見出し画像

飛龍よ再び【本編】

決行直前


ルートはこの前敗退した時と同じものに決めた。山の数は稼げないが、今最早稼ぐ必要もない。丹波からサオラ峠、前飛龍、飛龍山というごく素直な流れである。

雲取山からであればまだ上ったことのない山は0でカウントの一つ目が飛龍山となる。『お祭り』からであれば合計5、『丹波山温泉』からであれば合計4つ上れる計算なのだが、『プロローグ』で述べた「幸運」というのはこれのうちどれでも好きなものが「選択できる」ということがそれである。選ぶか選ばないかは別として、この「選択できる」という「状況」「余裕」こそが私にとっては「幸運」に他ならない。

帰宅時間はやや遅くなり、寝る時間も遅くなることだろうと思う。これによって影響を受けるのは翌日予定している山行計画、飛龍山とは別の角度からの、もう一つの意味での『記念山行』で、疲労などで朝一番に起きれなければ、その開始が思いがけず遅くなるかもしれないというか、睡眠時間を削ることになる可能性が高い。0.5掛けでも最終バスより一つ前のものに間に合うように丹波へと下れる可能性はあまりにも低すぎる。

それさえ叶えば大成功ではなく最早ミラクルの類といえるだろう。あらゆる後の予定というか、余裕が明白に変わっていく。ただし、こういうことに希望を持つと無理だとわかった瞬間から無駄にガッカリすることにもなるので、邪念として頭の中から完全に打ち払ってしまった。

迷いなく如何にペースを維持しながら熊倉山まで、できれば飛龍山頂まで辿り着けるかというのが今回の山行の鍵を握っている。雪による阻害が予想以上に悪く働けば、最終バスに間に合わないこととなり、今夜は再びビバークとなるかもしれない。これが最悪のケースだ。

サオラ峠まで

前回は、そこかしこに草が生い茂ったこの林道の入り口へ道が分からず、また入ってからも道の選択を迷ったいくつかの部分で誤った道を進んでしまったのだが、同じ場所ではもう迷うことがない学習をしたというだけでも、なかなか向かいやすいものがある。

少なくとも峠まで辿り着ければ、快晴故の明るささえあれば、飛龍までそう難しい道のりでもないのではないかと思える。そのぐらい、峠までの道が楽だった記憶がないとも言えるのだが。そしてもし、峠を楽に越えることができても、熊倉山の先、段差の大きい藪などが見えないぐらいの雪に覆われてしまって虚空を踏むかのような状態になっていれば、大変困難な道となるかもしれないとも思う。

いずれにせよ、とにかく今はサオラ峠。ここを攻略することに集中した。そこまで行けてしまえば......。山行工程自体、いつもの10時間を超えるものと比べれば半分程度の予定であり、体力の配分を誤ることもそうないはず、なのなのだが......。

いざという時の備え、つまりビバークの準備も、それは礼儀として一応あるし、もしも結果的に標準タイムより大きく遅れ、更に諸々遅れてバスに間に合わなくなるようであれば、途中で計画を変更するのは必要な判断であり、暗くなる前に引き返すのは賢明な判断だ。

ここでの目安のひとつは

「標準タイムの2倍以上の速度が最初から最後まで、ほぼ常にキープできているか」

という部分である。それができてれば色を出して他のルートを検討する余裕すら生まれるというものだ。

しかし、これが全くの計画倒れに陥って、箸にも棒にもかからないカタチでできていなければ、最終的にはルート的にも選択肢がなくなり、また更に翌日の山行計画すらも飛龍山への「リ・リベンジ」となることだろう。

丹波で下車の後九十九の道を進み、林道へと入る。あの日とは違い靴こそ重装ではあるが、荷物は圧倒的に軽装である。トレイルラン用のシューズは確かにタイムでは早いが、例えば丹沢山塊のメジャーな一部のように整備されよく踏まれている場所ならともかくとして、荒れた山ではすぐに枝で穴が開き、脆い。脆すぎるのだ。

あれからいくつも地面の荒れた山や地形を上ってきたが、上れば上るほど、トレランシューズの諸々の良さを理解した上でも、自分の現在の登山スタイルの場合、登山靴以外はありえないと思うようになった。

重くても登山靴を履き、それを軽いと感じるように鍛えていくことを選択し、それを今まで実行してきた。その成果がいよいよここでぶつけられると思うと、楽しみで仕方がない。

尚九十九の林道を上り分岐の先も更に上って、岩の集まった九十九の門を少し上った先からやや深めな落ち葉の道となる。この落ち葉の道で傾斜は一旦落ち着くようにみえるのだが、再び上りになるとここはもう岩の勢力下なのだなと感じるような地形となる。

尾根らしき天井も時々透けて見えたこともあり、長く巻いた先から「道の感じが変わってから割とすぐに峠があって、そこを超えてからはそう苦労もなかったっけかな?」と回想する。

しかし、そんな見積もりは甘かった。実際のその後の道のりは記憶にあるそれよりも長く険しかった。あの日と同じように

「まだ終わらないのか」

と感じる。高度が上がり小さくなっていく丹波山村を何度と微妙に異なる縮尺で見る。アプリを極力参照にしないようにしていてすら長く、まだかまだかという思いは続く。

しばらく歩いていると、目の前2mぐらいのところに落石があった。少し進むと間も無く登山者2名とすれ違ったが、状況的に彼らからの贈り物だろう。あれを喰らっていたら、今頃どういう関係性になっていたのかと思うと興味深く、恐ろしいものがある。

そのすぐ先ですれ違った下山者と少し話をし、「積雪は前飛龍から30cm程度あるから引き返した」ということを教えてくださったので礼を言って別れた。山のコミュニケーションとして、私が大変好きな類のものだ。この段階で引き返して、平穏な一日をのんびり過ごすのも一つのいい案だとして、正直とても迷った。

ここで引き返したところで、年間365山以上を上ったということは変わらないのだ。そしてそれは自分自身には価値のあることではあるが、稀に同じように思ってくれていたり、気持ちがわかるという人はいるのかもしれないが、世の中のほぼ全ての他人にとってはどうでもいいことだ。

結局YAMAPを始めて一年というか『蛭ヶ岳』に上ってから丸一年の日までにどうしても飛龍山に復讐したいという思いと、その日のために鍛え上げた今の力をただただ試したいという思いというか、意地でだけである。しかしその意地が私にとってはなかなかに、いや大変大事なものだというわけだ。

「現地まで行って確かめてから引き返しても遅くない」

その直後、鋭い岩の斜面で軽く滑ってしまい、手をついて小指の付け根を負傷した。更にテンションが下がりそうな気がした。軽い切り傷程度のものだが、少し痛む。嫌なことが起きるとコースタイムも気になり始め、上りが長いためか予定の範囲に微妙に収まっていない。まだまだ許容範囲内ではあるが、なるほどあの日私の心を入り口から折っただけのことはあり、本当に手強い峠だ。

九十九が狭くなり、岩上りの予行練習のような、ロープの貼られた一帯にたどり着けば、いよいよ「峠が近い」と思い始めても然程ガッカリしない筈だ。

熊倉山まで

峠にご夫婦がおり、二人とも『ゲイター』(脚用の防雪着)を装備していたこともあって「もう山頂までいってこられたのですか?」と声をかけた。どうやらそうわけでもなく、山頂には行く予定もないらしかった。

前回の飛龍山行では、峠から熊倉山までの間は日暮れの間際で、かなりの部分で走った記憶がある。しかしいざ来てみると、峠の上りが一服するまでが、険しいというほどでもないがそれなりに長く、すぐに走れる感じでもなかった。

「少なくとも峠から熊倉山までは、すぐでラクだったような気がする」

と思っていたのだが、地図を確認すると55分(目標27分)とあり、意外だった。しかし道としてはそう難しくはないはずだ。雪を目にすることも増えてくるが、ゲイターはともかく、まだスノースパイクを履くほどの質、量でもない。

いつもの「マイナー山」の山頂付近のような雰囲気の塊がいくつか目の前に現れ上っていったが、もはやこの手の山のうちそこまでなんでもないものは慣れてしまった。それをいくつか上った場所に埋められていた三角点が熊倉山の山頂であった。尚、山頂の標などはないと思っていたが、下山時角度を変えて山頂を見ることが出来たことで「ある」というのを知ることができた。

前飛龍まで

いよいよ雪が牙を剥き始めた。いや、ただ雪がというよりは、地形や向きがその質の悪さを手伝い始めたという方が正しい。熊倉山から前飛龍に向けてすぐの下り道に、危ないものがある。

まだ多くの場所はスノースパイクを履くまでもないぐらいのコンディションでしかなかったのだが、ここだけはよくよく地面を見ながら進まないと危なく、またもし明日以降で近日中に飛龍山に登ろうという人がいるならば、ここで履いておくといいと私は思う。

前飛龍までは基本的に雪が増え、そして岩山の要素が大変強くなる。飛龍山登山の思い出の中では、岩山と倒木による阻害が占める割合が大変高いのだが、それらが多くあるのがまさにこの区間だった。

あの時と違うのは、時間が早いため周りが明るくてよく見え、道迷いしそうな場所でも雪の上に「踏み跡」があることだ。雪がなくなればどうなるかわからないが、倒木のある場所がまさに正規ルートとして効率のいい場所だというのを知ることができたり、道が広すぎて非正規ルートが寧ろ体力を使わなくていい「巻道」のように活用できる箇所というのがあったりと、「雪のおかげ」とも言えるぐらいの歩きやすさで、快適なぐらいである。

岩と雪の組み合わせは確かに危険で足の置き場が難しい部分もあるのだが、これなら『御前山』の方がまだ余程酷いぐらいである。

まだ前飛龍ではないのかとYAMAPを開くと、ほぼ山頂にいるのだが、あまりにもなかなか進まない。前の時もそうだった。それで心が折れたのもあった。高度ばかりが上がっているのかもしれず、この山ではあまり頻繁にYAMAPは見ない方が精神衛生上良さそうだなと思った。

岩を上り続けていると、見覚えのある薄くなった標識が目に入った。道標を兼ねた前飛龍の標である。前回入り、短時間ビバークをしようと思った露出した岩場は「入るのは自己責任云々」とのことだった。恐らく当時からその旨書かれていたはずではあるが、無視して入ってしまったところを顧みると、あの時はそれを見逃すぐらい余裕がなかったのだなと思う。恥ずかしいぐらいである。

飛龍権現まで

前飛龍のすぐ上の、大変見晴らしのいい岩場から写真を撮ろうとすると、iPhoneの調子が悪くなり、このタイミングでの撮影をあきらめた。

「帰りでいいか」

時間がかかったというのもあるが、工程の微妙な遅れがそうさせた。といっても致命的なほどではなく、バスの時間には大分余裕はあるのだが、この先は峠前に出会った人が「諦めた」という道だ。

前飛龍から飛龍山まではあまり距離が長くない「はず」であるが、雪が深いというのがどのくらいの「悪影響」をもたらすのか、やはり現地を見てみるまではなんとも言えなかった。今まで上ったことのある「雪のある山」というのは、せいぜい冬期の『雲取山』『御前山』と『丹沢山塊』と歩いていたら雪が降り出した『山中湖』周辺の山ぐらいなものだ。その基準でみて、どのくらいの雪かというので

「進むか退くか」

をいよいよ決める瞬間を迎えようとしていた。

飛龍権現への道は、最初こそ岩上りのようであったが、薮の地帯が始まると藪歩き、藪下りのようになっていった。この辺りまで来ると、なぜこの山が『飛龍』と呼ばれるのか、別の視点から少しわかる気がした。伝説もあるが、細い尾根の上の、一定のまとまった地形を歩きつづけることが、長いヘビというか、飛龍の上に乗って歩いているようになるからというのが、ひとつあるのではなかろうかと私は思った。

嫌な箇所が多いわけではないが、その「威力」の部分が強くなる。倒木にせよ、道迷いしかねないような場所にせよ、角度の危険な坂にせよ、それは雪がなければこそ益々嫌なものとなるのではないかという類の質の悪さであり、やはり寧ろ雪が故に助けられ順調に進めたという部分が多い。尤もそれが、下り時においてまで有益に作用するとは考え難く、帰りは必ずスノースパイクを装着しようと心に決めた。

藪下りであっても危険性が高いと言えば高く、この深さなら何か不安要素があれば引き返してもおかしくない。しかしこの雪は私にとって、まだ「雪山」と呼べるほどの嫌さ、脅威を与えてきているようには思えなかったので進むことにした。

小さな祠と分岐だけがある飛龍権現は氷の床で滑り、本日通った中で最も危ない箇所となっていた。その先間も無く飛龍山で、コースタイムで10分とある。雪の分の歩きにくさを加味してもコースタイム通りぐらいには着くことだろう。

そして飛龍山まで

飛龍権現から先は異様に寒く、また少し登って藪漕ぎのような地形だ。ただ、もう殆ど天井が透けて見え、その距離感で言えば本当に間も無く到着できそうだという感触はある。ただ、記憶の中では、このラストが10分というには少々長かったような気がするのだ。事実あの山頂付近の樹林帯の地形、山頂手前の切れ間の一帯を

「まだか、まだか」

と探す。

やがて切れ間にたどり着いた時、思わず

「おっしゃきたぞ!」

と咆哮を上げた。

15:00、飛龍山登頂。

下山へ

ここで

「ちょっと流石に下山には必要」

とスノースパイクを装着、しようとするも、寒さで手がおかしくなって思うように動かなくなっていた。手袋をポケットから出すことすらままならない。無理矢理姿勢を変えて何とか装着しようと試みるも、すると今度は身体の方が攣りそうになり、しかし装着することができた。靴の前コバに合わすようになっているタイプのものだ。

「やべえなこれ、急いで温かいところに下りよう」

と思い、せめて靴紐だけ締め直そうとするも、これすらうまくいかない。耳やつま先は全く平気であるのに、手だけがやたらに寒く、不自由だった。

そのままとりあえず動こうと下山に向けて動き始めたのだが、飛龍権現まで進むまでもなく片方のスノースパイクがずれてしまった。また着けるにも、安定して腰をかけられる場所もなく、手の冷たさが尋常ではないので、とりあえず脱いで下ることを優先した。遅くとも飛龍権現までに着けないと、あの床の様子ではまず転ぶ。

ことを自覚しながらも、飛龍権現で壮大にすっ転んでしまった。当然、凍結して硬くなった冷たい床に手をついたわけだが、その時は手がどうこうということを全く意識せず、体制を立て直して再び動き出すことを優先させた。

「動いて身体を温めよう」

と前飛龍に向けて走り始め、座れそうで、日の当たる安定した岩に腰をかけた時には、手の「極端な」冷たさはもうどこかに行ってくれていて、手袋を取り出し一時的に何本か指を出してスノースパイクの装着と紐の締め直し、そして軽食と小休憩を取ることができた。

この休憩そのものではなく、それが「取れた」ということ、つまり手が概ね自由に動くようになったということが私を動かす大きな原動力となった。今さっきまで

「このままだとヤバいのではないか」

と思っていたが、その心配が完全に払拭されればあとは一気に下るのみである。スノースパイクはあまり使ったことはないが、どうやら前コバから一度ずれてくると結局ズレ方がエスカレートするように思えたので、違和感を感じた時だけでなく、短い周期で装着の状況を監視するようにした。

また

「これをつけたまま落ち葉まで下ったらどうなるだろう(滑り止め効果はあるのか?)」

という疑問が心に浮かび、峠より少し先の、地面がガレザレで硬くなるあたりまで、いければ下り切るまで、脱がずにいようと思った。

前飛龍の禿げ岩で一通り眺望を撮影した。確かにこの山の中では唯一無二といっても過言ではないくらいの、大変素晴らしい眺望ポイントと言えそうだ。しかし、これを見てやはり、もう既にこの山の中ですら「より良い眺望」ではなく「景色」を、雲海の飛龍山からの景色を、あの朝私は見た。そう考えてしまうとなんともそれは「ありふれた景色」にしか思えなかった

スノースパイクの効果は絶大で、前コバを確認するようになってからは、少なくとも雪で滑るようなことや大きくズレるようなことは起こらなくなっていった。なるほど上りの際にも装着しておけば、安心であるし速度も出る。

ただし危ないのは、左右を引っ掛ける足の進め方を、何度もではないが、一度してしまったことだ。今回は転ばなかったが、これによる転倒は昨年雪の蛭ヶ岳で何度も経験していて、その時の間抜けで苦い印象が反省として残り続けていたようで、常にそれを意識させるようになっていた。

YAMAPを開く頻度を下げたことで目標に対しての進度はやや不明確になりつつあったが、最終バスに間に合うかどうかという点だけは気にしながら下りる必要があった。

下山はペース的にも早く、純粋に希望通りのペースで進めており、難所という難所はもう殆ど越えてきたという「つもり」でいたので、熊倉山まで、峠に向けての道中は、時々深くリラックスをして、ふと我に帰ると時間がもう何時間も経ってしまったような感触を覚えた。

サオラ峠を目前にして

「そう、俺はこの道を来た!そして知っている!いつの日かの自分とすれ違えるタイミングだ!」

とテンションが大きく上がった。

しかし、分岐を越えて下る中で、この峠までの上りが如何にキツいものだったのかを身をもって知ることになった。下りもキツいというか、単純な九十九ではあるのだが、傾斜が強く、道が狭く、その上足場と崖の性質も悪かった。

飛龍山への道は、確かに全体として倒木が多く、木の枝で荒れ、岩も多く、今日に関して言えば雪も20cm以上30cm近く積もった場所があったが、それよりも何よりも往復してみるとこの峠まで、そして峠からの道が最も曲者だったように思う。

結局、林道のほぼ出口付近までスノースパイクを装着したまま下りてきたが、例えば落ち葉や状態の悪い道で滑ることはなかったが、スパイクに枝が刺さったことがあったのと、靴とスパイクが土埃だらけになるので、状況や優先順位によるのだろうという結論に至った。

バスの時間より大分はやくゴールに到着し、丹波バス停より帰還。飛龍山へのリベンジは、無事達成できた。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
ZzzKEITACION

山行や遠征グッズへの足しor詳しいレシピ付き料理などの対象記事にまつわる用途で、かつその場限りの消費というよりは、その物によるQOLの持続的向上、再生産もしくは再使用可能な趣味システムの構築、記事生成のため等にありがたく使わせていただきます。

コメント苦手だけどそれがきちんとした人間関係なら作りたいこともある。
10
「山と7欲と俺」です。徹底し、楽しみ、学び、繰り返した体験や成果物・課程をシェアします。知識と技術、学び、資格を掛け合わせて、自分にしかできない情報発信を!当座3年間は毎日書きます。好きな登山のスタイルは単独・軽量・多縦走のスピードロングハイク。