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新元号「令和」の意味をあれこれと考えてみた

4月1日という、情報が嘘か誠かわからなくなりがちな日に新元号が発表されました。
元号発表ばかりはどうも誠な情報のようですね(笑)

仕事の休憩中のロッカールームでスマホを開き「令和(れいわ)」という新元号を知った途端、突然時空が歪みパラレルワールドへぶち込まれたような不思議な感覚に襲われました。
平成生まれにとっては生まれてこのかた揺らぐことのなかった元号という存在が、案外重みのあるものだったようです。

気づくと、新元号についていろいろと考えている自分がいました。

引用元の文字から「令」をとる?

『万葉集』の「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」を元にして生まれたという新元号「令和」。
大学で国文学をかじった身としては、引用元を聞くと元号がとても気高く美しいものに感じられました。

ただ、この引用元から「令」と「和」という組み合わせでとるのは、引用元の意味を十分に汲み取れていないような気がするのは自分が素人だからなのでしょうか。
元号制定のルール上、とれる漢字が限られてくるのはもちろんありますが、「令和」になるなら「春和」「月和」などとする方が引用元を生かしていそうな気がして。

しかしその中でも「令」がとられたということで、「令」という字のみの意味を考えてみます。

①いいつける。命じる。いいつけ。「令状」「命令」 ②のり。きまり。おきて。「訓令」「法令」 ③おさ。長官。「県令」 ④よい。りっぱな。「令色」「令名」 ⑤他人の親族に対する敬称。「令室」「令嬢」
(「漢字ペディア」https://www.kanjipedia.jp/kanji/0007237600  2019年4月2日閲覧)

改めて辞書(ネット上のものですが)で調べてみると、言いつけや命じるという意、あるいは敬称の意。そういったところが目につくんですね。

つまり「令和」は、権力の高い人から「和」を押し付けるような、あるいは「和」に対して敬意を評すような意味ともとれる……

となれば、次は「和」が何を表しているのかを考えないわけにはいきません。

再び使用された「和」を考える

漢字単体で考えると、和で元号といえば真っ先に浮かぶのが「昭和」ですね。

「和」が入った新元号を見た時に、昭和のパラレルワールドにタイムスリップさせられる感覚に陥ると同時に、総理の「ニッポンを取り戻す」が脳裏に聞こえてきたのは私だけでしょうか。

「和」そのものの意味は調べるまでもなく素敵なものだと感じていますが、やはり何か素直に受け取ってはならないものを感じる……

「令」と合わせれば「古き良き昭和を取り戻すという意識の植え付け」と読めてしまい、その真意を、人間同士の醜い残虐な争いに向かっていくものと読むことも出来てしまうわけです。

元号が「国書由来」と言っていいの?

今までの元号は漢書からとられていたとのことですが、今回は万葉集からのもの。
総理が「国書由来の元号」と強調してアピールしているようです。

それに対し、これまた総理の政治的思惑を読み取る人や、それに重ねて「『万葉集』からとったと言いながら、『万葉集』の漢文を参考に書かれた部分をとっている。これを国書由来の元号と言っていいのか」と非難する声も多いようですね。

私が言わずとも有識者の方々があちこちでしっかりと説明してくださっているでしょうが、少なくとも日本文学のルーツは中国にあるのだから、国書から引用した言葉のルーツも中国に行きつくのは当たり前でしょう。

そもそも。
完全に日本のもので名付けたいとなったら漢字は使えないし、ひらがなやカタカナを用いたとしてもそれらの文字も元は漢字で……
と、言い出したらキリがないのでは?

個人的には『万葉集』を「国書」と呼ぶことは間違ってはいないと思います。
王羲之の『蘭亭序』等を下敷きにしたとしても、それを取り込んで『万葉集』を作ったのは日本の人だもの。

ただ、安倍総理が「国書由来」を強調すると、総理がそこまで知っていて発言しているとは思えない上に、やはり昨今の政治の良くない部分を色濃く感じて、怪訝な目で見ざるを得なくなります。

浅はかな知識で中国ディスってんじゃねーよ。むしろあなたが大好きそうにしている素敵な「国書」たちを生むきっかけとなった中国文化に感謝したら?
なーんて、言ってみたくもなったり、ならなかったり。

もしも総理が日頃から中国をリスペクトしていて「国書由来」と発言するならば、こちらも何も悪い方に考えることはないのでしょう。

そんなことをつらつらと書いている間に、家に置いてあった新聞に目が留まりました。

名もない庶民を含め多彩な人々の喜びや悲しみが集まった『万葉集』というのも、新時代に進む道標のような二文字を採るにはいい選択に思える▼ただ、漢籍にあえて背を向けるという意図が、国書の採用にあるなら、膨大な財産を手放すことにつながろう▼『土佐日記』で紀貫之は書いている。「唐とこの国とは、言(こと)異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ」。愛でる月の光が同じなら、感じる風情も同じだろうと。和漢の差を気にさせずに、令和も新時代に受け入れられよう。
(中日新聞「中日春秋」2019年4月2日朝刊)

まさに、です。
自分ごときが何も語らずとも、地元の新聞が全部言ってくれてらぁ。

冷静に考えられる新元号

何がともあれ、まずは冷静に新元号についてあれこれ考えて楽しめるというところは幸せに思うべきなのでしょう。

昭和から平成になる時はどうしたってお祭りモードにもなれなかっただろうし、元号についてもあれこれと議論するなどということも直ぐには大っぴらに出来なかったはずです。
その時代を知らない人間にとっては、想像の世界ではありますが。

現在の天皇陛下がお元気なうちに新元号を迎えられるのはとても心穏やかです。
素直に新元号を喜べます。

1か月前の発表というのは今の時代においてシステム環境のことを思うとギリギリすぎるのでしょうが、それでもやはり、事前の発表があれば心穏やかに次に向かっていける感じがします。

結局、元号に何を思う?

新元号についてあれこれと考えてきました。

「結局あなたは新元号についてどう思ってるの?」

そう聞かれれば自分は、元号自体は、はっきり言って「いいな」と思ったと答えます。
万葉集からの引用というのも素敵だと思います。「れいわ」ということばの響きも美しく感じました。

何となく、気を引き締めながら前を向いていけるような感じがしました。

ただ。
元号そのものは良いと思うのですが、裏に見え隠れするもの、憶測されるものがいろいろとありすぎて……
思わぬところで政治について、不安をまた感じざるを得なかったというところです。

ごくごく素直に、『万葉集」か、いいねってなれたらより一層よかった。
ついでに『蘭亭序』もこっそり好きですからね。少しだけ習字で書いたことがあるもので。

ともあれ、令和の時代が良き時代になることを願って、平成の時代を平穏に締めくくっていきたいですね。

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