合わせた言葉。いま作った。実際にあるのだろうか?)の産物なのかもしれないよ。[「エネルギー」と嗜癖は相互に依存しているのだとしたら二つの領域があると考える理由を書かなくてはならないのではないか。その理由がないなら二つに分ける必要がないからである。

いや、そんなことはないだろう。なぜなら、「エネルギー」という概念についてその概念が私たちの嗜癖を産むのではなくて嗜癖がその概念を産むのだという反転がここにはあるから。

本当にそうだろうか?「反転」があるというのは理由になるのだろうか?]

なんというか、あ、君の質問にこたえるのだけれど、なんというか、私は最近辻褄合わせをする気が起きないんだよ。いや、なんだろう、辻褄を合わせても、いくらうまくそれをしてもなんだかつまらないんだよ。

どうしてだろうね。

とりあえずドリンクバーに行ってくるよ。

[抹茶オレをいれた。別に書かなくてもいいが隙間を作っておきたかったので書いた。]

おかえり。君は最近何だか忙しないよ。君はいつも過剰適応している気がするな。本当はできないくせに。

どうだろう。私が嫌なのはゆったりとした、例えば揺れる木を見るような快楽さえ何かのためのものであるかのように考える私だよ。

その嫌さは二つあるんでしょう?

ご明察だね。そう、二つある。一つは勝手に考える私、もう一つはそのように考えているのだろうと考える私。この二つだね。[前者は行為の忙しなさ、後者は解釈の忙しなさ、と言ってもよいかもしれない。この対比については『庭のかたちが生まれるとき』という本の「ここでは研究者と庭師、解釈と行為が対比されている。石がなにを求めているのかを"研究者のように解釈する"のではなく、しかし、石の乞うところにしたがって"庭師として行為する"。」(『庭のかたちが生まれるとき』51頁)という対比の仕方を参考にしている。さっき読んだ本の一つはこれである。]

どちらも忙しないね。忙しないことを嫌っているくせに自分がそうだから嫌なんだよね。

いや、私はそういう自己矛盾で嫌になることはないんだよ。たぶん。私が嫌なのはただ単に息が詰まるような、それが「忙しなさ」だね。それが嫌なんだよ。

でもさ、それが嫌なのもよくわからないけどね。

そうなんだよ。そこでも私は忙しなく目的合理性批判みたいなことを考えてそれを抑制してるんだよ。それはしょうもないんじゃない?みたいな感じで。

それだと、でも、それだと八方塞がりじゃない?

そうなんだよ。だから結局そこから逃げ出そうとして飛びついちゃうんだよ。飛びついちゃってるんだよ。私はもはや言い訳ができなくなってるんだよ。その忙しなさも価値があることだ、という言説を騙し騙し信じられなくなっているんだよ。[少しわかりにくいが「騙し騙し信じ」ることすらできなくなっているということである。おそらく。]別に他人が信じてようとどうでもいいんだけどね。

話は変わるがその「別に他人が信じてようとどうでもいいんだけどね」をわざわざ言うのはなぜだい?それは自分を非道徳的だということに怯えている人が道徳にたくさん言及する可笑しさ、微笑ましさに似ている気がするんだけど。

まあ、たしかにそうかもしれない。「別に〜」って僕はよく言うけどそれは大半そうだろうね。しかし、テーマというのは、議題というのはそういうふうにしか存在できないものだよ。その手がかりを失えばもはや私にはザラザラしたところがなくなるよ。

君はそれが怖いんだね。

そうだろうね。私がたまに言う「オートシステム」というのも私の預かり知らぬところでザラザラが失われていっていることの表現だろうね。

どうしてそれが怖いんだい?

どうしてだろう。それは難しい質問だね。

(抹茶オレをくるくる。氷を鳴らす。うなだれる。口を尖らせる。眉をしわしわにする。)

よくわからないなあ。うーん、なんでだろうなあ。すごく単純に言えば、たぶん、うーん、疲れなくなるからだと思うよ。なんというか、スピーディーすぎると疲れとかがそもそもよくわからなくなるからだと思うよ。

疲れたいから怖いってこと?

うーん、そういうことでもないんだけど、

本当に怖がってるの?

まあ、たしかにそれもわからないんだよね。ほとんど拒否反応的だから、私にはそう見えるから「怖い」が適切だと思っているだけで実は拒否反応ですらないかもしれないもんね。

うーん、まあ、それはなんとも言えないけど、その怖がりのせいで動けなくなるんじゃないか、って私は思うよ。反転のための前フリならいいんだけど。それが本当にそうなのかは後からしかわからないじゃない。だから怖いんだよね。私は君が。

そうだよね。八方塞がりじゃなくて二方塞がりだね。ツルツルすぎることとザラザラすぎること。どっちでもダメな気がするよね。でもねえ、難しいよねえ。

なんだろう。単純で素朴な快楽がないんだろうね。いまは。

うーん、なんというか、連鎖の中の部分、以外の意味性とか価値性とか、そういうことがよくわからなくなってきているんだろうね。[このような発想、「連鎖の中の部分」としてしか意味とか価値とかがわからないという発想、ラカンに見られるような発想を私は随分前から否定しようとしている。が、それができていないことがここで言われている。]プラグマティズムがわかるのはいまなのかもね。

たしかに。いままではなぜか知らないけど理論だけで楽しめてたけど実践が必要なのかもね。まあ、こんな対比は大雑把すぎるかもしれないけれど。

こういう留保みたいなもののせいでリズム感がないというのもあるかもしれないね。「大雑把すぎるかもしれないけれど。」みたいな。まあ、あと、単純に眠たすぎるのかもしれない。まあ、これが症状だと言われるならそれも否定できないのが困ったところだけれど。

Aするべきなのにそうできていない。このようなことで私たちは苦しむ。だからと言ってAを相対化しようとするだけでは苦しみからは逃れられない。さらに言えば、その相対化は「するべき」ということ自体を相対化することに向かうことが往々にしてある。それは危険なことである。[いや、危険なのは相対化を絶対化することによって仮住まいすら存在しなくなることである。ここでの書きぶりは少し雑である。]

私が危惧しているのは、いや、危惧していることの一つはおそらく、先んじた否定によって本来否定しようとしたことではないことまで否定することになってしまうのではないか、ということである。

もちろん、このことを知っているから「健康」をテーマとして扱うようにする限定が行われているよ、くらいのことはわかる。ただ、それも別に習癖によるものなのか、それともそうしなくてはならないくらい怖いのか、それがわからないのである。そして仕方なく後者を取ることになるのである。[なぜそうなるかと言うと仮に後者なら死に関わることだからである。もちろん、「死ぬかもしれないよ。」という脅しがここにあるかもしれない。それはそうだがそれがわかるかどうかとそれに屈するか否かは別の話である。]ここでの仕組みはこういうものである。それがわかったとしても別に何も変わらない。認識したところで存在は揺るがないからである。

「考えすぎないようにね。」とよく言われるが「考えなさすぎるのも怖いなあ。」と思うのである。なぜ怖いのかはわからないが。[これが仮にナルシシズムによるものならまだ希望はあるのだが。「あの人って考えないんだってさ。」みたいに思われたくないから怖いのならまだ希望はある。考えなくてはならないという信念だったり周りの目を気にすることだったりをなんとか克服すればよいからである。しかし、そうではない気がするのである。]

結局の問題はこのわからなさにあるのだと思う。もちろんこれを考えないようにすればいいのかもしれない。それはもちろんそうである。しかし、それは私を呼んでいる。私は聞こえないふりをしているがその事実によってそれは聞こえているのである。

[ツッコミを入れるのは楽しい。私は嫌なやつだからである。しかしそれによって救われている感じもした。まあ、そういう感じがしたせいで遠慮してしまったところもあるのだが。]

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