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20211018 「君は文学者か?」

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通常では薬剤Aをフルで使うのですが、ある状況の場合、通常量では多すぎるという場合、

半分の量から使用する」

という治療法が決まっているのなら、その治療法に従うべきです。

少な目に投与する」

は、「半分の量から使用する」と一見同じ意見を言っているように見えますが、全く違います。なぜなら、「少な目に」とは主観であり、人によって量が変わってくるからです。

救急の先生が「君は文学者か?」と言ったのは、「半分の量から使用する」と即答すべきところを、その知識がないために「少な目に投与する」とごまかしたことに対し、「少な目に」なんて使用者によって量が異なる設定は危険だと言っていることになります。

念のため言っておきますと、ここでは「文学者」を卑下しているわけではありません。一人一人の主観を述べることを「文学者」と表現しているわけです。治療に再現性を求める場合、エビデンスに基づいた治療が必要で、そこに治療者の個々の主観を入れると危険になる可能性があるのです(もちろん主観が大事な場合もあります)。

治療者に「文学者」としての要素が求められるのは、例えば延命治療を続けるかどうかの選択を家族と話し合う時などでしょう。それぞれの患者、家族にそれぞれの思いがある。一律にどうこうと判断するのは難しい。この一人一人の主観を取り上げてという作業は文学的と言っていいかもしれません。

再現性、エビデンスを求める科学的アプローチと文学的アプローチ、治療には両方のアプローチが必要と思いますが、ごちゃまぜにしてしまうと「少な目に」という表現がまかり通り、危険になる可能性があります。明確に分ける必要があるでしょう。

あれ?

今、コロナ情勢下において、科学的アプローチのみ淡々と語ればいいのに、文学的表現をしてしまって混乱させているということはないでしょうか?

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