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マナーの抜け殻

マナーって何だろう?
何のためにあるのだろう?

皆さんはそう聞かれたら、何と答えるだろうか?

相手への敬意?
商談やビジネスのテクニック?
処世術?
最低限損をしないための儀礼?
おっさん社会の茶番?

このツイートを見て、
皆さんならどう思うだろうか?

僕は、このケースにはマナー文化の最悪の副作用が現れていると感じた。

僕には、両方の気持ちが分かる。

まず、上司。
上司の気持ちはおそらくざっくり二つだ。

①けしからん
②教育しなければならん

まず一つ目は、①けしからん である。
せっかく自分が奢ってやったのに、
まともに礼を翌朝言いにすら来ないとはという憤り。

この上司はお礼を言いに来ることを期待して
その期待が裏切られたことに腹を立てている。

これに関しては器が小さいなと思いつつも
正直気持ちも少し分かる。

人間は自分が好意で行ったことに
ポジティブなリアクションが貰えたら嬉しいものだ

いくら自分が勝手にしてあげたことでも
反応が薄かったら悲しくなる。

この感情に対する答えとしては、
ならもう奢らなければいいじゃん。である。

奢るか、ひいては飲みやご飯に連れていく
権利はあなたにあるのだから、
コントロールできない他人の行動に腹を立てるのではなく
もう連れていかない権利を行使すればいいという話だ。


でも、上司が今回こういう行動をとった理由は
②教育しなければならん のためだと考える。

昔からの慣習はそう簡単に変わらない。
しかもそれが必ずしも無意味化というとそうでもない。
その人が圧倒的何者かでもない限り
社会人として生きていく以上最低限のマナーは必要だから、
今後新人達が知らずに損をしないように
もっと目上やお客様相手にやらかさないように
しっかり教育するのは上司の義務だ


だが、今回の場合何がまずいかと言うと

奢った本人がそれを言うことである。

自分にお礼を言いに来いというのは野暮だ。
ましてや立たせて説教というのは
非常に心象が悪い。
せっかく好意で親切にしたのに
相手の内なる感謝の気持ちをかき消してしまうから損だ。

「〇〇さんに奢ってもらったなら、
朝にもお礼の挨拶するのが筋だぞ。
きっと喜ぶはずだ。行っておいで。」

というように、
対象を第三者にして教えるのがベストだろう。


では、次に新入社員の気持ち予想。
①知らなかった
②恩着せがましい

①は僕も思うことが良くある。
外部のマナー研修に行ったときに特に思ったが、
そんな細かいマナーがあるのかと驚いた。

多分このケースもそんなマナー知らなかった人がほとんどで
知っていればお礼を言っていた人は多いだろう。

自分が実行するしないは別として
知らないというのは大きなハンデになる。

自分の知らないマナーで相手に苦言を呈されたとき
いちゃもんを付けられた、揚げ足を取られた
と感じかねない
からだ。
そのような場合、
ほぼ間違いなく相手への反発心が芽生える。
そしてそれは、人間関係に軋轢を生む。

だから、まずマナーの存在を「知っておく」ことは重要だ。


そしてもう一つ感じやすいのは、②恩着せがましい だ。

(ほぼ強制参加)という文面からも見て取れるように
別にお願いしたわけでも
行きたくて行ったわけでもないのに
勝手に奢っておいてお礼を言えなど
なんて傲慢だと思ったことだろう。

「叱ってもらえるのを有難く思いなさい」
とか言ってくる親や先生に似てる。

いや別に俺頼んでませんけど?
と思わせてしまう。

見返りを求めた大きなお世話ほど
ありがた迷惑なものはない


では、これからこの会社で起こるであろうことを
予想してみよう。

上司に立たされた新入社員達は
翌朝に上司にお礼を言いに行くようになるだろう。
その顔はどこか引きつって
苦笑いを浮かべているかもしれない。


中学校の頃を思い出して欲しい。
授業中うるさいことに怒った先生が
教室を出ていくことはなかっただろうか。

生徒達は「めんどくせぇ笑」とか言いながら
「行った方がいいか」と
学級委員長が職員室に呼び戻しに行く。
その先生は陰でボロクソに言われている。
これは、僕の中学でよくあった実話だ。

また、部活の顧問が
「こんなことなら練習なんてやめだ!」
とか言って帰る素振りを見せて
「ハイハイまた始まったよ」と内心思いながら
生徒が謝りに行って
「練習やらせてください」みたいな茶番劇。

形だけ演じてあげてるだけ。
コントの領域だ。
無駄でしかない。



僕はマナーは
「思いやり」
のためにあると思っている。

あの先輩奢ってくれたから
楽しかったよってちゃんと伝えて喜ばせたいみたいな。

みんなから批判されているあのマナーも
最初に考えた人はきっと
相手を喜ばせたくてサプライズで行ったはずだ。

それがいつの間に伝えられ
マニュアル化され
社会に広まり
当たり前のように行われるようになり
いつしか相手にも期待するものになってしまった。

相手への思いやりの気持ちは失われ
ただその行為の形だけが受け継がれ残った

形だけ残ったマナーは
作業同然なので面倒くさい。
鬱陶しいお作法にがんじがらめになり嫌気が差す。

茶番だと馬鹿にしながら
そういうものだからと思考停止しながら
面倒事を避けるためだけに
形だけ儀礼的に
ビジネスや処世術のためにやる
そんなマナーは抜け殻だ
血の通っていない、コントでしかない。

そんなマナー、滅びてしまえばいい。
形だけの抜け殻は、さっさと廃れてしまえばいいのだ。

人を本当に喜ばせるマナーは、
相手を喜ばせたいからやるものだ

そしてそれは
心をこめてやりなさいと綺麗事を言われて
できるものでもない。

大事なのは
どうすれば相手は喜んでくれるか
自分の頭で考えて行動と紐づける

その視点なのではないだろうか。

ぞんざいに扱われたら相手は嫌だろうな
感謝されたら相手はうれしいだろうな

そんな相手への思いやりこそが
マナーの本質なのだ。

その形は時代によって変わるし
相手によっても変わる。

箕輪厚介さんが
見城徹さんは長文の手紙、
ホリエモンは簡潔なメッセージという
真逆の方法で口説き落としたように。

でも相手が一番喜んでくれることをするという
本質そのものは変わらないし
その考え方は無くなってはいけない

お作法を押し付けるだけでは
反発心や嫌悪感を生み
思いやりのない人間を生んでしまう。

自分じゃなくて、相手はどう思うか
それだけは忘れずにいたいと思う。

そして、次世代の人々には、
表面的なお作法だけでなく
是非その本質を伝えていければと思う。






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