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【紹介】吉村慎一著『コミュニティの自律経営―広太郎さんとジェットコースター人生』】

 著者の吉村氏は、控えめに言って、人生の恩人である。いま大学教員という仕事をしているのも、何とか自分なりのスタイルで教育研究に臨めているのも、氏のおかげである。感謝の意を込めて、先般上梓されたご著書『コミュニティの自律経営―広太郎さんとジェットコースター人生』を紹介したい。

 なんとも欲張りな本である。
 吉村氏自身によれば、本著は「ビルドゥングスロマン」(11頁)に属すとされるのであるが、本人の「Bildungs(自己形成)」だけを扱ったものでも、「Roman(長編小説)」でもない。比較的大部の「自伝」であることに違いないが、国政に市政に、そしてNPOにコミュニティと、社会科学の代表的なトピックが幅広に扱われている。しかも、そのアプローチは、(常に明示的であるとは限らないにせよ)自らに課した体験的仮説を、切ったはったの実践のなかで検証・解決せんとするものである。つまりはアクションリサーチの書である。とりわけNPMを中心とした自治体改革を学ぼうとする者には、研究者・実務家問わず、必読といわねばならない。加えて、副題にもその名が見えるように、福岡市政の一時代を画した「山崎広太郎」という政治家の横顔(←正確には「素顔」?!)も知ることができる。とどのつまり、図書館員なら分類番号を付するのに悩ませられるであろうし、書店員ならいっそ複数の棚に並べてしまうであろう、そんな本である。有り体に言えば、実にコスパのよい好著である。

 さて、全体の構成は以下の通りである。

はじめに
【第一章】 僕のジェットコースター人生
【第二章】 山崎広太郎市政の挑戦
【第三章】 福岡市のDNA改革
【第四章】 コミュニティの自律経営
【第五章】 もやい九州とともに
【第六章】 人生の補助線
【第七章】 妻の市役所人生大公開
あとがき
謝辞
吉村慎一 年表
附録「体験的NPM論~福岡市DNA改革の検証」
参考文献

 …といった他人行儀な評はここまでとしたい。気分が乗らないからである。以下、大学院の先輩後輩(←吉村さんの方が20歳上だが評者の方が先輩)として濃密なお付き合いをさせていただいた立場から感想を述べたい。この際、敬体にかえる。

とても20代にみえない院生が…

 あらかじめ読後感を一言でまとめますと、こうなります(←実際、読了後、一人つぶやいた…)。
  「いや、まんまやん!」
 よく 「文は人なり」といいますが、人柄が文章に表れるというようなレベルをこえて「どれもこれも、吉村さん」なのです。さきに「濃密」と書きましたが、実際僕が文字通りの意味で「謦咳」に接していたのは博士課程の3年間(本著93頁あたりの事情があって実質的には2年間ほど)に過ぎません。それ以降は、僕が福岡を離れたこともあり、基本的には「行政学会」で年に一度ランデブー(←吉村さんが好まれた言葉だと「七夕」)するくらいでした。つまり、90年代後半、つまり「無職」時代の吉村さんを除き、その前も後もよくは知らないのです。
 だから本著を読むと「へぇそうだったんだ」という話が大半です。けれども、それはあくまでファクトについて、であって、その時々の吉村さんは、いつも僕の知る吉村さんなのです。初めて聞くシーンであっても、そこでの振る舞いをみると決まって「やっぱ吉村さんやなぁ」と合点しました。だから、(副題の通り、出来事もご経験もむろん「ジェットコースター」なのですが)、「Bildungs(自己形成)」それだけでみると起伏はさほど富んでなく、やや物足りないということになるのかもしれません。しかし、逆にそこにこそ本著の面白さがあると思うのです。むしろ芸の域です。そういえば、志村さん(←あ、けんさんです)は、こう述べていました。

「マンネリが好きなんですよ。『また、あれだ』っていうのが何回見ても面白いのが理想。“ひとみばあさん”が出てきたら、もう笑えると。その人がこうなって、次こうなって、わかってるもん。でも笑っちゃう。これ名作、みたいなものを常に作りたいんですよね」。

 https://engei-yanbe.com/archives/3274

 この意味において、本著は明らかな「名作」です。そして吉村さんは「ひとみばあさん」なのです。

 では、マンネリ感があるほどのキャラとはどんなものか?
 答えは、推薦の辞、その冒頭にあります。

「謙遜でありながら、子供のような自由な魂を持ち、また節を曲げない強さを併せ持つ」

本著2頁

 吉村さんをよく知る人は強く首肯されることでしょう。勿論、僕もそうです。いくらか嫉妬をおぼえてしまうほどに的確な描写だと思います。
 ただ、ごくわずかな違和感がないわけではありません。早い話、「いやちょっとカッコよすぎやろぉもん(そげんスマートでもなかばい)」と。四半世紀前の「濃密な」数年間を思い起こしてみても、あんまり「カッコいい」と思ったことはなかったような気がします。無論、外見のことではありません(←いや、多少はある?)。 

だいたい二次会の途中からはこんな…

 僕は吉村さんが「強い」人だということに激しく同意するのですが、それは、無敵の格闘家が醸し出すような、すっきりとした「強さ」ではないのです。「弱さを隠さない強さ」というと単純にすぎる気もしますが、いずれにしましても、当時の僕は、どんな姿であっても、若造にだって素に素をさらけ出せる、そんなおっさんに、強い敬意を抱いたのでした。
 つまり、スッピンの吉村さんに出会うことができるのが本著です。揚々たるご活躍だけでなく、挫折や弱音までが正直に語られています。「力量がなかった」、「弱い自分」、「身動きできてない」、「居心地の悪い」、「生き恥」、「力なく返事するしか…」、「僕はつぶれている」など。正直、もう少しお化粧したらいいのに、と思わなくもありません。しかし、これが吉村さんなのです。まさに、まんま。
 推薦の辞にあった「自由」と「筋」、その間で葛藤、苦悩しつつも真摯に向き合い続けてきた、そんな「強さ」(←いわゆる「ネガティブ・ケイパビリティ」に相当するでしょう)が伝わってきます。畢竟、有り体に(しかし、最大級の賛辞を込めて)言えば、吉村さんとは誠に誠な人なのです。そんな人物の、社会科学的自伝あるいは自伝的研究書をぜひお読みいただければ、と思います。

 最後に、一点蛇足。
 実に光栄なことに、僕のことにも何箇所かで触れていただいてます。そのうちの一つに、福岡市長選の公約づくりのことがあります(82頁)。僕にとっては、いまの教育研究スタイルの原点ともいうべき貴重な経験となったものでして、鳴謝の他ありません。以下は、なかでも強く心に残っている一件です。
 選挙になると通常、各種団体から候補者陣営に様々な質問状が届くのですが、その回答(原案)づくりにも関わらせてもらいました。「勝つつもりなので無責任に迎合は出来ないが、少しでも多くの支持を勝ち取りたい」(89頁)との気持ちは共有できていましたし、僕なりに一生懸命取り組みました。質問者の意図や思いをしっかりと受け止め、可能な限り多くの資料に目を通し、言葉遣いにも注意を払いました。もちろん、在野にあって実態がわからないことも多く、つまり「無責任に迎合は出来ない」(同)ので、熟慮した結果でも「財政状況も含め諸々精査したうえで、前向きに検討します」旨の回答しかできないことも少なくありませんでした。忸怩たる思いを抱いたこともしばしばです。しかし、これは麻薬でもあるのです。
 市民の関心には共通することも多く、したがって似たような質問も結構あります。翻って我々はというと、極めて短期間に、膨大な作業をこなさなければなりません。実にしんどい。ふと誘惑に駆られ、つい手が出てしまうのです。つまり、安直に「…前向きに検討…」とかなんとか書いてしまう。
 あるとき、諌められました。吉村さんから。静かに。
 「あんた、楽(らく)、しよろぉ」
 いやぁ沁みました。そして今回、吉村さんの思いが(四半世紀経った)「今でもその質問状と回答の写しを処分できずにいる」(89頁)ほどであったことを知り、改めて心を打たれたところです。本著を読まれるすべての方(←特に政治行政に関わる方)に、「市民の一つひとつの声に、真摯に向き合うことが大切」(同)という(月並みといえば月並みな)金言が深く沁み入りますことを願ってやみません。

【おまけ】本著80頁のネタ元


https://furefure-shimane.jp/assets/file/best/ikiikinet_37.pdf

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