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川ぞいをひとりで走るという遊び

大会とか出てるんですか?
走ってますと話すとたいていそう訊かれる。
説明すると長くなるので、ひとりで好きなように走ってますと当たり障りのない答えで済ませる。

あちこちの川ぞいをひとりで走っている。
たまに口が滑ってそのことを話すと、ほかにもやってるヒトはいるんですかときまって返される。
そんなとき、ちょっとだけ胸を張ってこう答える。
「いいえ、世界でぼくひとりだけです」

各地の川ぞいをひとりで走る
(2019年12月 京都篇 瀬田川)


海から山のてっぺんまで走る

海から山頂までひと筋の川をたどって走る
ZEROtoSUMMIT(ゼロサミ)という遊びをやっている。
全国各都道府県の最高峰まで海から走る «ゼロサミ47» を2016年からはじめて今年で8年目。
昨年までに41座を走り終え、年内には完遂の予定だ。

誰からも頼まれていないし、誰とも競っていない自分だけの遊び。
ぼくが走りたいと思った川筋がゼロサミのルートだ。
地図と睨めっこして、山頂に落ちた雨粒が海に注がれるまでのラインを突き止め、それを河口から走る。
海にタッチし、振り向いたその瞬間からゼロサミは始まる。

河口で海にタッチしてスタート
(2022年12月 沖縄篇 石垣島 宮良川河口)


川ぞいは気持ちいい

子どもの頃から走ることは好きだった。
40過ぎで長距離走のコツをつかみ、新宿の職場から世田谷の自宅までの十数kmを毎晩走っていた。
同じ道はすぐに飽きるので毎回コースを変えていたら、玉川上水や神田川をはじめ、おのずと川ぞいばかりを走っていた。

信号と車が少なく、次々と景色が変わって気持ちがいい。
自然地形そのものを体感でき、人々の生活や歴史も刻まれている。
風が吹き抜け、街あかりが反射し、せせらぎが聞こえる。
そんな川ぞいのランに、すっかり取りつかれてしまった。

川ぞいを走るって気持ちいい
(2019年6月 岩手篇 北上川)


自分で見つけた遊び

探検や冒険に憧れていた。
だから独自のランニングスタイルをどうにか確立したい。
だけどぼくが思いつくことはどれも誰かがすでにやっている。

PC画面をぼんやり眺めながら、ふと、雨粒になったつもりで山頂から沢、そして川を下ってみた。
未知の集落が次々と現れ、名だけは知る町をいくつか通過して海にたどり着いた。

これを海から走ればいいのではないか。
そうだ、ルートではなく行為を新たにつくればいいのだ。
その瞬間、ゼロサミが誕生した。

遊びながら走り、走りながら遊ぶ
(2022年8月 徳島篇 祖谷川)


誰もやってないことをやる

しかし、誰かがすでにやっていたらダメだ。
調べてみると、どうやら類似活動はなさそうである。
ならばこれがトライに値する行為かどうかが肝要だ。
その見極めが難しい。
そんな折に日大WV部OBOGの集まりがあり、恩師の近藤暉(あきら)先生に思いの丈をぶつけてみた。

緊張して反応を待つ。
学生時代に幾多の山行計画を握りつぶされた鬼顧問に却下されたら、その瞬間にこの企画は終わる。
喉がやけに渇く。

「早急に計画をまとめよ。大いにやりなさい」

よっしゃ!
ぼくの進むべき道ははっきりと定まった。

近藤先生からGOサインが出た!
(2015年5月 日大津田沼WV部近藤先生を囲む会)


どうやって走るか

道は定まったが、それをどう進むかはちっとも定まらなかった。
妄想はすでに海外まで広がり、世界中の川ぞいを走りたくなっている。
すぐにでもこれを生業にしないと間に合わない。

あれこれ試し、二度の転職も経て、建築基準適合判定(昔の建築主事)の資格を生かして民間の建築確認検査機関で働きながら走る今のスタイルに落ち着いた。

待遇と勤務地を選ばなければ仕事には困らない。それに将来はザックに詰めたタブレットで仕事をしながら外国の山河を走れるようになるかも。
そんな社会が実現したらいいな。いやほんとに。

家族の支えがなければ何もできなかった
(2017年8月 兵庫篇 氷ノ山から下山、ゴール)


今後の展望

今年9月、47座目に国内最長コースの長野篇を走る。
日本海から信濃川をたどって奥穂高岳まで420kmを走り、十代の青春を過ごした松本で有終の美を飾る予定だ。
思い出の詰まった信州を駆け抜けるのが今から楽しみである。

無事終わったら近藤先生の墓前に下山報告をして、2024年からはいよいよ海外篇の始動だ。
まずは日本と同様に、韓国全9道の最高峰まで海から走りたい。
ハングル語も猛勉強中である。
韓国を走ることで日本がより見えてくるのではないかと思っている。

山と川さえあれば、世界中のすべてがフィールドだ
(2019年1月 千葉篇 愛宕山山頂)


ゼロサミ69

「おい二神君。47都道府県を走っても日本を知ったことにはならないぞ」
昨秋、三輪主彦先生に声をかけられた。
わかっています先生。
というのも、生まれ故郷の岐阜(富山湾~神通川~奥穂高岳:135km)を2019年秋に走ったとき、ぼくの心の拠り所は岐阜県でも、ましてや飛騨地方でもなく、美濃地方にあること──つまり、旧国単位でフォーカスしないと、自分の故郷のことすらもとらえられないことに気づいていたのだ。

富山湾から奥飛騨へと向かう
(2019年9月 岐阜篇 神通川支流 高原川)


旧69国の最高峰まで海から走るゼロサミ69、これを海外篇と併せて始動する。
69国の最高峰を特定するだけでも大変だが、だからこそ挑みたくなってくる。

やり終えている山河もあらためて走り直そう。
ゼロサミに正解なんてないし急ぐ必要もない。
誰からも頼まれず、誰とも競っていない、ぼくだけの遊びなのだから。

訪れる先々で暮らすひととの出会いが楽しみだ
(2023年9月 福島篇 新潟県阿賀町津川)

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