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目眩お日記。サバイバル・想像カメラ・生命の維持に必要のない絵などに携わったやつらが追い込まれてる系の話

これ書いてから思ったんだけど、わたしの不幸は「サバイバル」と「生命維持に全く不要な絵画」、相反するふたつに興味があることだと思う。


体調不良で寝込んでいた。特に動けるわけでもないので布団にいてたまにPodcastや youtubeで他人が話しているのを聞いていた。久々にディスカバリーチャンネルのサバイバル動画も見た。パタゴニアの過酷な環境下で半裸のエド、なぜミノを作って着ない……。草いろいろあるやんけ〜。。日中は体に泥を塗って夜間はミノ着れば多少快適やろがやる気あんのか?毎晩体温奪われとるやんか。魚を獲る時も草束ねておいたらそこに集まるんやない???(寒冷地の川漁でそういうのがある)もっと魚を観察して〜!!!などなどサバイバルは気持ちが休まらねぇ。。まぁ10日間程度なら真っ赤に日焼けして風邪引いてもヘリが迎えに来る。文句を言っても仕方ないし、自分があの場に放り込まれたら最悪ピューマに襲われて死ぬか、もっと体力を維持することに固執して地味な動画になっていただろうから、エンタメとしてはあれが正解だ。過酷な環境で撮影してるエドをリスペクトしなければならないし、パタゴニアナメたらあかんな。様子がおかしくなりながらもなんやかんや彼は素手で魚を獲った。
すごいけどなんの話してんだろう。

寝込んでる間いろいろ考えていたが、自転車生活だと徒歩のスピード感を忘れるし、視点の低さも忘れる。便利だけどすべてが通り過ぎてしまう。スピード感や視点の位置はたまに変えたほうがいい。何のためかはわからないけど、わたしには必要なことなんだよな。

2005〜2006年頃に持っていた感覚について思い出していた。想像の中でカメラを複数持ち、それぞれの視点を変えてぐるぐる回す感覚、何度も巻き戻して再生の速度も変えてタイムラインを行き来するような感覚、日々の記憶の映像から最適な角度と距離の一コマを見つけること。それは夢の記憶についても等しく行い、最適な絵を描いていた。一人暮らしのアパートの廊下で初めて大きな板に布を貼って下地を塗った。そのあと人と暮らし、多少忙しく過ごし、画塾に通い始めた頃にはその感覚は薄くなって消えた。わたしは映像を失っていった。デジタルのビデオカメラを手放して古いフィルムカメラを手に入れたような感覚に近い。絵の勉強をするというのはそういう感じだった。わたしはその頃とても絵が下手になった。
一日中デッサンはつまんないし、絵の具が使えても描きたくないものを描くのはつらかった。まぁ、その辺の基礎はやってよかったと思うし、前も書いたから薄くしか触れないけど。つまんないとやる意味がわかんないから下手になるかもしれない。でもつまんない中でやる意味について考えることもなければ一生は続かないからつまんないことやらせてんだろーなって気もする。美大受験はがんばった過程なんか関係なく、結果として画面の出来が悪かったら全否定されるの当たり前だしな。わたしも他の子も生きる意味すらわかんなくなることを言われまくっていたし、どうにか合格したけど精神的に変になって脱落した子もいる。彼女は絵を描くことがわからなくなって、絵をやめた。毎日バイトに行って、家では紙に〇を書くだけの人になった。〇〇〇〇びっしりの紙を見せられてもう絵は描けないんです、と言われた時言葉を失った。しかしあんまり考えすぎると、絵なんて生命維持に必要ないことやから、そうなるのもわかる。わたしも未だにその辺がつらい。特にこの社会状況下で絵をやり続けるのはもはや反社会的行為かもしれない、とすら思う。みんな元気かな。

この数日間たくさん夢を見た。まぁ寝てるしかなかったからな。夢の中でいろんな人と会って話したようだった。なんだか懐かしいような人たち、夢だから何も変わらないけど、いろんな問題が解決したような妙な気持ちで目が覚めたこともあった。
たぶんわたしはペースを落とすつもりではいるが、絵を描くことをやめられないだろうと思う。なんか絵の話もした記憶がある(夢についても記憶と呼べるのだろうか)。


たまに視点を変えた方がいいって話に戻るけど、足付きマットレスの足を外すだけで少しだけ視点を低くできた。久々に歩いて温泉に行った。何度も通っていた道で妙な手洗い場を見つけた。悪くないと思った。
でもまーそんな簡単に目眩が消えたりはせず今気持ち悪いし汗吹き出したのが冷えて寒いんやが。とりあえずそんな感じ。

生きていたいし絵を描きたいし文章書きたいしごはん食べたいと思う。