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559杯目:【私見】エンタメについて考える1…西野亮廣エンタメ

西野亮廣さんのファンになってからエンタメとは何ぞや?
と、深掘りして考える事が多くなりました。
まずお断りしておくと、エンターテイメントの略語がエンタメという事です。
そんなの分かってるわ!!って言われそうですが、このあと、エンターテイメントとエンタメを混ぜて書いてしまう様な気がするので念のためf^_^;

エンタメを考えていくと、自分の人生の中でもエンタメに触れるという事は、今に始まった事ではなく、辿っていけば様々なエンタメに触れてきたことに気づきます。
エンタメってよく聞く言葉ではあるけど、意外とザックリしていて人によってエンタメの定義が違う様な気がします。
それは、例えば落語に興味があるのかないのかというジャンルの事ではなくて、日常生活の中でエンタメと感じるか感じないかという大きな意味で…。

まずはエンターテイメントの言葉の意味を調べてみると、新語時事用語辞典によれば…

別名:エンターテインメント
英語:entertainment、entertainment) とは、人々を楽しませる娯楽やサービスのこと。 ショー、楽しみ、息抜き、気分転換などが類語とされる。エンターテイメントの語源はラテン語で「一緒に」という意味のinterと「維持する」という意味の tenere を組み合わせたものだと言われている。

と書いてあります。

エンタメの語源はラテン語で、一緒にと維持するの意味を組み合わせたもの。
『一緒に維持する』何かわかる様な気がします。

一緒にということは、エンタメを送る側も受け取る側も含まれます。
維持するということは、それを共有するということだと思います。

エンタメを送る側、歌手・俳優・芸人・落語家・ダンサーだったり…プロスポーツ選手もそうですね。

自分が今まで思っていたエンタメというのは、その様な方達が完成させた芸を会場やテレビなどを通して楽しむのがエンタメだと思っていました。
それはそれで間違ってはいないのでしょうけど、先程調べた新語時事用語辞典には、次の様な記載があります。

日本だと「娯楽を提供する」という意味も持つが、海外では「自分が楽しむためにある娯楽」を指す場合がある。

そう、日本人である自分は提供されたものを観るという待ちの状態がエンタメだと思っていたけど、海外だともっと積極的な意味の様に思えます。
自分が楽しむためという事は、自分から積極的に自分のためにエンタメを楽しみに行くみたいな。

まだそこまで深く考えていない時に、自分の中に西野亮廣さんという人が現れました。
もちろん最初は漫才師だったり、人気テレビ番組のMCの人でしたが、それよりも前段階を一般の人にも公開する人。
出来上がったステージを提供する人ではなく、出来上がるまでの成功も失敗も提供する人。

今までこんなエンターティナーいたでしょうか?
日本人的考えでいけば、完成披露するまでのところは影の努力として、一般の人の目に触れる事はなく、完成品のクオリティの高さを披露するのがエンターティナーであり、苦労しているところや努力しているところを見せるというのは、日本人の美徳にも反している行為、そんな空気だったと思います。
実際、自分も今までそう思っていました。

しかし、西野亮廣エンタメに触れていると、苦労や努力を含めた完成品までのストーリーもエンタメになっている事がわかります。
というか、それらをエンタメと呼ぶかどうかという事だと思うのですが、エンタメの語源の話に戻ると『一緒に共有する』
一緒に共有する部分が、完成した物なのか、そこまでのストーリーも含んだ物なのかの違いだけだという事がわかります。

西野亮廣さんのエンタメは、他のエンターティナーにはない唯一無二のエンタメなのではないかと思いました。

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貴重なお時間の中、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 駄文ながら一生懸命書かせていただいていますので、またいらしてください。