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【コラム 34】今、考えるべき『選択』

(1182文字)

こんにちは。

最近書き始めたB'zの記事のアクセスが多い。まだあまりB'zファンがnoteを活用していないようなので、頑張って書いていきたいと思います。

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藤原史織さんという方をご存じでしょうか?

以下の記事をご覧いただければ、多くの方が「ああ」ってなると思います。

ブルゾンちえみという名前で活動をされていた方で、2020年4月から本名での活動を始めたそうです。

藤原さんですが実は、2年ほど前に『アミ 小さな宇宙人』を読んで以来、肉を食べなくなったそう。

でも現代社会の中で、様々な付き合いがある中で、どうしてもそのことを公には言えないことなどもあったりして、いろいろとご苦労されていたようです。

“ベジ”になって10年目の私も、それに似たようなシーンは様々経験してきました。10年前はまだ20歳ちょい。まだまだ社会人としてというよりも、学生に近い状況だったので、いわゆる“付き合い”みたいなことで、苦労はしたことはないのだけれど、やはり自身のライフスタイルについて話すには、少し勇気がいるシーンはたくさんありますし、今も場合によってはわざわざ言わないこともあります。

上に紹介した記事に

―「”ビーガン”とか “ベジタリアン”とか、はいはい、そういう系ね とカテゴライズされて 面倒くさがられること」

とある。これは結構あるあるで、本当に多いです。
何かについて真剣に考えはじめるということは、他人にそれを価値観の外のものとして扱われることもセットで生まれる。
その中身がどれだけその人にとって有用であれ、それを考えるよりも前に音速でカテゴライズされてしまうことは、本当に何度も何度も経験してきました。

その度に、自分の無力さを感じたりして、それがもっともっと知識や経験を深めていく理由だったりもする。自身が広告塔になって、生き方を示していけば、伝わらなかったあの人にも伝わるかもしれませんから。


―「とりあえず『選択できるライフスタイル』私はこれが大事だと思う」
―「お互いを尊重し、理解し合い、打開策、妥協案が出来上がっていくLIFEが私は“未来的”と思っている」

本当に同感です。
“ベジ”の人のほとんどが、選択の余地のある中で“ベジ”に行きついているのが実情です。

何か特別なものだというレッテルを即貼られて、尊重、理解、妥協、対策そのすべてを“ベジ”な人にまかせられる時代もあったと思います。
現代もまだまだ、100歩譲るのは“ベジ”の人のことが多いかもしれません。

しかし、時代は確実に変わってきています。

新たな時代を生きていくこと、それこそ“未来的”に生きていくうえで、“ベジ”に限らず、「お互いを尊重し、理解し合い、打開策、妥協案が出来上がっていくLIFEが私は“未来的”」だと私も思います。

心身の健康と調和をテーマに、“ベジ”を中心としたライフスタイルの提案に尽力します。