死への遠回りとしての人生

ここからの君は私のことである。

君はどうして「別に」と言って目配せするんだい?

別にいいじゃないか。

別にいいんだよ。でもさ、なんだか不思議なんだよ。君は何も気にしていないみたいな顔をして方々に気をつかっている。それがなんだかおかしくてさ。別にいいんだけどね。

君はどうして死にたがっているんだい?死にたがってなんかいないよ、とは言わせないよ。君は「トラックが突っ込んできてくれたらいいなあ。」と思っていたじゃないか。バイクに乗っているとき。急にハンドルを切って壁に激突してやろうかなあ、そう思っていたじゃないか。あれが嘘なら君は君自身を騙そうとしているわけだ。なんのために?

問いが多すぎて難しいが、たしかに私は死にたがっている。しかもできるだけ理由なく死にたいと思っている。いや、私の欲望は、私の欲望と言えるのは「理由なく」のところだけで死は別にこだわっているところではない。

本当かい?でも、「理由なく」が使えるのは「死」とか、それに類することだけではないかい?

それは君の視野狭窄のせいだよ。別に「生」にも、それに類することにも「理由なく」は使える。

まあ、それはそれでいいけれど、君は実際に死のうとしていたじゃないか。

別に死のうとしていたわけじゃないよ。別に死んでも後悔というか、恨みというか、そういうものはないなと思っただけだよ。

それを「死にたいと思っている」と言うんじゃないの?別に「死にたい」というのは死を真っ直ぐ見つめてそこに向かうことじゃないんじゃないの。君はいつもそう言っているじゃないか。それともまさか「死を真っ直ぐ見つめてそこに向かう」ことをそう言っていたのかい?「死にたい」ってのはそういうことだって。

そうかもしれない。私はこの気持ち?のようなものを認められなくてそういうフィクションを否定しつつそれを誰かさんに押し付けていたのかもしれない。けれど、

たしかに。これを「死にたい」であると認めてしまうとそれに見合う生活をしなくてはならないような気がして辛いよね。というか、君の辛さはおそらくそこにある。君は同一性が嫌いだけどそれは君が同一的であろうとするからだもんね。ようやくそれがわかってきたよ。

そうなんだよ。おそらくそうなんだよ。ただ、別にこの嫌さはみんなにあると思うけどね。

君にしては随分適当な意見だね。別にみんなはそう思っていないと思うよ。いや、わからないけれど。

そうなんだよ。わからないんだよ。みんなはこのことをあまりテーマにしていなさそうなんだよ。

たしかにね。でも、哲学者たちはそれをテーマにしているよ。君はもしかすると哲学に罹患しているだけなのかもしれないね。ただの凡人なのかもしれないね。

私は私のことを凡人だとも凡人でないとも思わない。というのは嘘である。凡人ではないと思っている。これが自尊心ゆえのことなのか、それとも周りに言われるからそうなのか、それはわからない。おそらくはどちらもだろう。でも、本当はどうでもいいと思つている。いや、思っていてほしいと願ってはいる。だから、他人にむやみに天才幻想を押し付けているところがあるのかもしれない。わからないが。

私は私を卑下するために考え始めたわけではない。卑下しないためでもない。それは何度でも確認しておきたいことである。私は考えたくて考え始めたのである。

君は君が思うよりも普通の人なんだよ。きっと。

普通の人?

うん。別に天才じゃない。

うん。別にそう思っているよ。本当はそんな話をしたいわけじゃないでしょう?

そうだよ。でも、君はそれに苦しんでいるようにも見えるから。

いや、別にそういうわけじゃないと思うよ。否定はこれくらいしかできないんだけど、別にそういうわけじゃないと思うよ。

ばたばたと理由を探さなくてはならないことなんて本当にあるのかな。

君は怖がりなんだよ。

それはそうなのかもしれないね。最近やっと気がついてきたよ。

君はもっとさ、君がしたいことをしたらいいと思うよ。読書も生活も。それでさ、疑問に思ったり違和感を持ったりしたらさ考えればいいじゃない。それ以外はのびのび世界と呼応すればいいじゃない。君はそうやって生きていきたいんでしょう?私は君を見てきたから知っているよ。君より少しだけ素直だから、知っているよ。知っていることにさせておくれよ。なにもかも疑わしいのはわかるよ。でもさ、それは楽しまないことの理由にはならないじゃない。そんなふうに私は思うよ。

私はいつも犬のぬいぐるみと一緒に寝ている。今日は一緒にお布団に入っている。

君は変わっているよ。あとはそれを認めるだけだよ。完全に同意なんてしなくてもいいけれど完全に否定するのはほとんど同意みたいなものだよ。追い詰めるわけじゃないけど、変わっていることは変わっていると言ってもいいんじゃない?同一性が嫌ならとりあえず何かに預けとけばいいからさ。慣習とか言語とか、作品とか他人とか、彼らに預けときなよ。一旦。思い出したら返してもらえばいいじゃない。

今日は寝よう。ラーメン屋さんの「いつもありがとうね。」がやけに染みたことを想って。

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