さがしものさがし

あたらしい世界が開けるその瞬間を和やかに、そして厳かに書き留めることができたなら、私が…

さがしものさがし

あたらしい世界が開けるその瞬間を和やかに、そして厳かに書き留めることができたなら、私が表現することの価値はあると考えています。

マガジン

  • 思いついたときに書く、直接、ここに

    思いついた時に、直接、ここに書いたものを置いています。簡単に言えば、あんまり何も考えずに書いています。

  • 文学

    一週間の日記が一番文学らしいので文学と名付けています。読んでもらうと私という人間がどのような人間と関わり、どのような人間になりたいかの片鱗がわかるかもしれません。

  • 有料(優良)作品集

    有料ですが優良な作品たちです。気合入っています。

  • 一本道

    他の可能性を無視する形で走ることでその一本道に多様な可能性を呼び込もうとする天邪鬼な文章実践です。

  • 私の基本的立場

    自分が基本に据えているもしくは据えてしまっていることを書いています。私の基本的な論の進め方や前提について書いてあると思って貰えばいいと思います。

記事一覧

私が好きなスタイルの話

 すんごく短い文章を書こう。  書くというのはどういう営みだろうか。最近はやたらと論理的に書くこと、読み手に伝わるように書くことがもてはやされている気がする。ま…

『名盤を買わずに回す』

2024/5/27「名盤を買わずに回す」 君の哲学を完成させてみよう。評することで。 君の哲学のテーマはなんだろう。私はなんとなく、「同一性の制作」みたいなテーマがよく…

ここに人生訓はない

 軽く、ふゃりと書いてみたい。いつも書いているようなことを。  私は思うのだ。私はすでに楽しむということを知っている。何を読んでも聞いても、ある程度は楽しめる。…

私が考えたい100個の問い

この文章は100個の問いを仕立ててみるという文章です。この文章はⅠ部とⅡ部に分かれています。Ⅰ部ではとりあえず100個、問いを出しています。Ⅱ部ではその100個の問いを…

無題

私には無理やり繋げるという力がある。なので、文章を番号をつけながら書いていって、たまに何個か前のキーワードや文体と繋げる、ということを強制的にしたら面白いかもし…

つまらない文章/面白い文章

私はどういうものを読みたいか。それを考えてみよう。私はそれに合わせて書いているところがあると思うし、それに合わせて面白い/つまらないを判断しているところがあると…

「代弁」しないという倫理

私は何らかの規範によって自らを苦しめている。のかもしれない。この二つの文章は連続して書かれたわけではないがその規範を捉えようとしたものであるという意味で連続して…

「意地が悪い」とはどういうことなのか

私は私の意地の悪さと偏りとを理解したい。それをなくしたいからではなくそれをつかいたいから。 しかし、困ったことに私は意地が悪くない。いや、「意地が悪い」というこ…

『自殺と他殺のあいだ』

2024/5/20「自殺と他殺のあいだ」 ただ漠然とした不安がある。それを何かに押し込めようと、それを何かに押し付けようと、そうするのだがやはり、それは「漠然とした不安…

狂気にならないように書くことの重要性

ここでは無理やり二つの文章をつなげるという懐かしいことをしてみよう。まずは二つの文章を確認しよう。 上の文章をAと呼び、下の文章をBと呼ぼう。Aは「忘れる/こだわ…

100

すべての「話」は「問答」であり、すべての「問答」は「自問自答」である

 自問自答というものがある。自分で問うて自分で答えるということである。ところで、私たちは実は問答という形でしか理解ができないのではないだろうか。というのも、どん…

1000文字で私の哲学について解説!したかった!

さて、1000文字くらいで私の哲学の実践的な側面を描き出してみよう。 私の実践的な哲学は基本的に次のような問いによって構築されている。「どうしてわざわざかたるんだろ…

映画『missing』と私、それらもしくはそれの感想および考察

『missing』(調べるとタイトルはカタカナで「ミッシング」らしいがエンドロールにはこういうふうに書いていたし、私もこちらの方が好きなのでこちらで書く。)について考…

私の変容について(宣言とモットー)

「私の変容について」ということについてかなりボリュームのある文章を書いてみたい。 最近の私は変わろうとしている。もちろん、私はいつも変わっていて、だからこそ「私…

読書はなぜ楽しいのか 4(私は哲学が好きらしい)

眠たいが書いてやろう!やる気だやる気! こんなキャラではないのだが書いてみようと思う。 結構眠たい。おそらく寝ようとしたらすぐに寝れるだろう。しかし、書くといっ…

ネガティブとか考えすぎとか

さてさて、私は本当にネガティブで、私は本当に考えすぎなのだろうか。 ネガティブとか、考えすぎとか、そういうことについて考えたいのだが、どのように始めたらいいのか…

私が好きなスタイルの話

 すんごく短い文章を書こう。
 書くというのはどういう営みだろうか。最近はやたらと論理的に書くこと、読み手に伝わるように書くことがもてはやされている気がする。まあ、これを「もてはやす」という多少は眉を顰めるような書き方をしている意味について書いてもいいがそれは少し長くなりそうなので私が好きなスタイルの話をしよう。書き方の話をしよう。
 私が好きなのは自分が書いた前の文章に必要以上に触発されるような

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『名盤を買わずに回す』

2024/5/27「名盤を買わずに回す」

君の哲学を完成させてみよう。評することで。

君の哲学のテーマはなんだろう。私はなんとなく、「同一性の制作」みたいなテーマがよく言い表しているのではないかと思う。

もう少しごわっとしてもいいのなら「変化と同一性の制作」がいいのではないだろうか。

「変化のためには同一性が必要である。」これが第一原理である。そして第二原理はおそらく、「同一性は制作される

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ここに人生訓はない

 軽く、ふゃりと書いてみたい。いつも書いているようなことを。

 私は思うのだ。私はすでに楽しむということを知っている。何を読んでも聞いても、ある程度は楽しめる。もちろん度合いもあり、そこに一つの区切りを立てることはできる。けれど、私は知っている。私は何でも楽しめるということを。
 これについて、私は随分、何度も書いてきた。それは他人にとっておそらく、おそらくはこのことが優れて響くと思うからである

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私が考えたい100個の問い

この文章は100個の問いを仕立ててみるという文章です。この文章はⅠ部とⅡ部に分かれています。Ⅰ部ではとりあえず100個、問いを出しています。Ⅱ部ではその100個の問いを「再構築」しています。気になる問いがある人は勝手に使ってもらってもいいです。声をかけてもらえると嬉しいですが別にかけなくてもまったく構いません。

Ⅰ部

私も問いを考えてみようかな。うん。別に話す人はいないけど。ちゃんすさんみたい

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無題

私には無理やり繋げるという力がある。なので、文章を番号をつけながら書いていって、たまに何個か前のキーワードや文体と繋げる、ということを強制的にしたら面白いかもしれない。サイコロがあってもいい。これによって異物も生まれ、それはおそらく私たちの新しい連帯を生むだろう。いい思いつきであり、「乱置」という実践の復刻という感じがして私としてはアツいのだが、もう深夜なので寝よう。これは明日以降の私に頼むことに

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つまらない文章/面白い文章

私はどういうものを読みたいか。それを考えてみよう。私はそれに合わせて書いているところがあると思うし、それに合わせて面白い/つまらないを判断しているところがあると思うので。

まず、私は問いと答えがセットになった文章が読みたい。ぎちぎちにリンクして、問いと答えがギチギチにリンクしている文章が読みたい。しかし、この「ギチギチ」というのは整っているということを意味しないし、説得的であることも意味しない。

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「代弁」しないという倫理

私は何らかの規範によって自らを苦しめている。のかもしれない。この二つの文章は連続して書かれたわけではないがその規範を捉えようとしたものであるという意味で連続していると考えられる。ここではその規範について考えてみたい。

まず、上の文章からいこう。私は他人に自分の気持ちを代弁されるのが嫌いである。別に理由があってそうであるわけではなくてただ単に嫌いなのである。もちろん、この「ただ単に嫌い」に理由をつ

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「意地が悪い」とはどういうことなのか

私は私の意地の悪さと偏りとを理解したい。それをなくしたいからではなくそれをつかいたいから。

しかし、困ったことに私は意地が悪くない。いや、「意地が悪い」ということがわからない。まるで憎しみにならない。まるでエネルギーにならない。ああ、私が「意地が悪い」とすれば、すべてをエネルギーになるか否かで考えていることにあるだろう。しかし、これは本当に「意地が悪い」のだろうか。

たしかにこの「わからない」

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『自殺と他殺のあいだ』

2024/5/20「自殺と他殺のあいだ」

ただ漠然とした不安がある。それを何かに押し込めようと、それを何かに押し付けようと、そうするのだがやはり、それは「漠然とした不安」である。

私は君たちの助けをそれとして活かすことすらできない。それはそれは、それこそが絶望である。

私は何にせよ絶望しているのである。もはやそれを偽りの絶望であるとは思えないくらいに。

すべてが偽りでありすべてが真実である

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狂気にならないように書くことの重要性

ここでは無理やり二つの文章をつなげるという懐かしいことをしてみよう。まずは二つの文章を確認しよう。

上の文章をAと呼び、下の文章をBと呼ぼう。Aは「忘れる/こだわる」と「批判/称賛」が重ね合わされ、後者が反転しうることから「忘れる/こだわる」が「実質的に同じ」であることが指摘された文章である。後者は「哲学」が「読める」のは「反復」しかないからであるのに対して「文学」が「読めない」のは「反復」だけ

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すべての「話」は「問答」であり、すべての「問答」は「自問自答」である

 自問自答というものがある。自分で問うて自分で答えるということである。ところで、私たちは実は問答という形でしか理解ができないのではないだろうか。というのも、どんな話、お話も結局「わざわざなんでそんな『お話』をするんですか?」という疑問を受け付けているからである。この疑問は言い換えれば、「その『お話』はどういう『問い』に『答える』ものなんですか?」ということだろう。このような疑問に私たちは大抵答えら

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1000文字で私の哲学について解説!したかった!

さて、1000文字くらいで私の哲学の実践的な側面を描き出してみよう。

私の実践的な哲学は基本的に次のような問いによって構築されている。「どうしてわざわざかたるんだろう?」という問いによって。ここで重要なのは「語る」と「騙る」という区別である。(ちなみに「かたる」がひらがななのはこの区別の重要性を示唆するためである。このことはこの文章だけではなくこの時期の私が書いた文章のほとんどで採用されているレ

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映画『missing』と私、それらもしくはそれの感想および考察

『missing』(調べるとタイトルはカタカナで「ミッシング」らしいがエンドロールにはこういうふうに書いていたし、私もこちらの方が好きなのでこちらで書く。)について考えよう。

まず、私の悪癖だと思うのだが、私は映画を構造の反復として見てしまう。そして、この映画にも反復がたくさんあった。ような気がする。

この映画を観たあと私は主に二つの感想を持った記憶がある。一つは「構造の反復が多いなあ。」とい

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私の変容について(宣言とモットー)

「私の変容について」ということについてかなりボリュームのある文章を書いてみたい。

最近の私は変わろうとしている。もちろん、私はいつも変わっていて、だからこそ「私」なんてものが必要であるとも言えるのだけれど、その「私」がもはや虚構に見えるくらい、そういうエネルギーを持った変化、言うなれば変容が起ころうとしている。そんな気がするのである。

その変化、変容を捉え、それをさらにぐわんぐわんと進めていく

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読書はなぜ楽しいのか 4(私は哲学が好きらしい)

眠たいが書いてやろう!やる気だやる気!

こんなキャラではないのだが書いてみようと思う。

結構眠たい。おそらく寝ようとしたらすぐに寝れるだろう。しかし、書くといったら書く。明日の朝に推敲して出す。そういうことにした!

私にはニーチェのような意欲に溢れるイクスクラメーションマーク(!のこと)は使えない。私はただ駄々をこねるようにしか使えない。

落ち着こう。やけくそのときにこそ書けることがあるか

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ネガティブとか考えすぎとか

さてさて、私は本当にネガティブで、私は本当に考えすぎなのだろうか。

ネガティブとか、考えすぎとか、そういうことについて考えたいのだが、どのように始めたらいいのかがまるでわからない。

例えば、「自分はどう考えても無能である」と言っている人は「考えすぎてネガティブである」と言えるだろう。おそらく。ここから考えてみよう。そういうふうに思うのだが、困ったことに私はそう考えていない。しかも、そのように考

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