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正常な自己嫌悪と異常な自己愛。

自分が嫌い、などとは言うまでもなくネガティブなものであるが、案外そう認識している人は、組織においては公平な管理者、中立的なバランサーになりうるかもしれない。なぜなら、自分が嫌いという人は、自分に似た人間を贔屓することはないし、人間に対して冷静な目線があるから安易な同調もなく、合理的でさえあれば人事に関する判断を、誤ることは少ないように思われる。逆説的に言えば、自分が好き、という人間は組織にとって要注意であるように思われる。

自分が好き、という人間は、自分と似たものを贔屓して公平性に欠き、「仲間」という名の派閥を形成し始める。自尊心とは違った、この「好き」という感情は、自己嫌悪と比べて、どの程度有害であろうか。自己嫌悪は切実な反省と表裏一体であり、自己嫌悪は反省というプロセスを経て行動の改善に結実する余地があるが、「自分が好き」という感情に、どのような発展性や人格の向上の余地があるのだろうか。

一時的な自己嫌悪は、人間的成長のプロセスの一つであり、ストレスフルなことに違いないが、少なくとも異常なことではあるまい。むしろ、自己嫌悪を全体的な悪として、自分を好きになれなどと人に強制するような厚かましい言い方をする人間にこそ、注意を払うべきであろう。

恐ろしいことに、自己嫌悪を感じているとき以外、人間は自分が好きなのではないかと思う。私自身、自分に対して実に甘い。どれほど自分が好きなのかと、自己嫌悪に陥る。何とも矛盾した存在である。

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