疲れきった頭で考える
なんだか頭がとても重たい。今日は展覧会に行って三時間強、頭を休ませることなく、いや後半は少し休ませていたが、ほとんど限界まで頭を使ったので誰か知らない人に、いや、知っているけれど特に特定のモデルがない人に話していることにして頭のガスを抜こう。その労働、頭の重労働からもう6時間弱経っているのだが頭が重くて仕方がない。寝たのにもかかわらず治らなかった。困ったことだ。
理解というのは対比を見つけることである。対比というのは共起と対立のあいだに存在する。それぞれを書き分けるために記